ガンジスの河口に広がるデルタの国「バングラデシュ」(Bangladesh:বাংলাদেশ)
バングラデシュとはベンガル人の国の意味。カルカッタ(コルカタ)のあるインドの西ベンガル州と民族や文化は同じです。
人とリキシャでごった返すダッカの町と、川の国「バングラデシュ」の船旅をご紹介します。
今回はオールド・ダッカの街歩きです!
人々にじろじろ見られながら、ダッカの名所旧跡を巡ります
オールドダッカを歩く
ショドル・ガットで舟たちの喧騒を眺めた私は、ぶらぶらと歩きながら市内の名所旧跡を見て周ることにしました。
オールドダッカ、この細かい路地の続く迷路状の界隈には様々な店がひしめき合っています。この辺りにはヒンドゥー教徒が多いらしく、ヒンドゥー寺院があったり、シヴァ神など神様の絵を売る店、腕輪や金細工などを売る店がいくつもありました。
街中で行われていた牛の解体
そこを抜けしばらく歩いていると、牛の解体現場に出くわしました。牛が殺されているということはこの辺りはイスラム教徒の住むエリアです。ムスリム帽を被った人々が大勢、解体の様子を眺めています。
その後ろには瓦礫の山と黄色いショベルカーが見えます。建物の起工式でしょうか。
傍らにいた老人が言います。明日またここに来れば捌いた牛を食べることが出来るぞと。結局、私は牛を食べには来ませんでしたが。
ラールバーグ・フォート
開放的な「ラールバーグ・フォート」の庭園
オールドダッカの西の外れには「ラールバーグ・フォート」があります。「ラールバーグ・フォート」はムガル帝国支配時代の1678年に建設が開始された城砦です。
敷地内には広大な庭園が広がっていて、開放的でとても気持ちがいいです。オールドダッカの喧騒とはまさに別世界。
人々の視線とリキシャのベルから解放された私は、ほっとひと息吐いたのでした。
元来た道をしばらく東に戻っていくと雨が降ってきました。結構な大降りです!
私は「アルメニア教会」に入り、そこで雨宿りをすることにしました。
バングラデシュなのにアルメニア教会とは妙な話ですが、17世紀後半、祖国を追われたアルメニア人はこのベンガルの地にも移り住んできたのだそうです。現在でもその子孫のひとりがこの教会に住んでいるのだといいますが、あいにくこの日は不在だったため内部を見学することはできませんでした。
土砂降りの雨の中、中庭を見るとたくさんの墓石が置かれています。アルメニア文字で書かれたその墓石を眺めながら、17世紀当時にここで暮らしていたアルメニア人たちの暮らしぶりをふと、想像しました。
スター・モスジット
スター・モスジット
アルメニア教会の近く、路地を少し北へ進むと、ごちゃついた界隈の中に白亜のモスクが現れました。
「スター・モスジット」です。
広い中庭、リズミカルなアーチとその上に乗っかる半円形の5つのドームの姿が美しいモスク。ドームの表面には星の模様がつけられていました。
スター・モスジットのイスラムの子供たち
私は靴を脱ぎ、中に入っていきました。
ムスリム帽を被った可愛らしい少年が3人、私の後をくっついてきます。
内部は花や草木の模様が描かれた美しいタイルによって彩られていました。このモスクは日本とイギリスの援助によって造られたのだそうです。タイルの中には富士山の絵が描かれているものもありました。
タイルに描かれた富士山の絵
少年たちに「これは日本の山だよ」と説明すると、彼らは「ふ~ん」と、わかったのかわからなかったのかよくわからない顔をしてそれを見ていました。
周りにはムスリム帽を被った人が大勢いました。皆、真剣に祈っています。
子供たちがずっと付いてきました
バングラデシュは全人口の90パーセント以上がイスラムを信仰しています。バングラデシュはイスラム国家です。
隣国インドにもイスラム教徒は大勢おり、バングラデシュにもヒンドゥー教徒はいます。バングラデシュはイスラムを国教としていて、国や社会の公式行事ではイスラムの導師が現れコーランを朗誦したりするのだそうです。
バングラデシュは、国がイスラムを軸として動いているのです。
サモサ
街を再び歩いていると、通りの右手に「サモサ」をジュージューと揚げている店があります。
「サモサ」とは肉や野菜のカレー煮を小麦粉の皮で包みぱりぱりに揚げたスナックのこと。薄茶色のカラリと揚げられたサモサはいかにもうまそうです。
私はその店に入っていき、サモサとチャイを注文しました。サモサを食べながら啜る甘いチャイ。午前11時、これがブランチ代わりです。
むしゃむしゃと食べているとそのうち無数の視線が私を見ていることに気付きます。ここダッカでは外国人の姿をほとんど見かけません。私のような外国人は珍しいのです。
しばらくすると好奇心を抑えきれなくなった数人の人が近くに寄ってきて、いろいろと尋ね始めました。
好奇心いっぱいのダッカの人たち
傘屋とその仲間たち
ダッカの街を歩いていると、まるで有名人にでもなってしまったかのように人々から、あからさまにジロジロと見られます。
日本や他の外国では人をじっと見つめるのは普通は失礼なことであるとされていますが、ここではそうではないようです。ただし、多くの人はただジロジロと見ているだけ。
しかしながら、どこの世界にも積極的な人間はいるものです。たくさんの人の中から、必ずにこやかに手招きをする人が現れて、その人に付いていくと、たいていは親切なもてなしを受けることとなるのです。
この日も私は、フルーツ屋のおじさんに呼び止められてリンゴを貰い、傘屋のオヤジにはコーラとお菓子をご馳走になりました。写真は傘屋のオヤジとその仲間たちです。
旅行時期:2003年8月
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