メキシコシティから北東約50km、バスで1時間ほどの距離の場所に、約20㎢の広さを持つ壮大な都市遺跡が遺されています。
紀元前2世紀から6世紀にかけて繁栄したテオティワカン文明の中心、世界遺産にも登録されている「古代都市テオティワカン」(ナワトル語:Teōtīhuacān スペイン語:Teotihuacan)です。
テオティワカン遺跡への道
テオティワカン遺跡
「テオティワカン遺跡」へは、公共のバスを使って行くこともできますが、今回は現地旅行会社のツアーを利用。
旅行会社は、日本人の方が経営している「ミカドトラベル」という旅行会社で、ネットで予約をしました。
ツアー内容は、グアダルーペ寺院とテオティワカン遺跡を訪れる半日ツアーで、ドライバーと日本人ガイド付き。
8:00出発、14:30メキシコシティ帰着で、料金は1人80USドル。
ツアーにした理由は、せっかくだから遺跡についての詳しい解説を聞きたかったというのと、現地在住の日本人に日本語でメキシコの情報を教えてもらいたかったからです。
そして、ツアー当日の朝8:00。ホテル前で待っていると、来ました!
車は普通のシボレーだったかな?
車内には、メキシコ人のドライバーと日本人のガイドがいました。
そして、ガイドさんが言うには、ツアー参加者は他におらず、私たちだけであるとのこと。
これは、ラッキー!
思い通りに行動することが出来そうです♫
とにもかくにも、さっそく車に乗り込んで出発進行!
グアダルーペ寺院
20分くらい走ったでしょうか。まず、訪問したのは「グアダルーペ寺院」です。
ここは、メキシコ人の大多数を占めるローマ・カトリック教徒の心の拠り所として知られている寺院。
聖堂の中にはバチカン公認の奇跡と言われる「グアダルーペの聖母」像が掲げられています。
奇跡の聖母像と、真剣にお祈りする人々の姿を見て、ふむふむと頷いた後、再び車に乗って出発。
一路、テオティワカン遺跡へと向います。
グアダルーペ寺院の記事はこちら→450年間色褪せない!「グアダルーペ寺院」で見た奇跡の聖母マリア像【メキシコ】
テオティワカン遺跡への高速道路
車窓から見えたカラフルなスラム街
車は高速道路を北東へ向けて突っ走ります。
車窓から見えるのはメキシコシティの起伏の激しい街並み。
山肌にびっしりとカラフルな家が建ち並んでいます。
ガイドさんの話では、これらのカラフルな家は、すべて不法に建てられたスラム街であるとのこと。
標高の高いメキシコシティでは、空気の濃い下町にお金持ちが住み、空気の薄い高台や山肌に貧乏人が住んでいるのだとか。
これらの山肌に建てられた家は、勝手に建てられた不法住居ですが、政府や市も立ち退きを迫ることはもう諦めているようで、既にバスの路線が走っているなど、ひとつの町として機能しちゃっているとのことでした。
1時間ほど走って、車はテオティワカン遺跡へと到着!
車を降り、ガイドさんと共に遺跡へと向います。
テオティワカン遺跡とは?
メソアメリカ文明マップ
「テオティワカン文明」は、紀元前2世紀から6世紀にかけて栄えたメソアメリカ文明のひとつ。
そのテオティワカン文明の中心地であったのが、「古代都市テオティワカン(テオティワカン遺跡)」です。
「テオティワカン」は、ナワトル語で「テオ(神々)ティ(変わる)ワカン(場所)」という意味で、これは、12世紀にこの地にやってきたメシカ人(アステカ人)によって名付けられたものだとか。
北方から南下してきたメシカ人は、ジャングルの中に打ち捨てられていた壮大な都市の廃墟を発見。
この地を「テオティワカン」と名付け、後々まで崇拝の対象にしていたのだそうです。
テオティワカンに住んでいた人々が、どんな人々なのかは詳しくわかっていないそうですが、計画的に造られた都市には、王や神官だけでなく、商人や職人、農民の居住区もあり、下水網も完備され、祭祀だけでなく交易も盛んに行われていたのだとか。
最盛期には、20万人の人が暮らしていたとされ、これは当時の世界でも最大級であったのだそうです。
テオティワカン遺跡のマップ
テオティワカン遺跡は、南北に貫く、長さ3,316mのメインストリート「死者の道」を中心に広がっています。
「死者の道」の南端には「ケツァルコアトルの神殿」、中央に「太陽のピラミッド」、北端に「月のピラミッド」があり、これらがメインの建造物。
遺跡の入口は、全部で5カ所ありますが、自分たちは北西にある「月のピラミッド」近くのPierta3から遺跡に入場しました。
入場料は59ペソ。だけど、今回は入場料もツアー代金に含まれているため、ガイドさんがチケットをゲットしてきてくれました。
①ジャガーの宮殿
「ジャガーの宮殿」とその向こうにピラミッドが少し見えます!
かなり修復されている
ホラ貝を吹く羽毛のあるジャガーの図
まず、訪問したのが、「ジャガーの宮殿」と呼ばれる建物。
と、その時、宮殿の遺跡の向こうに、ピラミッドの姿がチラリと!
お〜、ついにテオティワカンのピラミッドとご対面!!
一気にテンションが↑↑
さておいて、とにかく「ジャガーの宮殿」を鑑賞です。
「ジャガーの宮殿」には、建物(住居?)の跡がかなり残っているように見えました。
けれども、ガイドさんによると、これは修復されたものだそう。
宮殿の壁は、コンクリートを漆喰のようにして石を積み重ねて修復されていて、実はこれ、本来の姿かどうか怪しい、いい加減な修復らしいです(汗)
宮殿の地下には、「ホラ貝を吹く羽毛のあるジャガーの図」が残されていました。
これは、一説によると1800年前に描かれたものであるとのこと。
ジャガーの頭には羽毛飾りがあり、背中から尾にかけては巻貝が付いていて、ジャガーはケツァル鳥の羽毛で飾られたホラ貝を吹いています。
ジャガーは、古代メキシコの時代、最強の猛獣でした。
そのため、古代メキシコ最古の文明である「オルメカ文明」(紀元前1200年頃〜紀元前後)の時代からジャガーは強さの象徴として崇拝され、後のテオティワカン文明やマヤ文明においても神様として信仰の対象とされていたのだとか。
ジャガーの宮殿の地下の壁画
ジャガーの宮殿の地下にあったオウムを描いたとされる壁画。
鮮やかな色彩が遺されています。
かつては、遺跡全体がこのような色合いだったのでしょうか。
ジャガーの宮殿が何の目的に使われたのかは、特に説明はありませんでした。未解明なのかもしれません。
また、ジャガーの宮殿の脇には、「ケツァルパパロトルの宮殿」というのもありますが、時間の関係もあるのでしょう。今回ここは訪れず。
今回のツアーでは、メインのポイントに絞っている様子です。
とにもかくにも、ジャガーの宮殿の観覧はサッと済ませ、次の訪問ポイントである「月のピラミッド」へと向かいます。
テオティワカン遺跡にあったサボテン
②撮影ポイント
「ジャガーの宮殿」を出て、次の目的地である「月のピラミッド」へと向います。
その途中、ガイドさんが、「この場所からいい写真が撮れます」と教えてくれたのが、ここ↓
撮影ポイントから「月のピラミッド」を望みます。
「月のピラミッド」拡大したところ
テオティワカン遺跡のメインの建造物である「月のピラミッド」と「太陽のピラミッド」を俯瞰できる撮影ポイントです。
間近に見える「月のピラミッド」!
感動の瞬間です★
撮影ポイントから見た「太陽のピラミッド」
反対方向を見ると、真っ直ぐに伸びる「死者の道」と、その向こうに「太陽のピラミッド」が見えます。
遠目に見てもかなり巨大!
「月のピラミッド」へ向かって歩きます。
ひと通り写真を撮り終えた後、「月のピラミッド」へ向かって歩き始めます。
まだ午前中のせいか、観光客の姿があまり多くなく、ガランとしていて気持ち良いです♪
③月のピラミッド
かなり急な「月のピラミッド」の階段
「月のピラミッド」のふもとに来ました。
エジプトのピラミッドと違って、テオティワカンのピラミッドは上まで登ることができます。
ガイドさんの説明によると、「月のピラミッド」は「太陽のピラミッド」に比べて高さは低いですが、ひとつひとつの段に高さがあるため、登るのは「月のピラミッド」の方がキツいとのこと。
気合を入れて、さっそく登り始めます。
手すりに掴まりながら一段一段登っていきますが、登りがキツいことに加え、高度2,000m以上の標高のため、かなりキツイ(汗)
しかも、傾斜が急なので結構怖いです。
「月のピラミッド」の上から「死者の道」を望む
48段の階段を登り、なんとか階段の上の中層部までたどり着きました〜。
階段の上からは、「死者の道」といくつもの祭壇、そして、向こうに「太陽のピラミッド」が見えます。
壮大な「古代都市テオティワカン」の風景です★
「月のピラミッド」の上の方は立ち入り禁止
中層部の上にも階段がありますが、登ることができるのはここまで。
ガイドさんによると以前は頂上まで登れたそうですが、欧米人の旅行者が転落死する事故が起こり、その事故の後、登ることが禁止されてしまったのだとのこと。
「月のピラミッド」の上からの眺め。眼下に見えるのは「月の広場」
「月のピラミッド」は、底辺152m×132m、高さ43mの、テオティワカンで2番目の大きさの建造物。
日本人考古学者「杉山三郎」氏による発掘調査で、2世紀から7期に渡って増改築されたことがわかっているそうです。
発掘調査では、ピラミッド内部から生贄の埋葬跡が見つかっていて、「月のピラミッド」が生贄の儀式の舞台だったことが判明しているとのこと。
また、副葬品には、翡翠製品も見つかっており、これはマヤとの交易があったことを示唆するものであると考えられているそうです。
「月のピラミッド」をはじめ、テオティワカンの建造物は、すべて、「タルー・タブレロ様式」という建築様式で建てられています。
これは、傾斜した壁(タルー)に、枠付きの垂直の壁(タブレロ)を交互に積み上げていくという、メソアメリカ地域全土に普及した建築様式で、テオティワカンが起源であると考えられています。
階段を降りていきます。
ひと通り説明を聴き、写真を撮って、雄大な風景を堪能した後、階段を降りていきます。
下りはそれほど怖くはなかったです。登りの5分の1くらいの時間で降りることができました。
④⑤ビューマの壁画と死者の道
「死者の道」
「月のピラミッド」を降りた私たちは、「死者の道」を通って、南東に位置する「太陽のピラミッド」へと歩き始めます。
「死者の道」は、テオティワカンを南北に走る全長3,316m、幅40〜60mの大通り。
「死者の道」と言う名前は、テオティワカンを発見したメシカ人(アステカ人)が、通りの両側に並ぶ建物を墓と誤解したことから名付けられたのだとか。
ちなみに、「月のピラミッド」や「太陽のピラミッド」もメシカ人が名付け親で、テオティワカンに暮らしていた人々が呼んでいた本当の名前はわかっていないそうです。
この「死者の道」、実は、北から東の方向に15度30分だけ傾いているのだそう。また、道は北端と南端で2.7mの落差があって穏やかに傾斜しているのだとのこと。
「死者の道」と直角に交わる道があったこともわかっているそうです。
これらの道の配置や角度のズレが何を意味しているのかは判明していないそうですが、天体の星と関係があるのでは、と考える学者もいるそうです。
ピューマの壁画
「月のピラミッド」のある「月の広場」の角に「ピューマの壁画」があります。
「ピューマの壁画」は、当時の場所に位置し、当時のままの色彩が残っているという貴重な壁画。
ピューマの後ろに見える赤と白の線は稲妻で、下にある二重丸は雨粒を表しているのだとか。
当時、テオティワカンには、このような壁画がたくさん描かれていたそうです。
「死者の道」を歩く。向こうに見えるのは「月のピラミッド」
「死者の道」を引き続いて歩き、「太陽のピラミッド」を目指します。
日差しが結構強いですが、標高が高いせいか、そこまで暑さはありません。
来た道を振り返ってみると、向こうに「月のピラミッド」の姿が!
そして、その背景には、神聖な山とされた「セロ・ゴルド山」の稜線が見えます。
「太陽のピラミッド」が見えてきました。
さらに歩いて行くと、左手に「太陽のピラミッド」の姿が見えてきました。
ピラミッドの頂上にたくさんの人影が見えます。
いよいよです!
⑥太陽のピラミッド
「太陽のピラミッド」に登る
「太陽のピラミッド」の前で、「これから1時間、自由時間です」とガイドさんに言われます。
ガイドさんはふもとに残り、自分たちだけで「太陽のピラミッド」に登ることになります。
テオティワカン遺跡最大の建造物「太陽のピラミッド」
「太陽のピラミッド」は、テオティワカン遺跡最大の建造物。
底辺は224m四方、高さは64mで、メキシコ盆地で最大のピラミッドです。
エジプトのクフ王のピラミッドに比べて高さは半分くらいですが、基底部の面積はほぼ同じくらい。
体積で見ると、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドに次ぐ、世界第3位の大きさなのだとか。
建造されたのは紀元1世紀。その後、100年〜250年の間に古いピラミッドを覆うように次々と新しいピラミッドが造られていったそうです。
「太陽のピラミッド」
テオティワカンを発見したメシカ人(アステカ人)は、↓のような神話を残しています。
自らを犠牲にして人間や植物を創り出した神々は、次は太陽を創ろうと考え、テオティワカンの地に集まりました。
太陽の候補として二人の神が選ばれます。選ばれた彼らは太陽になるために苦しい修行を始めます。
他の神々は、修行する彼らそれぞれのためにピラミッドを建ててあげました。
何日か後、修行を終えた二人は、太陽となるために燃え盛る火の中に身を投じ、二人の神は、それぞれ、太陽と月になりました。
しかし、二人の神は死んでしまったため、太陽と月は止まったまま。
そこで、残った神々は、太陽と月を生き返らせるために、皆で身を捧げて死ぬことを選んだのです。
すると、太陽と月は現在のように動き出したのです。
太陽と月を動かすためには、人間も神々のように犠牲にならなければならない。
そんな考え方のもとで生贄の儀式が生まれたのだと、メシカ人(アステカ人)たちは考えていたようです。
ですが、このピラミッドを造った「テオティワカン人」たちが、どのような考えでこのピラミッドを造ったのかは、わかってはいません。
「太陽のピラミッド」を登る
さて、「太陽のピラミッド」に登りましょうー!
ピラミッドの大階段は4箇所あり、ピラミッドは5層になっています。
階段の段数は248段。階段はかなり急で、2000m以上の高地でもあるので、息が切れます(汗)
きつかったですが、休み休みしながら、なんとか頂上まで到達しました★
↓が「太陽のピラミッド」頂上の様子です。
「太陽のピラミッド」の頂上
「太陽のピラミッド」から「月のピラミッド」を眺める
「太陽のピラミッド」の頂上からは、「死者の道」と「月のピラミッド」、そして、雄大なメキシコ高原の風景と、その向こうに聳える「セロ・ゴルド山」が見えます。
絶景です!
「太陽のピラミッド」からの眺め
頂上は風が結構強いです。
寝転んでピラミッドパワーをチャージする人々
おんぶして記念撮影
頂上は結構広くて、大勢の観光客がおりました。
「太陽のピラミッド」の頂上は、まさに”パワースポット”な場所。
ピラミッドパワーをチャージしているのか、地面に突っ伏して寝ている人や、両手を上げてパワーを吸収しているらしき人もたくさんいました。
訪問した午前は比較的観光客が少ない時間帯だそうですが、午後はもっと人が多くなるそうです。また、日曜日はメキシコ人は入場無料なため、かなり混雑するのだとのこと。
「太陽のピラミッド」を降りる
さてさて、雄大な景観を楽しみ、ピラミッドパワーを十分にチャージ完了したところで、下山します。
上から眺めると、そろそろ観光客の数が増えてきているのがわかりました。
●ケツァルコアトルの宮殿
今回は訪問しませんでしたが、テオティワカン遺跡の南端には、「ケツァルコアトルの神殿」という遺跡が残されています。
200年頃に建造された神殿で、一辺65m、高さは20m。神殿の四方は城壁に囲まれており、ケツァルコアトル(羽毛の蛇、水と農耕の神)やトラロック(雨の女神)などの神々の像で装飾されています。
「ケツァルコアトルの神殿」は、保存・修復中のため、城壁の外からの見学しかできません。
ただし、メキシコシティにある「国立人類学博物館」に、この神殿の実物大のレプリカが展示されていて、彩色された当時のままの姿を見ることができます↓
「ケツァルコアトル神殿」のレプリカ
「ケツァルコアトル(羽毛のある蛇神)」
「国立人類学博物館」の記事はこちら↓
テオティワカン遺跡のパノラマ
壮大な規模を持つ「古代都市テオティワカン(テオティワカン遺跡)」
この都市は、8世紀に滅亡します。
滅亡の原因としては、人口の急増や干ばつによる農業の不作、外敵の侵略、内乱などが考えられていますが、文字記録をほとんど残さなかったため、謎に包まれたままだそうです。
また、都市の滅亡後、テオティワカン人たちがどこに消えてしまったのかということも、解明されていないそうです。
遺跡の壮大さと、失われた文明の歴史ロマンを堪能した後、ガイドさんと共に車に乗ってメキシコシティへと戻ります。
ガイドさん、遺跡の説明はもうちょっと詳しくして欲しい気がしたけど、行き帰りの車の中では、メキシコでの生活のことや、おすすめなお店、日本人の口に合うメキシコ料理、ルチャ・リブレの観覧方法や治安のことなど、いろいろ教えていただきました。
個人で行くよりは高くつくけど、時間が限られている方、日本語でテオティワカンの説明を聞きたい方は、ツアーに申し込むのはアリだと思います。
テオティワカン遺跡は、素晴らしかったです★
メキシコシティに訪問するのなら、訪問はマストです!
◆「テオティワカン遺跡(Pre-Hispanic City of Teotihuacan)」
- アクセス:メキシコシティ北方面バスターミナルから「Autobus San Juan Teotihuacan」のバスで「Los Piramides」下車。所要1時間(42ペソ)。
- 公開時間:7:00〜17:30
- 入場料:59ペソ
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