ラダック地方(Ladakh:ལ་དྭགས་)は、インド北西部、ジャンムー・カシミール州のヒマラヤ山脈に囲まれた高地にあります。
ここはチベット文化の西の端。インド領であるラダックは、中国のチベット本土よりも、その伝統文化が色濃く保持されているといわれている場所です。
今回は、リゾン・ゴンパです!
岩山の中にある「リゾン・ゴンパ」。ここは最も戒律の厳しいゴンパといわれています。ゴンパの上に広がる空は真っ青!
人里離れた山の中、灰色の岩山に囲まれた「リゾン・ゴンパ」(Rizong Gompa)は、まさに修行の場と呼ぶにふさわしいゴンパです。
ゲルク派のこのゴンパは、実際にラダックでも最も戒律に厳しいゴンパなのだそうです。
創建は1840年。現在、約100名ほどの僧が修行をしているとのこと。
ここは、写真家の藤原新也が「全東洋街道」の旅において住み込み取材をした僧院としても知られています。
僧坊は斜面に段々と建てられています。
白壁と茶色の窓枠のコントラストがシンプルで美しいです。
そして、その上に広がる、深く濃くあまりにも蒼い空。宇宙がもうすぐそこにあるのではないかと思えるほど濃厚で、しかも透明な空でした!
例によりお坊さんに鍵を開けてもらいながら、いくつかのお堂を見て回ります。
しばらく壁画などを鑑賞していると、ゴンパには珍しいアーリア系のインド人の若者に出会いました。
袈裟を纏った若い僧と連れ立っている彼が話し掛けてきます。
話によると、彼はこのゴンパで小僧たちに英語を教えている教師なのだそうです。
彼が、一緒にいる僧と「下界へ行きたいので途中までジープに同乗させてはもらえないだろうか」と訊いてきました。
もちろん、私としては、ジープタクシーのお兄ちゃんがOKなら問題ありません。
結局、彼らは私たちのジープに同乗することになりました。
今日は休日のため、子供らの授業はお休みのようです。
彼も休息のため街へ繰り出すつもりなのでしょう。
私は、できれば平日に訪れ、子供らの学ぶ姿を見てみたかったなと思いました。
英語教師たちを途中で降ろした後、しばらくしてジープタクシーはレーに到着しました。
ゴンパ巡りの終了です。
なかなか満足のいくツアーでした。
雄大で美しい風景と興味深いゴンパたち、黄金のチャムパ仏、極彩色の壁画。
真摯な老僧の姿、くったくのない小僧。そして、控えめだけど笑顔の素敵なジープタクシーのお兄ちゃん・・・。
「ダンニャワード!」
私は、握手をしながら兄ちゃんにお礼を言いました。
お兄ちゃんは口髭を揺らしながらはにかみます。去り際に手を振ると、彼は白い歯を出し、嬉しそうにニコッと笑いました!
ラダックからの下山。再びバスで3日かけてデリーへ
夜、私は宿泊していたビムラ・ゲストハウスで荷物のパッキングをしていました。
明日の早朝、再びバスに乗り、デリーへ向けて旅立つのです。
一週間と短い滞在ではありましたが、ラダックの雰囲気を充分満喫できました。
この宿にもずいぶんとお世話になりました。
宿の老夫婦に、「一週間どうもありがとう」とお礼を言うと、2人は神様に向かって旅の無事をお祈りしてくれました。
彼らはキリスト教徒でした。
その昔、ドイツ人の宣教師が布教活動をしたことがあるそうで、少数ながらこの辺りにもキリスト教徒がいるのだそうです。
特におじいちゃんは熱心な信者らしく、私が宿のロビーで寛いでいるときなど、どこからともなくやって来て、延々とイエスの教えについて説明したものでした。
もちろん彼らの部屋の壁にはイエスとマリアの肖像が飾られていました。
おばあちゃんは優しい方で、ことある度に部屋に呼び、チャイをご馳走してくれました。
羊の群れ
草を食む馬
ロバ
翌早朝、暗く寝静まった宿を私はそっと出て行きました。
真っ暗な通りは、ほとんど人の姿が見えません。風がとても冷たいです。
ラダックはもうすぐ長い冬に突入するのです。しばらくするとマナリからレーの街道も雪により閉鎖されるのでしょう。
バスターミナルには既に数人の乗客が待っていました。
ローブをしっかりと纏い、身を縮こまらせている人々。
これから3日間、旅の友となる人々の姿です。
そのうちバスが黄色いライトを照らしながらやってきました。
私は行きと同じようにバスの屋根の上に荷物を括り付け、ボロボロのバスの椅子に座りました。
運転席の上には神々しいシヴァ神の絵が飾られています。
運転手はヒンドゥー教徒のようです。
これから3日間、このバスと乗客はシヴァ神に守られることになるのです。
バスは暗闇のレーを出発しました。
ラダックの美しい岩山風景を目に焼き付けておきたいところですが、窓の外は真っ暗で何も見えません。
傍らを見ると早朝の寒さと眠気により、周りの乗客は皆、瞼を閉じていました。
私もとても眠く、知らず知らずのうちに、コクリ、コクリと頭を揺らし始めてしまいます。
ラダックとのお別れの感慨に浸る間もなく、眠りに落ちていく私。
そして、再び、バスの中の人々はカーブの度にガンガンと窓ガラスへ頭をぶつけ始めました。
デリー到着は3日後。再び長く険しい行軍が始まったのです。
旅行時期:2003年9月