インドのチベットと言われる「ラダック地方」は、インド北西部、ジャンムー・カシミール州のヒマラヤ山脈に囲まれた標高3,000mを越える高地にあります。
ラダックでの主な見所は「ゴンパ(僧院)」です。バスやタクシーに乗って方々に点在するゴンパを見て回るのがラダックの楽しみ方。
レーから西へ。インダス川沿い下流の地域は「下ラダック」と呼ばれます。
険しい峡谷の広がる「下ラダック」には、「上ラダック」に勝るとも劣らない魅力的なゴンパがいくつも点在しています。
今回は、「下ラダック」のゴンパ巡り。「リキール・ゴンパ」と「リゾン・ゴンパ」をご紹介します。
レーから西へ。「下ラダック」のゴンパを巡る
「下ラダック」の雄大な風景
「下ラダック」はバスの便がよくないため、ジープタクシーを1日チャーターして周ることにしました。
タクシーオフィスで訊くと、「リキール・ゴンパ」「アルチ・ゴンパ」「リゾン・ゴンパ」の3つの周遊で1,800ルピー(4,860円)であるとのこと。
インドの物価を考えると結構な値段ですが、この値段はタクシーの組合で定められている料金なので適正な料金です。
タクシーの運ちゃんは、口髭を生やした無口なナイスガイでした。
こちらから話し掛けないと何も話さず、その返答も必要最小限のものでしたが、いつも笑顔でした。
この日一日、荒涼たる下ラダックの大地をお兄ちゃんとランデブーです。
さて、出発です!
「下ラダック」の景観
レーを出発し、インダス川沿いを西へ。
無口な兄ちゃんの運転で右へ左へと体を揺らしながら、街道をひた走ります。
道中に見える「下ラダック」の景観は、まさにダイナミックのひとこと!
高度は3000mとレーよりも低いのですが、起伏に富んだ景観は見ていて飽きることがありません。
本当に素晴らしい風景でした!
光り輝く「チャンパ大仏」(弥勒菩薩像)が鎮座する「リキール・ゴンパ」
遠くに「リキール・ゴンパ」が見えます。
レーから約60キロ、街道から少しそれた岩山の谷間に、ゴンパが聳え立っています。
真っっ青な空と目まぐるしく形を変える雲の下に佇む僧房。
「リキール・ゴンパ」(Likir Gompa)です。
「リキール・ゴンパ」
「リキール・ゴンパ」はゲルク派のゴンパ。この辺りでは最も大きなゴンパのひとつです。
11世紀の創建と伝えられ、座主はダライ・ラマ14世の弟、ンガリ・リンポチェ。
約80名ほどの僧がここで修行をしているとのこと。
青空の下で光り輝く「チャンパ大仏」(弥勒菩薩像)
「リキール・ゴンパ」で目を引くのが「チャンパ大仏」(弥勒菩薩像)。高さ22.5mもある仏像で、建造は1998年と比較的新しいものです。
内部にはたくさんのお経が入っているのだとのこと。
大きな台座に腰掛けた「チャンパ大仏」
大きな台座に腰掛けた「チャンパ大仏」
チャンパ大仏は、微妙なしかめっ面をしながら遠くを見つめていました。
蒼く吸い込まれそうな空、燦燦と降り注ぐ陽光。それを浴びてキラキラと輝く金ピカのチャンパ・・・。
最高にシュールな光景です。
「リキール・ゴンパ」のお堂
「リキール・ゴンパ」には、いくつか見学できるお堂があります。
サングラスを掛けた若いお坊さんの案内のもと、それらを見て周りました。
お堂の内部です。 お堂には極彩色の派手な壁画が一面に描かれておりました。
古ぼけたタンカがいくつも垂れ下がっています。
古ぼけた貴重なものと思われるタンカや曼荼羅が、いくつも垂れ下がっています。
古色蒼然たるお堂の内部ですが、初めて訪れたのに、なぜか懐かしいような雰囲気。
「リキール・ゴンパ」には、自分以外、旅行者はひとりもいませんでした。
鬼の形相をした男女交合の仏画
男女交合の仏画
壁画には様々な仏教説話や行者などの伝説が描かれていましたが、 中でも興味深かったのが男女交合の仏画です。
多くの手を持った鬼の形相をした仏が女性を抱いているこの図。
キリスト教やイスラム教などでは考えられない世界がここには広がっていました。
極彩色の「リキール・ゴンパ」の仏画
インド後期密教から派生したチベット仏教では、性行為を使う瞑想法が実践されていたそうです。
ヨーガ瞑想法の発展により、性秘儀はタブー視から解放されました。
体にある「チャクラ」に神経を集中し、そこに集まったエネルギーを頭頂に導くことで、「梵我一如」(ぼんがいちにょ)へと達することができるといいます。
そのエネルギーを得るには、性秘儀によって下半身のチャクラを熱することが効果的と考えられたのです。
しかしながら、出家者が性行為をすることは戒律に反します。
けれども、悟りを得るためには性行為が必要。
そのため、ゲルク派の開祖ツォンカパは、イメージだけで性行為を行うことを定めたのだそうです。
「リキール・ゴンパ」の仏像
それにしても、俗の極致ともいえる性行為を聖なるものへと転化させるそのコペルニクス的転換には驚かされます。
私たち凡庸なる民にはちょっと理解が難しいです。
けれども、このあまりにあからさまな壁画を見ていると、
「果たして凡庸なる民はこの壁画を見て真の意味を理解できるのだろうか。間違った解釈をしはしないだろうか」 と、余計な心配をしたくなってきます。
聖の極致に誘われるか、俗の極致に転落するか。 まさに紙一重の絵と教えです。
ゲームをする「リキール・ゴンパ」の僧たち
ひと通りゴンパを見学し終わった私は、石段に腰掛け昼飯を食べることにしました。
巨大な金ぴかのチャンパ仏を眺めながら、レーの町で買った「ジャーマン・ベーカリー」のパンを頬張ります。
ジープタクシーの兄ちゃんはいません。
彼とは1時間後にゴンパの前で待ち合わせという約束をしてあったのです。
青い空、深閑とした谷間を眺めつつ耳を澄ますと、子供たちのざわめきが聴こえてきました。
隣に小坊主らの学校があるのです。ちょっくら覗いてみると・・・、広い中庭に袈裟を着た坊さんの姿がたくさんありました!
ワラワラと小坊主が寄ってきます。ゲームをしてはしゃいでいる若い僧たちがいます。サングラスを掛け私の姿をじっと見つめる老僧がいます。
「リキール・ゴンパ」の「チャンパ大仏」
子供たちとじゃれ合いながら、ふと僧坊の方を眺めると・・・、
青空のもと、金色のチャンパ大仏がにこやかに微笑んでいるのが見えました!
「リゾン・ゴンパ」最も戒律の厳しいと言われるゲルク派のゴンパ
「リゾン・ゴンパ」
人里離れた山の中、灰色の岩山に囲まれた「リゾン・ゴンパ」(Rizong Gompa)は、まさに修行の場と呼ぶにふさわしいゴンパです。
ゲルク派のこのゴンパは、ラダックでも最も戒律に厳しいゴンパなのだそうです。
創建は1840年。現在、約100名ほどの僧が修行をしているとのこと。
ここは、写真家の藤原新也が「全東洋街道」の旅において住み込み取材をした僧院としても知られています。
「リゾン・ゴンパ」と真っ青な空
僧坊は斜面に段々と建てられています。
白壁と茶色の窓枠のコントラストがシンプルで美しいです。
そして、その上に広がる、深く濃くあまりにも蒼い空。宇宙がもうすぐそこにあるのではないかと思えるほど濃厚で、しかも透明な空でした!
「リゾン・ゴンパ」の僧坊
例によりお坊さんに鍵を開けてもらいながら、いくつかのお堂を見て回ります。
しばらく壁画などを鑑賞していると、ゴンパには珍しいアーリア系のインド人の若者に出会いました。
袈裟を纏った若い僧と連れ立っている彼が話し掛けてきます。
話によると、彼はこのゴンパで小僧たちに英語を教えている教師なのだそうです。
彼が、一緒にいる僧と「下界へ行きたいので途中までジープに同乗させてはもらえないだろうか」と訊いてきました。
もちろん、ジープタクシーのお兄ちゃんがOKなら問題ありません。
結局、彼らは私たちのジープに同乗することになりました。
今日は休日のため、子供らの授業はお休みのようです。
彼も休息のため街へ繰り出すつもりなのでしょう。
私は、できれば平日に訪れ、子供らの学ぶ姿を見てみたかったなと思いました。
「リゾン・ゴンパ」と荒涼たる岩山
英語教師たちを途中で降ろした後、しばらくしてジープタクシーはレーに到着しました。ゴンパ巡りの終了です。
ちなみに、今回は、「リキール・ゴンパ」と「リゾン・ゴンパ」の他に、「アルチ・ゴンパ」も訪れました。
「アルチ・ゴンパ」は、ラダックにおける仏教美術の宝庫と言われるゴンパで、薄暗いお堂の中は、緻密に描かれた仏画で埋め尽くされていました。
しかしながら、「アルチ・ゴンパ」は、撮影が禁止されているので、写真を撮ることはできませんでした。
また、ゴンパとその周辺の風景が「まるで月面のよう」と言われる「ラマユル・ゴンパ」にも行きたかったのですが、時間と金額の都合で行くのを断念しました。
ラダックからの下山。再びバスで3日かけてデリーへ
ラダックの風景
夜、宿泊していた「ビムラ・ゲストハウス」で荷物のパッキングをしていました。
明日の早朝、再びバスに乗り、デリーへ向けて旅立つのです。
一週間と短い滞在ではありましたが、ラダックの雰囲気を充分満喫できました。
宿の老夫婦に、「一週間どうもありがとう」とお礼を言うと、2人は神様に向かって旅の無事をお祈りしてくれました。
彼らはキリスト教徒でした。
その昔、ドイツ人の宣教師が布教活動をしたことがあるそうで、少数ながらこの辺りにもキリスト教徒がいるのだそうです。
特におじいちゃんは熱心な信者らしく、私が宿のロビーで寛いでいるときなど、どこからともなくやって来て、延々とイエスの教えについて説明したものでした。
もちろん彼らの部屋の壁にはイエスとマリアの肖像が飾られていました。
おばあちゃんは優しい方で、ことある度に部屋に呼び、チャイをご馳走してくれました。
ラダックの羊の群れ
雄大な山並みを背景に草を食む馬
ロバも草を食んでいます。
標高3,000mを超えるラダックの景観
翌早朝、暗く寝静まった宿を私はそっと出て行きました。
真っ暗な通りは、ほとんど人の姿が見えません。風がとても冷たいです。
ラダックはもうすぐ長い冬に突入するのです。しばらくするとマナリからレーの街道も雪により閉鎖されるのでしょう。
バスターミナルには既に数人の乗客が待っていました。
ローブをしっかりと纏い、身を縮こまらせている人々。
これから3日間、旅の友となる人々の姿です。
そのうちバスが黄色いライトを照らしながらやってきました。
私は行きと同じようにバスの屋根の上に荷物を括り付け、ボロボロのバスの椅子に座りました。
運転席の上には神々しいシヴァ神の絵が飾られています。
運転手はヒンドゥー教徒のようです。
これから3日間、このバスと乗客はシヴァ神に守られることになるのです。
断崖絶壁の街道を行くトラック
バスは暗闇のレーを出発しました。
ラダックの美しい岩山風景を目に焼き付けておきたいところですが、窓の外は真っ暗で何も見えません。
傍らを見ると早朝の寒さと眠気により、周りの乗客は皆、瞼を閉じていました。
私もとても眠く、知らず知らずのうちに、コクリ、コクリと頭を揺らし始めてしまいます。
ラダックとのお別れの感慨に浸る間もなく、眠りに落ちていく私。
そして、再び、バスの中の人々はカーブの度にガンガンと窓ガラスへ頭をぶつけ始めました。
デリー到着は3日後。再び長く険しい行軍が始まったのです。
旅行時期:2003年9月
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