台湾を代表する景勝地「太魯閣(タロコ)峡谷」
大理石の岩盤を「立霧渓」という川が侵食して形成された大峡谷は、国家公園にも指定されています。
国家公園に指定された峡谷は、総面積9万2,000ヘクタールにもおよび、川に沿って作られた「東西横貫公路」が峡谷を縫うように走っています。
この「太魯閣峡谷」をタクシーをチャーターして観光しました!
ドライバー兼ガイドの蘇さんの車で出発
6時に起床。
昨日の夜に予約していたドライバー兼ガイドは、7時20分に宿に迎えに来てくれることになっています。
この日のスケジュールは、午前中に「太魯閣峡谷」を観光し、その後、海沿いの「七星潭」に立ち寄った後、午後は、光復という町の部落で行われるアミ族の豊年祭を見るという流れ。
宿の部屋から外を眺めると、花蓮の街は朝からカンカン照り!
今日も暑くなりそうです。
朝食は、宿のおばちゃんに教えてもらった近くのビーフン屋でビーフンを食べました(25元:68円)。
味は、まあまあ。
そうこうしているうちに、ドライバー兼ガイドが宿に到着しました。
ドライバー兼ガイドの名前は、蘇さん。
50代後くらいのおじさんです。
挨拶もそこそこに、さっそく、出発です!
ドライバーの蘇さんは、日本語がベラベラ。
日本にも行ったことがあるそうです。
よく喋る方で、ダミ声でいろいろ説明してくれます。
「太魯閣峡谷」に行く途中に、蘇さんの会社に立ち寄りました。
蘇さんは、ここで石材店を営んでいて、その社長さんだそうです。
そういえば、宿のおばちゃんが「社長さんに・・・」「社長さんが・・・」とか言っていたのを思い出しました。
太魯閣峡谷の入り口に到着
会社を出てしばらく走ると、太魯閣峡谷の入り口に到着しました。
ここまでは平地の広々とした道路。ここからは、峡谷の断崖沿いの山道を走ります。
入り口には石碑が立っていて、アミ族の民族衣装を着た人がいました。
とりあえず、車を降りて石碑の写真をパシャリ!
さて、車に乗り込んで先へと進みます。
道はかなり狭く、対向車が来ると路肩に寄せてやり過ごす必要があります。
蘇さんの話だと、このため、午前の早い時間に行かないと帰りの車とバッティングしてしまい、なかなか進まなくて大変なのだとのこと。
それと、この道「東西横貫公路」は、日本統治時代の1912年に建設されたそうです。
かつては、ここの先住民族のタロコ族が住んでいたそうですが、日本時代に平地に移住させられたとのこと。
この道の工事では、212名が殉職したそうで、その慰霊の場「長春祠」があります。
「寧安橋」で車を降り、遊歩道を散策
しばらく進むと、「寧安橋」という橋に到着しました。
ここで車を降りて、遊歩道を散策します。
「寧安橋」から遊歩道を歩く人たちを眺めます。
遊歩道の上は、ものすごい絶壁が広がっています。
「太魯閣峡谷」は、台湾屈指の観光地なので、団体ツアー客もたくさん訪れていました。
迫力のある断崖がすごい!「燕子口」
遊歩道散歩を終え、再び車に乗り込みます。
次に訪れたのが「燕子口」という場所。
岩壁に多くの小さな洞穴があり、無数のツバメが巣を作っているため燕子口と名付けられたのだそうです。
また、車を降りて歩き始めます。
そうそう、降りる前に蘇さんからヘルメットを渡されました。
ここから先は、落石の危険があるので、ヘルメット着用が必須だそうです。
太魯閣峡谷一の景観を誇る「九曲洞」
清流の音を聞きながら歩いて行くと、「九曲洞」があります。
「九曲洞」は、曲がりくねったトンネルが9箇所ある場所で、「太魯閣峡谷」の中で最も景観が素晴らしいとされているところです。
「緑水」です。
ここには、カフェや土産物屋、トイレなどもあって、ここでしばらく休憩することにします。
蘇さんがコーヒーをご馳走してくれました。
コーヒーを飲み終えた後、「慈母橋」に行ってみます。
真っ赤な橋と慰霊碑のある「慈母橋」
「慈母橋」は、総大理石造りの橋。橋としては1595年に架けられたのが最初だそうですが、1990年に洪水で流され、今の橋はその後新たに作られたものだそうです。
名前の由来は、台湾初代総統の蒋介石が、母を記念して造ったことによるとのこと。
橋のたもとには、「慈母亭」があります。
「慈母亭」は、蒋介石の生母、王太夫人を記念した建物です。
「緑水」からさらに進むと、食事処や宿泊施設のある「天祥」というところがあり、七重塔の「天峯塔」や「祥徳寺」というお寺などがあるそうですが、そろそろ戻らないと時間がありません。
車に戻ると蘇さんに「急がないと」と急かされました。
すぐに車で出発。
案の定、帰りの道には車の量が多くなってきていました。
ランチは、蘇さんの会社でお料理を用意してくれるそうです。
旅行時期:2013年8月
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