アラビア半島南端にある「イエメン」
中世のアラブの風情を色濃く残すこの国。白い漆喰でデコレーションされた高層の建物が建ち並び、アラブ風の長衣を纏った男性の腰には、日本のサムライのように刀が差してあります。
そんなイエメンの町や風景をご紹介します。
今回は「ロックパレス」です!
フォトジェニックなイマーム・ヤヒヤの夏の離宮「ロックパレス」
ワディ・ダハールにある「ロックパレス」
サナアから車で20分、ワディ・ダハールにある「ロックパレス」
「ロックパレス」は、ザイド朝のイマーム・ヤヒヤの夏の離宮だった建物です。
「ロックパレス」の建造は意外と新しく、1930年代だそうです。
このロックパレスの写真、イエメン紹介のパンフレットやガイドブックには必ず使われています。
写真見ただけで「オッ!」となるキャッチーな姿ですね。こういうわかりやすいスポットがあると、観光客が集まりやすいです。
ロックパレスから眺めたワディ・ダハールの風景
ロックパレスからワディ・ダハールの風景を眺めます。
周りは荒涼たる岩山ばかりですが、この辺りは緑が豊か。
イマームもこんな豊かな景観が気に入って、ここに離宮を建てたのでしょうね。
ここの標高は約2,400mです。
ロックパレスのステンドグラス
ロックパレスのカマリア窓に嵌められたステンドグラスです。
イエメンにはもともとステンドグラスはなく、ヨーロッパから地中海経由で伝わったものなのだそうです。
昔は円くガラスのないカマリア窓が主だったとのこと。
この「ロックパレス」では、金曜日になると「ジャンビーア・ダンス」という民族舞踊を見ることができるそうです。
「ジャンビーア・ダンス」とは、男たちが「ジャンビーア」という刀を振りかざして踊る勇壮なダンスのこと。「ジャンビーア・ダンス」は、結婚式のときなどによく行われるそうです。
上の絵は、よく見かけるイエメン人の男性と女性の服装です。
男性は頭に赤白のターバンを巻いて、長衣(ソウブ)を纏っています。よく見かけるのが、この上に背広を引っ掛けている姿。グレーや茶色の地味な背広が多いです。
腰には、「ジャンビーア」という短刀を常に差しています。
カートをいつも持っていて、よく噛んでいます。サナアではあまりいませんでしたが、地方ではライフルを手にした人を多く見かけました。
女性はほぼ全員黒尽くめのアバヤを身に纏っています。この絵のように目だけ見える人だけでなく、目すら薄い布で隠している人もいます。だけど、そもそも街で女性の姿はあまり見かけません。
「ジャンビーア」は誰もが差しているというわけではないらしく、「カビーリー」という正統の血統を持った部族民だけが差すことを許されるのだそうです。
カビ―リーは自分たちの名誉と血統を汚すことは許されません。自分を律することの出来る一人前の戦士の証としてこの「ジャンビーア」を差すのです。刀を帯刀する江戸時代のサムライに似ています。
「ジャンビーア」は誇り高きイエメン戦士の象徴のようなもので、かつては、一度抜いたら相手を倒さなければ鞘に納めることができない、そんな物だったそうです。
けれども、現在では安全のため刀の刃は潰されてしまっているらしく、実用性はほとんどないのだとのこと。
ただし、学校や映画館、空港など一部の施設では「ジャンビーア」の持込が禁止されているようです。
この「ジャンビーア」、いくつか種類があるそうで、イスラムの法学者と部族民では刀の形が違うらしいです。
部族民の刀は鞘の先端がレの字に曲がった「アシーブ」という刀を差します(あのレの部分に買い物袋を引っ掛けている人も見かけました)。
法学者はレの字型に曲がらない「トゥーザ」という刀を差すようです(トゥーザを差している人はあまり見かけませんでした)。
いずれも、この刀にはかなりのお金を掛けるそうで、サナアの市場にはジャンビーアを売る店がたくさんあり、高価なジャンビーアも売られています。
刃は潰れているのであまり価値はなく、柄や鞘の材質、装飾の出来不出来が、いいジャンビーアかそうでないかの判断基準になるのだとのこと。
いい「ジャンビーア」になると、銀で造られていたり、細かな装飾が施されていたりします。
最も高級であるといわれるのは、アフリカ産のサイの角で柄が造られているものだそうです。高いものだと日本円で何百万もするのだとのこと。
イエメン女性は黒尽くめがほとんどですが、こんな姿の女性もよく見かけます(左の絵)。
ベールに赤い目玉模様が付いています。この目玉模様には魔除けのような意味合いがあるそうです。
右は砂漠の摩天楼都市「シバーム」で見かけた女性の姿です。テンガロンハットのような帽子を被って農作業をしていました。この帽子はハドラマウト地方独特のものだそうです。
黒づくめの格好は、傍目にはかなり暑そうに見えますが、着ると意外と風通しが良く、涼しくて快適であるという話も聞いたことがあります。
旅行時期:1998年3月
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