中国福建省の北西部にある永定県。
大都市「厦門」からバスで5時間ほど。山深い田舎道をバスで走っていくと、山間に大きな円形の建物がいくつも見えてきます。
「客家」と呼ばれる人々が建てた集合住宅「土楼」です。福建省永定県には、4000軒以上の土楼が建っているのだとのこと。
今回は、湖坑鎮洪抗村の土楼「振成楼」と「福裕楼」をご紹介します。
通称「土楼王子」とも呼ばれる客家土楼の代表作のひとつ「振成楼」
「振成楼」の外観
福建省永定県にある湖坑鎮洪抗村。この村は「永定客家土楼民族文化村」と呼ばれる土楼観光の拠点のひとつ。
洪抗村には、客家土楼の代表作「振成楼」があるため、客家土楼を見に来た旅行者の多くがを訪れます。上の写真がその「振成楼」です。
堂々たる外観! 「振成楼」は、通称「土楼王子」とも呼ばれているのだとか。
「振成楼」の祖堂
「振成楼」は、林仁山という人物が建てた二重円の土楼です。1912年から1916年にかけて建造されました。
土楼の外円部は4階建てで、祖堂のある内円部は2階建て。全部で208もの部屋があるそうですが、現在暮らしているのは、たった2家族。ほぼ観光用の土楼となっています。
外円部から祖堂のある内円部を見下ろす
「振成楼」のモダンな欄干
「振成楼」は、20世紀になって建てられたということもあって、かなりモダンなスタイルをしています。
写真の欄干の部分も、素材やデザインが、どことなく現代的な、ヨーロッパ風な雰囲気を感じさせます。
八卦図を踏襲した外円部
「振成楼」は、建物が八卦の考え方によって構成されていることでも知られています。外円部は八卦図を踏襲し、48の部屋が1卦6間のユニット×8に分かれています。
なお、卦と卦の間は防火壁で区切られているため、火事が起こっても建物が全焼することがなく、侵入者対策としても効果があったようです。
内円部の中にあった共同井戸
この村へはバイタクで訪れました。バイタクのお兄ちゃんと一緒にいくつもの土楼を巡ったあと、夜8時頃にこの村へと到着。
宿泊した宿は、この「振成楼」。「振成楼」は泊まることも出来るんです!
「振成楼」の宿代は、本来は30元だそうですが、宿の相場を知らなかった私は150元も払わされてしまいました(涙)
夕食と朝食も、この「振成楼」でいただきました。食事を出してくれたのは、林櫻元(Lin Ying Yuan)という名前のチャキチャキしたお姉さんでした。
タバコで儲けた三兄弟が建てた白壁の豪邸「福裕楼」
「福裕楼」の外観
川沿いに白壁の美しい豪邸があります。「福裕楼」です。
「福裕楼」は、「五鳳楼」と呼ばれる建築様式の建物。
いくつかの建物を口の字型に構成したのが「四合院住宅」。その四合院住宅の最後部の上堂にあたる主楼の高さを4,5階建てにして防衛力を高めたのが「五鳳楼」です。
「福裕楼」は、その五鳳楼の、上堂と下堂、横屋を口の字型に連結した方楼状となっていて、五鳳楼から方楼への過渡期にあたる建築スタイルとなっています。
豪華な「福裕楼」
「福裕楼」は、「振成楼」と同じ林氏の建造です。
1880年から建立を始め、10数万元の銀貨を費やし3年間で築き上げたそうです。「福裕楼」は、永定県では最もお金のかかった土楼といわれており、「振成楼」の約3倍の費用が掛かったのだとのこと。
「福裕楼」の入口
「福裕楼」の中庭
「福裕楼」のニワトリ
「福裕楼」を建造した林三兄弟は、清代の末期にタバコの生産で財を成した一族で、この辺りでは最も成功した一族であるそう。
彼らが生産した刻みタバコや葉タバコは、東南アジアや日本にまで輸出されたのだとか。
「福裕楼」の屋根
「福裕楼」の内部
「福裕楼」の内部です。細かな彫刻で装飾されていてとても豪華です。
「福裕楼」では、初老の男性が中国茶を出してくれました。
肌寒かったので、温かいお茶はうれしい!
「福裕楼」には旅行者の訪問ノートが置かれていました。中国人、日本人、韓国人のコメントが多かったですが、欧米人のサインやコメントもありました。
洪抗村の村の風景
「福裕楼」や「振成楼」のある湖坑鎮洪抗村の風景。この村には、他にもたくさんの土楼が建っています。
このあたりでは、どれもごく普通の民家。
洪抗村の村の風景
洪抗村の村の風景です。
洪抗村は、本当にのんびりとした村。中国のどこにでもありそうな田舎なのですが、所々に立派な土楼が建っているのが他の地域とは違うところ。
村はずれで行われていたロケ
村のはずれに行ったところ、巨大な水車があって、映画かドラマの撮影が行われていました。
洪坑村は、お店の数が少なく、「振成楼」の前に土産物屋兼食堂が数軒、雑貨屋が数軒あるほかは、何もありませんでした(2003年当時)。
世界遺産に登録された現在は、お店も多くなっているのかもしれません。
旅行時期:2003年1月
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