2003年5月から6月にかけて、ドイツの「フランクフルト(Frankfurt am Main)」から、チェコの「プラハ(Praha)」、ポーランドの「クラクフ(Kraków)」を通ってハンガリーの「ブダペスト(Budapest)」まで行きました。
クラクフでは、近郊にある「アウシュヴィッツ(Auschwitz)」にも訪れました。
フランクフルト、プラハ、クラクフ、ブダペストの街とアウシュヴィッツ強制収用所をご紹介致します★
ドイツ(フランクフルト)
ハウプトヴァッヘ(Hauptwache)から見た摩天楼
「フランクフルト」は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州最大の都市で人口は72万人。ドイツで5番目に大きな都市です。
フランクフルトの正式名称は、「フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)」
国際金融の中心地として知られ、欧州中央銀行を始め、ドイツ連邦銀行、フランクフルト証券取引所など、ドイツや欧州のたくさんの金融機関の本社があります。
また、フランクフルトは、交通の要衝でもあり、欧州最大のハブ空港のひとつであるフランクフルト空港や、ヨーロッパ最大級のターミナル駅であるフランクフルト中央駅があります。
写真は、フランクフルトの高層ビル群。フランクフルトは、ヨーロッパでは珍しく高層ビル群が形成されている街で、ニューヨークの“マンハッタン”をもじって、「マインハッタン」とも呼ばれているのだとか。
「レーマー広場」
こちらは、フランクフルトの歴史的スポット、旧市街の「レーマー広場」
左の3つの建物が14世紀に市庁舎として使われていたという建物で、レーマー(市庁舎)の建物には、EU、ドイツ、フランクフルトの3つの旗が掲げられています。
レーマー広場と大聖堂
「レーマー広場」の東側に並ぶ木組みの建物です。
近代的な建築物が並ぶフランクフルトですが、この広場は中世の面影を感じることができる場所。
左の奥に見える塔は、「大聖堂」(聖バルトロメウス教会)の西塔です。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われたことから、「カイザードーム(皇帝の大聖堂)」とも呼ばれているのだそうです。
フランクフルトのショッピング街
街の中心を東西に貫く歩行者天国「ツァイル(Zeil)」は、ドイツ最大級のショッピング街。
デパートやショッピングモール、映画館、レストラン、カフェなどがひしめき合っています。
ツァイルの歩行者天国
上の写真は、ツァイル沿いのショッピングモールの上から歩行者天国を眺めたところ。
ショッピングモールの雰囲気は日本とあまり変わらない感じ。
ランチは歩行者天国の露店で、生ビールとフランクフルトソーセージをいただきました♪
マイン川とマインハッタンの摩天楼
フランクフルトを東西に流れるマイン川。
向こうにマインハッタンの摩天楼と、右手に大聖堂が見えます。
移動のハブとして立ち寄っただけでしたが、建物や乗り物、売られている品物、そして、歩いている人まで、ドイツは全体的に四角くてがっちりしていて、造形が大き目の印象でした。
フランクフルトから列車でプラハへ
フランクフルトから列車でプラハへと向かいます。
ニュルンベルクやプルゼニを経由して7時間ほど。
チェコ(プラハ)
“百塔の街”プラハの風景
「プラハ(Praha)」は、チェコ共和国の首都で最大都市。人口は120万人。
14世紀、プラハは神聖ローマ皇帝カレル4世のもと、「黄金のプラハ」と呼ばれるほどの繁栄を謳歌しました。
街並みにはその当時の面影が今も色濃く残されています。
また、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロック、アールヌーヴォー、キュビズムなどあらゆる時代の建築様式が並び、「建築博物館」とも称されており、ヨーロッパで最も美しい街のひとつとして、世界中から観光客が訪れます。
もちろん、世界遺産に登録されています。
プラハの街並み
プラハは、ヴルタヴァ川(ドイツ語名モルダウ)を中心に広がる街です。
ヴルタヴァ川にかかるカレル橋
プラハの街を南北に貫いているのが「ヴルタヴァ川」(ドイツ語名モルダウ)。
その両岸、旧市街や新市街がある東側と、プラハ城や城下町であるマラーストラナ地区を結ぶ橋が「カレル橋」です。
神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1402年に完成しました。
橋の全長は515.7m、幅は9.5m、15のアーチがあり、橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいます。
夜のカレル橋から見たプラハ城
カレル橋は、自動車が通れない歩行者天国になっていて、橋の上ではミュージシャンや大道芸人がいて華やいだ雰囲気。
カレル橋から見た眺めは、プラハの街を代表する景観のひとつです。
日中の風景も美しいですが、ライトアップされた夜景もおすすめです♪
プラハの記事はこちら→プラハの春。歌に刻まれた歴史(マルタ・クビショヴァーの歌)【チェコ】
ポーランド(クラクフ)
クラクフの中央広場と織物会館
プラハからは、ポーランド南部にある街「クラクフ」へと向かいました(列車で6時間ほど)。
「クラクフ(Kraków)」は、かつてポーランド王国の王都だった都市で、ポーランドで最も歴史的な町としても知られています。
町の最盛期は「ヤギェヴォ朝」が統治した14世紀。
写真は、「クラクフ」の中央広場です。
クラクフの中央広場は、中世から残る広場としてはヨーロッパ最大といわれています。
真ん中に「織物会館」という、かつて織物を交易する場所だった2階建てのルネサンス様式の建物があります。
「織物会館」の内部
毎時ラッパが吹かれる「聖マリア教会」
広場に面して「聖マリア教会」があります。
1222年の創建、ゴシック様式です。
この教会には有名なお話があります。
かつて、ここをモンゴルが攻めた時、ラッパ吹きが教会の窓から襲撃を知らせました。
しかし、彼はラッパを吹き終わらないうちに喉を射抜かれてしまいました。
その悲劇を悼んで、「聖マリア教会」では、毎時、ラッパが吹かれます。
けれども、ラッパの音は、必ず途中で途切れるのです。
ヴァヴェル城
「ヴァヴェル城」はクラクフ旧市街の南、ヴィスワ川のほとりにあるレンガ造りの茶色の外観が印象的な、美しい王城です。
「ヴァヴェル城」は、北はリトアニアから南はバルカン半島・黒海に至るまで、東ヨーロッパの大半を占める広大な地域を支配した「ポーランド王国」の王宮であり、文化の中心地でした。
アウシュヴィッツ強制収容所
アウシュヴィッツ強制収容所
クラクフから西に約50キロ、「オシフィエンチム(Oświęcim)」はあります。
「オシフィエンチム」、ドイツ語で「アウシュヴィッツ(Auschwitz)」。
それは人類最大の悲劇である「ホロコースト」の象徴とも呼べる史跡です。
1938年から1945年にかけて、ナチス・ドイツはその占領下の土地からユダヤ人、ポーランド人、ロマ、共産主義者、同性愛者、反体制活動家などを捕らえ、各地に設けられた強制収容所へと送り込みました。
一説によると、この期間に約600万人の人間が命を奪われたとされています。
アウシュヴィッツ強制収容所の敷地内
敷地は、厳重に張り巡らされた有刺鉄線によって囲まれています。
当時ここには高圧電流が流されていました。
門から中を覗くとレンガ造りの建物が建ち並んでいます。
囚人棟です。
収容所内には28の囚人棟があり、一時は2万8千人もの囚人が収容されていたこともあったそうです。
「アウシュヴィッツ強制収容所」
かなり重い気分になる史跡ですが、人類の歴史を知る上で、訪れるべき場所だと思います。
「アウシュヴィッツ強制収容所」へは、クラクフ駅からバスで90分ほど。
バスは1時間に1本くらい出ています。
クラクフからブダペストへ向かう列車の車窓
クラクフの町とアウシュヴィッツを訪れた後、夜行列車に乗ってハンガリーの首都ブダペストへと向かいました。
ブダペストへは約12時間の行程です。
クラクフの記事はこちら→栄光と負の世界遺産「クラクフ歴史地区」と「アウシュヴィッツ」【ポーランド】
ハンガリー(ブダペスト)
首都ブダペストにある国会議事堂
ハンガリーの首都「ブダペスト(Budapest)」
南北を貫くドナウ河岸に開けた歴史ある町で、その美しさから”ドナウの真珠”とも称されています。
ハンガリーの政治・経済・文化の中心で、人口は174万人。東・中央ヨーロッパで最大の都市であるとのこと。
ブダペストは起伏の多い西岸の「ブダ」と、平坦な東岸の「ペスト」の二つに大きく分けられます。
写真は、ペスト側にあるハンガリーの国会議事堂。世界最大だそうです。
1885年に建設が始まり、完成は1904年。建設には約1000人が従事し、4000万個のレンガ、50万の宝石と40kgの金が使われたのだとのこと。
とっても豪華な国会議事堂です。
マーチャーシュ教会
ブダ地区にある「マーチャーシュ教会」です。
13世紀半ば、ベーラ4世によってゴシック様式の教会として建てられたのが始まりだそうです。
けれども、1526年にモハーチの戦いでハンガリー王国がオスマン帝国に敗れ、ブダペストがオスマントルコに支配されると、「マーチャーシュ教会」は、すぐさまモスクに改装されることとなりました。
当時、壁面に描かれていたフレスコ画は、イスラム教徒によって全て漆喰で塗り固められてしまったのだそうです。
ブダペスト中央市場
ブダペスト最大の市場「ブダペスト中央市場」
市場は、1階・地下1階が野菜や肉などの生鮮食料品売り場、2階がお土産物と軽食堂となっています。
ハンガリー名産の、フォアグラやキャビア、蜂蜜、トカイワインなども売られていて、お土産選びに最適な場所。
ブダペスト中央市場の記事はこちら→ブダペスト中央市場(ハンガリー・ブダペスト)【市場・バザール】
ゲッレールト温泉
ブダペストは温泉の街。
その歴史はローマ時代にまで遡ると言われます。
写真は、最も豪華で有名な温泉「ゲッレールト温泉」
1918年に建てられた「ホテル・ゲッレールト」の中にあり、波のプールや発泡風呂などもあります。
市内には、他にもたくさんの温泉入浴施設があり、それらを巡るのもこの街の楽しみのひとつです。
夕暮れのドナウ川とブダペストの街
「ブダ」と「ペスト」を結ぶ橋はいくつもありますが、そのうちで最も美しく、歴史的なのが「くさり橋」です。
ハンガリーの国民的英雄「セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵」によって1849年に建設されたこの橋は、ブダペストを象徴するような橋。
この橋の完成によって初めて「ブダ」と「ペスト」が結ばれたのだとのこと。
夜、ブダペストの街は華やかにライトアップされます。
深い群青色に染まったドナウの川面にくっきりと逆さに映し出している「くさり橋」。
この夜景こそブダペストの最高の見もののひとつ。
ロマンチックな気分に浸れます★
ブダペストの記事はこちら→『ドナウの真珠』ブダペスト街歩き。温泉に浸かり夜景を眺める【ハンガリー】
旅行時期:2003年5月・6月
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