「シリア」(Syria:سوريا)は、世界で最も古い歴史を持つ地域のひとつです。
世界史の主舞台として、アッシリアやペルシャ、ローマ、イスラム帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国など様々な国の支配を受け、近代になってからはフランスの植民地となりました。
そして、現在では内戦状態となり、テロとの戦いの舞台となっているシリア。ここは世界史の縮図です。
2003年、内戦が起こる前に訪れたシリアをご紹介します。
今回は、「アレッポ」についてご紹介します。
紀元前20世紀からの歴史を誇る「アレッポ」の街
「アレッポ」の街並み
「アレッポ」Aleppo (Halab):حلبは、シリア北部にあるこの国第2の都市で、世界でも最も古い町のひとつです。
紀元前20世紀にヤムハド王国の首都として栄えたという記録が残っています。
アレッポは、アラビア語では「ハラブ」といいます。「新鮮な乳」の意だそうです。
アレッポには、トルコから入りました。
イスタンブールからバスに乗って16時間、南部の町アンタクヤへ。そこからアレッポ行きの国際バスに乗って5時間ほど。
2003年のアレッポの街並み
アルファベット表記のイスタンブールと打って変わって、「アレッポ」はアラビア文字表記が主体。歩いている女性もみんな黒いヴェールを纏っています。
アレッポの街並み
アレッポの新市街
旧市街の路地
路地の風景
石畳の路地
木製の出窓がある家
アレッポの人口は、1999年の統計では170万人、シリア第二の都市です。
町は、新市街と旧市街にはっきりと分かれていて、旧市街は周囲5Kmの城壁に囲まれています。
町の見どころは、アレッポ城と旧市街のスーク、キリスト教地区など。
特産品として、アレッポ石鹸が有名です。
アレッポ城
「アレッポ城」
「アレッポ城」です。
「アレッポ城」は、世界で最古かつ最大の城の1つであると見なされており、紀元前三千年紀中頃には城砦の丘の利用がされていたとのこと。現在ある建造物は、12世紀末から13世紀にかけてのアイユーブ朝の時代のものです。
城の周りには深い堀が掘られています。正面にはいかにも頑丈そうな城門があり、その石組みはかっちりと精巧に組み合わされています。
この城門は、十字軍、モンゴル軍、ティムール軍など数々の侵略の手を防いできたのだとのこと。
正面から見た「アレッポ城」の城門
堀の外から門までは石橋の階段が緩やかに繋がっています。
階段の下から見上げる城の威容はドラマチックな感じ。軍楽隊のファンファーレが聴こえてきそうです!
城の内部は修復中でした。まるで、廃墟のような佇まいでしたが、城門だけは修復済みだったようです。
城門の上にある謁見ホールは、床がモザイクで敷き詰められ、アラブ式のランプが吊り下げられていて、天井や壁には幾何学的な装飾があり、ステンドグラスの窓からは鮮やかな光が差し込んでいました。
これぞイスラムって感じの美しいホール。残念ながら謁見ホールの写真はありません。
城の上からはアレッポの街並みが見渡せました。
アレッポの街並み
城壁の上からは、白っぽい乾いた色をしたアレッポの街並みが見渡せます。
ジャーミウの尖塔もドームも、ホテルや官庁の建物も、全てが白っぽい色。無数に走る黄色のタクシーだけがモノトーンのこの街に色を付け加えています。
カラフルなイスタンブールの町とは対照的な風景です。
欧米の華やかな色を取り入れたトルコ、伝統を守り続けるシリア。
色の少ないアレッポの街の眺めは、この国とここに生きる人々の暮らしぶりや思いを表しているかのようにも見えました。
アレッポ旧市街で出会った人々
お菓子屋さんのおじさんと「バクラヴァ」
ニコニコおじさんといかつい顔の店主
アレッポには、お菓子屋さんがたくさんあります。
お菓子屋さんには、蜂蜜漬けの甘いパイ「バクラヴァ」を始めとしたアラブスイーツがたくさん並べられており、食後はいつも立ち寄り、1つか2つ、買って帰るのが常でした。
写真は、お菓子屋のおじさんです。かなりのオーバーアクションで話しをするおじさんで、バクラヴァをサービスしてくれました!
旧市街の路地をぶらぶら歩いていると、しばしば子供と出会います。
青年たち。イスタンブールに比べて素朴な感じ
アレッポ城の上にいた少年
アレッポは、イスタンブールに比べ、穏やかで静かな街でした。
観光客もあまりいないため、観光客相手の物売りや客引きの姿も見掛けません。
人々はあまり向こうから話し掛けてこないのですが、こちらから話し掛けると道を案内してくれたり、注文する料理を教えてくれたりと、とても親切です。
旧市街の城壁の大理石の門
紅茶を飲む親子
喜捨を乞う盲目の人たち
後ろに見える木製の扉のデザインがいいです
アラブ喫茶店「マクハ」で水タバコ体験
アラブ喫茶店「マクハ」
マクハでは、男たちが日がなぼんやりと水タバコを吹かしながら、紅茶を飲み、バックギャモンなどのゲームに興じたり、会話を楽しんだりしていました。
お酒の提供はありませんが、日本の居酒屋のような雰囲気。アレッポに多く住むイスラム教徒はお酒を飲むことができないため、アラブスイーツを食べ、紅茶を飲み、水タバコを吹かします。
キリスト教徒地区でミサに参加する
キリスト教徒地区
アレッポには、キリスト教徒も大勢暮らしています。
シリアには様々なキリスト教の教派がいますが、アレッポにはアルメニア正教徒が多いそうです。
キリスト教徒といってもイスラム教徒のアラブ人たちと外見的にそんなに差異があるというわけではありません。街ではアラビア語を話し、大勢のイスラム教徒たちと何ら変わらない商売を行っています。
日曜日、街の北東の一角にあるキリスト教徒地区に入ると、教会の鐘の音色がところどころから聴こえてきます。
路地の奥には大きな教会があって、人々がぞろぞろと中に入っていくのが見えました。
中には大勢の信者が祭壇に向けて座っていました。
私は、入り口にいた神父に見学をしたい旨を伝え、一番後ろの椅子に腰掛けると、堂内の人々の様子を観察し始めました。
司祭による説教が始まりました。長々とした説教はちょっと退屈でしたが、周りの人々は真剣に耳を傾け頷いていました。
しばらくすると説教は終わり、若い神父が香を振り撒き始め、カンカンと小さな鐘が鳴らされます。そして、そのうち聖歌が始まりました。
「ハレルヤ、ハレルヤ・・・」。人々の唱和する美しい祈りの声。
私はそれを聴きながらイスラムの礼拝、サラートを思い出していました。前日、アレッポ城を下りた後、私は大モスク「ジャミア・ザカリ―エ」を訪れていたのです。
モスクではカフィーヤを被った人が、何度も立ったり跪いたりを繰り返し、目を瞑ってぶつぶつと呟きながらお祈りをしていました。敬虔なイスラムの神への祈り「サラート」です。
イスラム教徒とキリスト教徒が共存しているアレッポの町。
今のような状況になるとは想像もできませんでした。
夜のアレッポ
夜のアレッポ、時計塔
夜の路地を歩く
モスクの尖塔の灯り
オレンジ色の街灯に照らされた石畳
当時はとても治安がいい町でした。
夜の「アレッポ」
石畳の路地や建物がオレンジ色の街頭に照らされ、とても雰囲気があります。
薄い緑色を帯びた蛍光灯の灯りも味がある感じ。
夜のアレッポ城
ライトアップされていました
「アレッポ城」が見えます
夜、「アレッポ城」は、ライトアップされます。
オレンジ色のライトに照らされた城砦は、雰囲気抜群で、中世から続くこの城の歴史の重みを感じさせてくれるようです。
夜の旧市街で出会った少年たち
アレッポの少年たち
内戦前、アレッポはとても治安の良い町で、夜歩いても大丈夫でした。
アレッポの夜は早く、旧市街の路地などは、人っ気がほとんど無くなってしまいますが、子供たちが夜遅くまで遊んでいるのにしばしば出くわしました。
ハンマーム(アラブ風呂)
ハンマーム
夜、アレッポ城の近くにあるハンマーム(アラブ風呂)に行きました。
黒と白の大理石で出来た入り口は、電飾がチカチカと点滅しています。
中に入り階段を降りていくと、ジャーミウ(モスク)のドームのような屋根を持つ広い部屋が現れました。ここはハンマームのロビー兼、脱衣所兼、喫茶室といったような場所です。
大きな丸天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げられており、中央には噴水があります。アラブの伝統音楽がBGMとしてかかっており雰囲気は抜群です!
ここは庶民的なハンマームではなく、高級ハンマームなのでしょう。調度がそれなりに豪華です。
時間がまだ早いということもあるのでしょうが、客は私一人しかおらずガラガラでした。
受付で料金、410SP(997円)を払うと脱衣所で服を脱ぎ、前掛けを着けました。そして、湯気のもくもくとする風呂場へと入っていきました。
風呂場は大きなホールと、その回りのいくつもの小さな小部屋に分かれています。
小部屋の一つに入ってみました。どうやらここはサウナ室のようです。
サウナ室に入ると、係員によって、いきなり床に大量の水がぶちまけられ、室内は一気に湯気に包まれ、一寸先も見えなくなってしまいました。
部屋にミントの匂いが充満します。ミントサウナのようです!
ミントの香りを嗅ぎながら汗が流れるに任せます。いい気分です。何だか催眠術にかけられでもしたかのようにぼんやりとしてきます。
サウナを出てホールで水を被ったりしていると垢すり師が現れました。
垢すり師の指示に従ってうつ伏せになると、手に持ったスポンジを使ってものすごい勢いで私の体をこすり始めました。
「痛っっ!!!」
体全体をこすり終わると、今度は足や背中のマッサージです。
これはなかなか気持ちがよかったです。
ハンマームのホール
風呂からあがり、ホールでシャイをすすります。
シャイの甘さが体に沁み渡ります。
旅の垢を落とした私は、すっきりとした気分でハンマームを出ました。
大理石の出口を抜けると、目の前に夜のライトアップをされた「アレッポ城」が綺麗に光り輝いていました。
旅行時期:2003年5月〜6月
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