ロンドンへは、アエロフロート航空を利用しモスクワ経由で訪問しました。
ロンドンで5日間ほど滞在した後、列車を使って海峡の町ドーバーへと向かいます。
ロンドン(London)
「ロンドン」(London)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。そして、これを構成するイングランドの首都。
人口は約841万人(2013年)。都市圏を含めると約1,500万人にも及ぶ、ヨーロッパ最大の都市のひとつです。
2000年前のローマ帝国時代に建設されたロンディニウムを起源とするロンドンは、18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスを中心として起こった産業革命を契機に大発展。
19世紀前半には、世界最大の都市となっていました。
また、世界中を植民地化した大英帝国の中心都市として繁栄し、現在においても、商業、金融、芸術、教育、娯楽、ファッション、メディアなどの世界的な中心地となっています。
さて、ロンドンで巡り歩いた名所見どころについて、簡単にご紹介。
ビッグ・ベン【世界遺産】
ビッグ・ベン
ロンドンの象徴、ビッグ・ベンです。
ウエストミンスター宮殿に併設されている時計塔です。
15分置きに鐘は鳴りますが、正午の鐘の音は4つの音で奏でられる日本の小学校のチャイムと同じメロディー。
この曲は「ウエストミンスターの鐘」というのだそうです。
ウエストミンスター宮殿【世界遺産】
ウエストミンスター宮殿
こちらは、ウエストミンスター宮殿。
現在は国会議事堂として使用されています。
ゴシック様式ですが、何度か焼失し、現在の建物の原型は1860年に完成したものだそうです。
ウエストミンスター・アベイ【世界遺産】
ウエストミンスター・アベイ
ウエストミンスター・アベイです。
イギリス国教会の寺院で、王室の戴冠式などの行事がここで執り行われます。
ここにはニュートンやダーウィン、チョーサーやディケンズなどの有名人が多く埋葬されているのだとのこと。
バッキンガム宮殿の衛兵交代式
バッキンガム宮殿の衛兵交代式
バッキンガム宮殿の衛兵交代式
バッキンガム宮殿の衛兵交代式です。
バッキンガム宮殿は、ロンドンにあるイギリス王室の宮殿です。
エリザベス女王のロンドンの公邸であり、女王の執務の場でもあり、海外からの賓客を迎える迎賓館でもある邸宅です。
バッキンガム宮殿で有名なのは、何と言っても衛兵交代式。
ロンドンの名物として世界中から来た多くの観光客が見物するこの儀式は、4月から7月までは毎日1回、他の月では2日に1回ずつ午前11時30分行われます。
ロンドン塔【世界遺産】
ロンドン塔
「女王陛下の宮殿にして要塞」といわれるロンドン塔。
この塔には世界最大級の大きさであるワタリガラスが飼育されています。
ワタリガラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、英国が滅びるという言い伝えのためなのだとのこと。
塔内には世界最大級のダイヤモンド(南アフリカのカリナン鉱山で発見された3,106カラットの「カリナン」)も展示されています。
ロンドン塔
ロンドン塔は監獄でもありました。
かつて、ここでウィリアム・ウォレスやトマス・モアをはじめとした多くの人物が処刑されたそうです。
タワーブリッジ
タワーブリッジ
1894年に完成したテムズ川に架かる跳開橋、タワーブリッジ。
高さ40m。夜間はライトアップされます。
橋は大きな船が通過する際に跳ね上がり、その様子は観光客にとっては見ものです。
跳ね橋が跳ね上がる時間は、こちらでチェックできます。
トラファルガー広場
トラファルガー広場
トラファルガー広場
トラファルガー広場です。
ブロンズのライオン像4体に囲まれてネルソン提督記念碑が立っています。
隣接してナショナル・ギャラリーもあります。
この広場は政治演説をする人が多いことでも有名で、週末には何らかの集会が行われていることが多いのだとのこと。
ピカデリー・サーカス
ピカデリー・サーカス
ピカデリー・サーカス。
ウエストエンドの中心、ロンドン最大の繁華街。
エロスの像がある噴水が有名。その後ろに見えるネオンサインも有名です。
ロンドン名物、二階建てバス
ロンドン名物、二階建てバス
ロンドン名物、二階建てバス(ルートマスター)
ロンドン名物、二階建てバスです。
ロンドン市内には600を超えるバス路線があり、約8000台ものバスが運行していますが、そのすべてが赤色をしているのだとのこと。
市内中心部を走るバスはほぼ二階建てバスですが、写真のようなクラシックなスタイルのバス(ルートマスター)は、2005年に現役を引退し、現在では観光用に使用されるのみとなっています。
ロンドンタクシー
ロンドンタクシー
もうひとつのロンドン名物、ロンドンタクシーです。
クラシックなタイプの車は、オースチンというイギリスの自動車メーカーのブランドの車で、ロンドンタクシーと言えばこのデザインですよね。
長らく黒一色の塗装でしたが、近年ではラッピング車など、カラフルな色の車も増えているのだそう。
ちなみに、ロンドンタクシーのドライバーになるには、世界有数の難しい試験であるという「ノリッジ試験」(運転技術のみならず、ロンドン市内の地理・道路・施設などを全て記憶し、出発地から目的地などの最短距離を即座に示さなければならないという試験)に合格しなくてはならないのだとか。
ロンドン地下鉄
ロンドンの地下鉄
ロンドンの地下鉄
ロンドン地下鉄です。
ロンドンの地下鉄は、1863年に開通した世界最古の地下鉄。現在11路線268の駅が存在し、総延長距離は402㎞にも及びます。
アメリカや日本のように「メトロ」とは呼ばれず、「The Underground」と呼ばれ、市民からは親しみを込めて「The Tube」と呼ばれているのだとのこと。
カマボコ状の車体と、丸い吊革が印象に残ります。
ベイカーストリート
ベイカーストリート
こちらは、ベイカーストリート。
架空の名探偵シャーロック・ホームズが住んでいた通りとして有名。
ホームズは、ベイカー街221Bに住んでいたという設定です。
ホームズは、ハドソン夫人の経営するこの建物に、ワトソン医師と共同生活をしていました。
元々は高級住宅街だったそうですが、現在では商業施設が建ち並ぶエリアとなっています。
リージェント・パーク
リージェント・パーク
リージェント・パーク
リージェント・パークで見かけた騎馬隊
リージェント・パークです。
ロンドン北部にある王立公園で、総面積は2㎢。公園内にはバラが咲く庭園や、野外劇場、運河、スポーツ施設、学校などがあり、ロンドン市民の憩いの場となっています。
ロンドンには他にもグリーン・パークやハイド・パークなどの大きな公園があり、緑豊かな町となっています。
リージェント・ストリート
リージェント・ストリート
リージェント・ストリートは、イギリス国王がパレード時に使用する通りザ・マルからピカデリー・サーカスとオックスフォード・サーカスを経て、オール・ソウルズ教会までを繋ぐ約2㎞の大通りです。
ロンドン有数のショッピングストリートとして有名で、弧を描く美しい曲線が特徴です。
チャイナタウン
チャイナタウン
ロンドンにはいくつかのチャイナタウンがありますが、最も古いソーホーのチャイナタウンは1950年代に形成されヨーロッパ最大規模。
ロンドン全体では約16万人ほどの中国系の人が住んでいると思われます。
美味しい中華料理が食べられるエリアがあるのは、何はともあれ嬉しいです。
大英博物館
大英博物館
ロンドンにある世界最大級の博物館、大英博物館です。
この博物館の入場と見学は、なんとタダ!
世界中から集められた(ぶん取った?)約700万点の美術品や工芸品をタダで見ることができるのです。
アッシリアの人頭有翼牡牛像
これは、アッシリアの人頭有翼牡牛像です。
「アッシリア」(紀元前745年~紀元前609年)は、史上初めて世界帝国を造り上げた国として知られています。首都はイラク北部にあるニネヴェ。
アッシリアのライオン狩りのレリーフ
一時はエジプトや地中海にまで力を及ぼしていたアッシリアでしたが、紀元前609年、帝国は崩壊し、エジプト、新バビロニア(イラク)、リディア(トルコ)、メディア(イラン)に分裂してしまいました。
ギリシャのレリーフ
こちらはギリシャのレリーフです。
当時の駐トルコ大使(当時のギリシャはトルコ支配下)だったエルギン卿は、これらのレリーフを遺跡から剥ぎ取り(トルコ政府は黙認)、本国へと持ち帰りました。
さすがに英国国内でも批判が巻き起こり、エルギン卿は大英博物館にレリーフを売却せざるを得なくなりますが、現在ではギリシャ本国から返還要求がなされています。
エジプトのミイラの棺です。
エジプト部門では、ヒエログリフとデモティックという2種類のエジプト古代文字が刻まれている石版「ロゼッタストーン」と、太陽王ラムセス二世の胸像が見どころ。
自然史博物館
自然史博物館
自然史博物館
大英博物館の一部門としてスタートしたロンドン自然史博物館。チャールズ・ダーウィン、ジェームズ・クックを始めとしたイギリスが世界に誇る自然科学者や探検家の収集した標本がズラリと並ぶ、世界有数の博物館です。
ここには7000万点以上におよぶ、生命科学・地球科学のコレクションが収蔵されています。
標本以外にも自然科学の蔵書は100万点を越え、博物画のコレクションも50万点以上あります。
博物館は、動物学・植物学・古生物学などの展示が行れている「生命ギャラリー」、地学関係の展示を行っている「地球ギャラリー」、研究スタッフの作業を間近で見られる「ダーウィン・センター」、動植物の飼育や栽培が行われている「野生生物公園」からなります。
ロンドンの郊外で“イングリッシュジョーク”に遭遇!
ロンドンのインフォメーションセンターで紹介されたユース。
それは街の中心部からだいぶ外れた、郊外の住宅地の中にありました。
手渡された住所の書かれたメモだけを頼りに、閑静な街並みを歩きます。
初夏のロンドン、新緑が青々として綺麗でした。
「べちゃっ!」
とぼとぼと歩いていた私の目の前に何かが落ちてきました
ピザです!
ゆるりと上を見上げる私。
二階の窓の陰から「くすくす」という笑い声が聴こえてきます。
イングリッシュジョークでしょうか・・・。
私はしばし、潰れたピザと窓の向こうを交互に見たあと、それまでと変わらぬ足取りで、再びとぼとぼと歩き始めました。
お目当てのユースはなかなか見つかりませんでした。
どこも同じような場所に見えるのです。
そこで私は、その辺を歩いていた若いカップルに道を聞くことにしました。
彼らはロンドンのどこにでもいそうな、普通のカップルでした。
メモを見せて、「この住所はどこ?」と訊きます。
すると、男性はメモを見るなり表情をパッと輝かせました。
そして、「この住所はここだよ!」
と私の目の前の建物を指差したのです。
「なあ~んだ、ここか」 と、私の顔もパパッと輝きました。
教えてもらう必要などなかったのです。
しかし、この茶目っ気のあるイギリスの若者。別れ際に、
「ここを真っ直ぐ行って、左へ曲がって、次を右に行って・・・」
なんてイングリッシュジョークをニコニコしながら飛ばしてくれました(笑)
海峡の町ドーバー
ドーバーの海岸
イギリスの南端、34キロの海を隔てた向こうがすぐフランスという位置にドーバーの町はあります。
ドーバーはローマ時代から大陸への窓として重要性を持ち、11世紀にはウィリアム1世(ノルマンディー公ウィリアム)により、写真の軍事要塞が築かれました。
第一次、第二次大戦中は、作戦基地として使用され、ダンケルク作戦の指揮はここで行われたそうです。
ドーバーの崖は真っ白です。これは石灰質でできているためだそうで、通称「ホワイトクリフ」と呼ばれています。
ドーバー城
ドーバーの街
ドーバーの街です。
英仏海峡トンネルが開通した現在も大陸へのゲートウェイとして重要なこの町ですが、大抵の人は通過していくだけのようです。
街は、まったりと静まり返っていました。
ドーバー城とホワイトクリフ
崖の中腹に建物があるのが見えます。
ドーバー城の地下には対戦中の司令部が当時のまま残っており、そこをガイド付きのツアーで見学することができるようになっています。
網の目のように張り巡らされた通路を歩いていると、突然警報が鳴って電気が消えたり、爆弾が落下する音が聴こえたりなどして、なかなか見ごたえがあります。
夕暮れのドーバー
夕暮れのドーバーです。
誰もいない玉石の海岸で、ぼんやりと家々に灯が灯っていくのを眺めていると、 大陸から到着したホバークラフトのものすごい爆音が聴こえてきました。
旅行時期:1996年6月・2003年4月
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