ラダック地方(Ladakh:ལ་དྭགས་)は、インド北西部、ジャンムー・カシミール州のヒマラヤ山脈に囲まれた高地にあります。
ここはチベット文化の西の端。インド領であるラダックは、中国のチベット本土よりも、その伝統文化が色濃く保持されているといわれている場所です。
今回は、秘境ラダック地方へのバス旅(デリー〜ケーロン)です!
デリー発レー行きのバス(786ルピー:1,965円)所要時間約3日!
ラダックの風景
インドの首都「デリー」から、ラダック地方の中心都市「レー」へは直線距離で約500キロ、道路を使うとなると1,000キロ以上もの距離があります。飛行機を使えば2時間しかかからないのですが、バスだと3日!
かなりきつそうですが、チャレンジしました!
デリー~レー間の航空運賃は100ドル以上、バスだと786ルピー(1,965円)、かなりの節約です。
「レー」行きのバスは、オールド・デリーのISBTバスターミナルから出ています。
バスは、案の定ボロバスでした。
荷物は屋根に載せます。バスの後ろにくっ付いている梯子を登りながら重い荷物を担ぎ上げます。
この時、丸顔のインド人のおじさんが荷物を持ち上げるのを手伝ってくれました。
「ダンニャワード(ありがとう)!」
車内の環境は結構ひどいです。
埃だらけの車内、ビニール張りの硬い椅子。椅子と椅子の間隔が狭く、窓は上手く閉まらずに隙間風が漏れてきます。
乗客の数はさほど多くなくゆったりとは座れますが、3日間このバスに乗り続けるのは相当きつそうです(泣)
オールド・デリー
午後4時、バスはデリーを出発しました。
バスは渋滞のデリーを抜け、幹線道路を突っ走ります。ローカルなこのバスには、所々の停留所で人が乗り込み、そして、降りていきます。
デリーの交差点で乗ったスーツの男性が郊外の町で降ります。バザールで乗り込んだ買い物籠を手にしたおばさんが小さな集落の前で降ります。
大きな町に近づくにつれ席は一杯になり、離れてゆくにつれ席はガラガラと空いてきます。
バスは幹線道路をひた走りました。
乳白色の靄に霞んだ延々と続く畑が見え、巨大な菩提樹が点々と遥か彼方まで生えているのが見え、人々や牛や、ほかの様々な動物の姿が見えます。
そのうち辺りが暗くなってきました。
広大な大地の向こうに赤い夕陽がゆっくりと沈んでいくのが見えます。
バスはいくつもの小さな村、大きな町を経由し、乗客の多くを頻繁に入れ替えながら夜の闇を進んでいきます。
夕暮れの街道
午後11時ごろ、ハリヤーナーとパンジャーブの州都「チャンディーガル」で大きな休憩がありました。ここで大勢の乗客が降ります。
私はバスターミナルでトイレを済ませ、ミネラルウォーターを補給しました。そして、バッグからダウンジャケットと毛布を引っ張り出して体を包みました。
夜の山道をひた走り、翌朝「マナリ」の町に到着
さあ、ここからは山道です!
私は引っ張り出した毛布に顔をうずめると、バスの出発するエンジン音を聞きながら瞼を閉じました。
夜中、真っ暗な車内。
バスが右へ左へと小刻みにカーブを繰り返しているのがわかります。どうやらもう山道に入っているようです。
眠りに落ちた私は、バスがカーブで曲がる度に体を傾け、窓にガンガンと頭をぶつけます。その度に浅く目を覚ますのですが、すぐに眠りに落ちてしまい、再びカーブの時に頭をぶつけて目を覚まします。
急カーブが来た時は思いっきり窓に頭を打ちつけてしまい、一気に目が覚めます。
周りを見回すと他のインド人たちも皆同じように頭をぶつけて目を覚ましているのがわかります。
けれども、真っ暗な車内の中、永遠に続くようなカーブの連続に身を委ねていると、いつしか私たちは再び眠りに落ちていってしまいます。そして、しばらくするとまた、ガンガンと頭を窓にぶつけ始めるのです。
ぼんやりとした意識の中、「ガンガン!」という頭のぶつかる音が、車内の方々から絶え間なく聴こえ続けていました。
窮屈な体勢を何度も入れ替えながらの夜は過ぎました。
窓の外を見ると空が白んでいます。辺りの風景は昨日とは一変していました。
緑の木々に覆われた山々が見え、谷底には水飛沫を上げながら川が流れています。
午前8時、バスは「マナリ」の町に到着しました。
マナリは標高1,900メートル。日差しは強いですが、随分と肌寒く感じられます。街を歩いている人々の風貌や服装は平地のそれとは明らかに異なっていました。
マナリはヒマラヤの谷間にあるチベット文化圏への入り口の町です。
しばらくの休憩の後、バスは多くの乗客を入れ替え出発しました。
周りを見回すとデリーを出発した時とは全く様子が異なっています。民族衣装を着たおばあちゃんや、臙脂とオレンジの袈裟を纏ったチベット仏教僧がいます。
そんな、下界とは全く違う人々の風貌を見て、私は、いよいよチベット世界に入ってきたのだと思いました。
マナリからは外国人の若者も2人加わりました。イギリス人の寡黙な2人組です。
斜め後ろを見ると、そこには荷物を上げてくれた丸顔のおじさんの姿がありました。おじさんは私の視線に気付くと、ニコリと笑い、首を軽く傾げる仕草をしました。
私と同じ、デリーからはるばるやって来た仲間であるおじさん。彼の姿を見て、私は何だか少し安心しました。
バスはマナリの町を出るとすぐに急な山道を登り始めました。くねくねとカーブが繰り返されます。
窓の外に見える緑の木々が、疎らに点在する家々が、灰色の冷たそうな川の流れが、徐々に徐々に小さくなっていきます。とうとう本格的な登山が始まったのです。
バスは野太いエンジン音を轟かせながら車体を斜めにして登っていきます。
つづら折を重ねるにつれ、高度を上げてゆくにつれ、木々の植生が広葉樹林から針葉樹林へと目に見えて変わっていきます。
そのうち辺りは背丈の低い潅木だけになります。そして、マナリの町から約50キロ、標高3,978メートルの「ロータン・ラ」に着く頃には、樹木の姿は視界から消えていました。
標高3,978メートルの峠「ロータン・ラ」
標高3,978メートルの「ロータン・ラ」
「ロータン・ラ」は、マナリからラダックへと向かう街道における最初の峠です。
天上のラダックへと登ってゆく車も、下界のヒンドゥー世界へと降りてゆく車も、たいていはこの峠でしばしの休息を取ります。
私たちのバスももちろん休憩することになりました。
通りに沿ってバラックの建物が並んでいます。その周りには飴を取り囲む蟻のように、無数のバスやジープ、トラックが群がっています。
野菜入りのチョウメン
私は丸顔のインド人のおじさんと一緒に昼飯を食べました。野菜入りの「チョウメン」(中華焼きそばのような食べ物)とおじさんの奢ってくれた熱く甘い「チャイ」。
モグモグと食べながら辺りの風景をぼんやりと見回しました。
ごつごつとした岩山が見えます。その岩肌を濃い緑色の草や苔が薄っすらと覆っています。
標高が高いためずいぶんと寒いです。灰色の空からは、そのうちチラチラと雪が舞い降り始めました。
高台の上には「チョルテン(仏塔)」があります。その脇に五色の「タルチョ」ののぼりがはためいています。
チベット仏教の経文が印字された「タルチョ」は、はためく度に風がそこに記された経文を全世界に運んでゆくのだそうです。
ロータン・ラの風は強く、びゅうびゅうと音を立て、その鮮やかな五色をバタバタと翻らせていました。
きっと、多くの土地に有り難い教えが運ばれたことでしょう。
ラホール地域の中心都市「ケーロン」の町で宿泊
ロータン・ラを越えるとバスは「ラホール」と呼ばれる地域に入ります。
その中心都市である「ケーロン」の町。そこが今晩の宿です。
ケーロンまでの道中、バスは山道を上り下りし、山肌を縫うように進み、清流に架かる小さな橋を渡りました。景色は素晴らしいものでした。
万年雪をてっぺんに頂いた白き峰々や、谷間を歩むクリーム色の羊の群れや、馬に乗る羊飼いが車窓から見えます。
荒涼とした山はどこまでも高く、永遠に続いているかのようでした。
午後4時、ケーロンに到着しました。
運転手から説明があります。何を言っているのかよくわからなかったのですが、丸顔のおじさんがその内容を教えてくれました。
明日の朝4時、バスは出発するそうです。それまで、この辺りの宿で一夜を明かして欲しいとのこと。
荷物を降ろした私たちは通り沿いの宿の中にぞろぞろと入っていきました。
ケーロンは標高3,349メートル。何もない本当に小さな村でした。
私は夕食に「トゥクパ」(チベット麺)を食べると、ぶらぶらとそこらを散歩しました。
けれども、何もない。
夜の帳の下りた村では、唯一の見所である風景さえも見ることができません。眠るしかないのです。
私は部屋のベッドに横になり、未だ見ぬラダックの地を夢想しながら瞼を閉じました。
夜中、トイレに行くために部屋の外に出ました。
寒い!身を切るような寒さです。
震えながらふと、頭の上に広がる夜空を見ます。
びっくりでした・・・。
広大な闇に白いビーズのような星が無数に散りばめられています。
まさに「降るような星空」!
神秘的で圧倒的な満天の星空は、何もすることのない夜のケーロンでの唯一の見どころともいえるものでした。
旅行時期:2003年9月
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