※前回の記事→イランの見どころ(テヘラン・マシュハド・ハマダン)とカルチャー・ショック【イラン】
「イラン」(Iran)
5000年の歴史を持つイラン。古代ペルシャ帝国時代から現代まで、イランは世界の中心のひとつだった時代が何度もある重要な国。
美術、建築、哲学、思想、詩、音楽、映画などなど、連綿と続く独自の文化がイランにはあります。
世界遺産も17件が登録されていて、いずれも文化遺産。ペルセポリス遺跡やイスファハンのイマーム広場を始め見どころがたくさんあります。
今回は、イスファハンとシーラーズです!
イスファハン(Isfahan:اصفهان) 「世界の半分」といわれたほど繁栄した町
紀元前からの歴史を誇るといわれる「イスファハン」ですが、町が最も繁栄したのは17世紀のこと。
1597年、サファビー朝の王、アッバース一世はこの町を都に定め、いくつかのモスクや宮殿からなる広大なイマーム広場を建設しました。
当時のサファビー朝は、「世界の半分」といわれるほど繁栄したそうで、遠くヨーロッパの商人もこの街を訪れたのだといいます。
広場の全体の写真はないのですが、広場の大きさは512m×159m。池と噴水が配置された芝生の広場で、周りにはアーケードの回廊がぐるりと取り囲んでいます。
広場の四面には、 南に「マスジェデ・イマーム(王のモスク)」、東に「マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー」、 西に「アーリ・ガープ宮殿」、北にはバザールの入り口があります。
「マスジェデ・イマーム」です。
あの大ドームは直径が28mあるそうです。入り口の門はイーワーンといいます。
この時、ちょうどドームの修復作業が行われていました。
青緑のタイルが鮮やかな美しいモスク。イランで最も有名なモスクです。
イーワーンは近くで見るとこんな風になっています。
あの蜂の巣のような天井の飾りは「鍾乳石飾り」と呼ばれているもの。あの飾りも全てモザイクタイルでできています。
右の写真は、王室専用のモスク「マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー」のドームの内部。
光が差し込むと、孔雀が羽を広げたように見えます。
「マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー」の外観。
柔らかいクリーム色のドームの色彩がとても印象的です。
手前には馬車が走っていますね。これは観光用です。
「マスジェデ・シェイク・ロトフォーラー」のイーワーン
ドームのモザイク
これは市内を流れるザーヤンデ川に掛かる橋「シオセポル」です。
シオセとは33という意味。33のアーチがある橋です。下に見えるのはチャイハネ(喫茶店)です。
シオセポルの夜。ライトアップされた橋が川面に映って綺麗ですね。チャドルを纏った女性の姿も見えます。
夜のチャイハネです。家族と、友人と、恋人と、皆楽しそうに語らっています。
イスラムのためお酒は飲めないので、チャイを啜り、水煙草をプカプカ。
シーラーズ(Shiraz:شیراز) バラと詩人の町
イラン南西部、ファールス州の州都、シーラーズの町です。
この町は「バラと詩人の町」として知られています。 昔からこの地方はバラの栽培が盛んだったそうです。
ガージャール朝(1796~1925年)の宮殿の庭、エラム庭園広大なバラ園があります。
イランの代表的な詩人、ハーフェズとサーディーはこの町で生まれ、二人の廟も町にあります。二人とも中東世界ではかなり有名な詩人であったようです。
写真は「シャー・チェラーグ聖廟」です。
シャー・チェラーグはシーア派第8代のイマーム、アリー・レザーの弟で、このシーラーズで殉教したのだそうです。西洋梨型のドームが印象的ですね。
ここの廟はマシュハドの「イマーム・レザー廟」ほどではありませんが、信者たちの熱気がすごかったです。
廟の前は広場になっていて、涼しげな人工池があります。木陰で一休みするチャドルの女性たちの姿が見えました。
左は、シャー・チェラーグ聖廟の入り口。
ここの鍾乳石飾りは鏡張り。故ホメイニ氏とハメネイ氏の写真が飾ってあります。
この聖廟は向かって左側が男性、右側が女性と祈りの場が男女で分かれており、真ん中にシャーの棺があります。足元には真っ赤なペルシャ絨毯が敷かれていました。
皆さんコーランを読んだり、地べたに頭を付けたりと真剣に祈っており、内部の写真を撮ることは躊躇われました。
右のピンク色が美しいモザイクタイルのイーワーンは、マスジェデ・ワキール・イエハーンのものです。イランでは珍しい、鳥の絵が描かれています。
シーラーズは、1754年から1794年までザンド朝の首都だったところ。
また、このファールス州は紀元前700年頃、繁栄したアケメネス朝ペルシャの中心地だったところで、近郊には壮大なペルセポリスの遺跡も残されています。
ファールスは、古代にはパルスと呼ばれました。ペルシャはパルスの訛りです。
旅行時期:1996年8月