「シアター・プノンペン」現代に生きるカンボジア人の心に眠る”あの時代”【映画】

シアター・プノンペン エスニック映画館
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カンボジアに咲いた”幻の映画”
それは夢と秘密にあふれていた
大弾圧の時代──
眩しく輝いていた母の恋 知られざる家族の事実
過酷な運命のなか半世紀を超えて
命を賭けて守り抜いた一本の映画とは

「シアター・プノンペン」(岩波ホール)

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カンボジア人にとってタブーとされる「クメール・ルージュ時代」をテーマとした作品

舞台は21世紀、現代のカンボジアの首都プノンペン

経済発展途上の熱気溢れるプノンペンで暮らす女子大生「ソポン」がこの映画の主人公です。

厳格な軍人の父親と病に臥せっている母親、小言うるさい真面目な弟に囲まれ、自由な性格のソポンはうんざりとした毎日を送っていました。

両親からお見合い相手を紹介されるも、気が進まないソポンは、不良のボーイフレンド「ベスナ」と夜遊びを繰り返す始末。

そんなある日、偶然訪れた、今はバイクの駐輪場となっている映画館の廃墟で、ソポンは思いがけないものを発見します。

スクリーンに上映されていた古い映画、そこには若き頃の美しい母親の姿が映っていたのです!

途中で途切れてしまったその映画の結末を知るため、そしてその映画を完成させるため、ソポンは奮闘します。

その過程で明らかになってきたのは、女優であった母親の姿と、国民の4分の1が犠牲になったというあの時代に起こった悲劇の事実でした。

 

「シアター・プノンペン」は、現代に生きるカンボジア人の「ポル・ポト時代」(クメール・ルージュ支配下)に対する心の葛藤を描いた作品。

カンボジア人監督がカンボジア人にとってタブーとされるテーマに正面から向き合った作品として、世界的に高い評価を受けている映画です。

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クメール・ルージュ支配下の暗黒の3年8ヶ月20日

ここで「ポル・ポト時代」(クメール・ルージュ支配下)について少し説明。

1975年4月17日、首都プノンペンは「ポル・ポト」率いる「クメール・ルージュ」によって制圧され、カンボジアはクメール・ルージュの支配下となりました。

極端な原始共産制を掲げるクメール・ルージュの政策により、以後3年8ヶ月20日の間、カンボジアは国民の4分の1を失う暗黒時代に覆われることとなります。

 

クメール・ルージュの支配下、国家機関、教育、医療、交通、文化、宗教など、あらゆる社会システムが破壊され機能を完全に停止しました。

都市の住民はすべて農村の強制収容所に送られ、強制労働をさせられ、思想改造の名の下で虐殺が行われました。

特に、教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者などの知識人は目の敵にされ、大量に殺害されたそうです(在外公館の外交官、職員も帰国を強制され帰国後全て処刑されました)。

Wikipediaには、クメール・ルージュが実権を握ってから2年弱の間に行った政策が記述されています。

  • 1975年4月17日、カンボジア民族統一戦線(ベトナム勢力を含むクメール・ルージュ)がプノンペン占領、クメール共和国(ロン・ノル政権)崩壊。同日ただちに国内のテレビ、ラジオ放送を停止し各家庭の電話機の没収、破棄、往来を禁じ応じない者はその場で殺害した。
  • 4月19日 午前10時半をもって全国の都市、農村からの待避という名目で強制徒歩移動しジャングル内にサハコーという強制収容所を建設させられる。立ち止まる。会話、声をあげて笑う、泣くとその場で家族ごと射殺した。
  • 1976年1月 全国をサハコー化。旧人類の全抹殺命令が実行される。

民主カンプチア – Wikipedia

クメール・ルージュ支配下の3年8ヶ月20日の間、国民の総人口の30%~40%、200万人以上とも言われる死者が出たと言われています。

プノンペントゥール・スレン博物館

 

上の写真は、プノンペンにある「トゥール・スレン博物館」です。

ここは、かつてクメール・ルージュの時代に強制収容所として使われた建物で、現在では博物館になっています。

隣の棟の壁には、ここに収容された人々の顔写真が一面に貼られていました。老若男女、子供の姿も多くあります。

この収容所には約2万人が収容されていたのだそうです。けれども、生存者はたったの6人!

その6人の解放当時の写真と現在の写真が並べられ飾られていました。

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スクリーンに映された母。40年前の「あの時代」とは?

プノンペン夜のプノンペン、独立記念碑

 

映画館(シアター・プノンペン)のスクリーンに上映されていた古い映画「長い家路」

シアター・プノンペンの主人である映写技師の話によると、主演女優の「ソテア」(ソポンの母)と主演の「ソカ」は、40年前、深く愛し合っていて、生き残ったらこの映画館で会おうと約束をしていたのだとのこと。

ソポンは、シアター・プノンペンの主人を「ソカ」だと信じ込み、彼と共に、失われたラストシーンを再現するため、大学の映画の講師やボーイフレンドの「ベチア」などの助けを借りて、自らが主演女優となり、撮影を始めます。

ソポンは、病に伏している母「ソテア」に生きる希望を与えたかったのです!

 

けれども、撮影が進むにつれ、次第に深く落ち込んでいくようになる「ソカ」

彼は過去を思い出していました。

女優「ソテア」との関係、過酷なクメール・ルージュ時代の経験、そして、自らの犯した過ちを・・・。

 

お見合いの約束をすっぽかしたソポン。

それに怒った軍人であるソポンの父である大佐は、ソポンが映画を撮影していることを突き止め、シアター・プノンペンに乗り込んできます。

大佐は、そこに飾られていたソポンの母であり、彼の妻である「ソテア」の映画のポスターを見つけると、ビリビリに破り捨ててしまいます。

あの時代、クメール・ルージュの時代、ソテアとソカ、そして、大佐との間に何かがあったのです!

 

ソポンは、病に伏している母ソテアに、あの時代の出来事について尋ねます。

そこで、ソテアが語った過去、それはソポンには思いもよらない衝撃的な事実でした。

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現代のカンボジア人と「クメール・ルージュ時代」

シェムリアップカンボジアの風景(シェムリアップ)

 

「クメール・ルージュの時代」、ほんの40年前のこの時代について、カンボジアの人々はあまり語りたがらないそうです。

国民のほとんどが身内や親族の誰かを殺され、虐殺を行ったクメール・ルージュ側の人間も社会の一員として現在も生活しています。

生き残るためにクメール・ルージュに加担しなければならなかった者も多く、加害者も被害者も深いトラウマを抱えながら生きており、なるべく「あの時代」について触れないようにしているのが現実なのだとのこと。

学校でも虐殺の事実は教えられるものの、詳細や真相については教えられず、それを知ろうという人も少ないそうです。

本作の監督「ソト・クォーリーカー」は、そんな現代カンボジアの人々に向けて、「過去を直視するべき」「歴史を理解するべき」というメッセージを伝えたいという思いから、この作品「シアター・プノンペン」を撮影したのだとか。

 

自らの過去に目を背けたままでは、前進して生きていくことはできません。

カンボジアではタブーとなっているこのテーマ。

クォーリーカー監督は、公開当初、人々に受け入れられるかどうか不安だったそうです。

けれども、この映画「シアター・プノンペン」はカンボジア国内で大反響を呼び、史上初めて5週間のロングラン上映となり、興行収入も歴代No.1を記録するヒット作となりました!

作品は、第27回東京国際映画祭 国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞。

第3回カンボジアタウン映画祭 最優秀作品賞、特別功労賞(ディ・サヴェット)、第17回ウディネ・ファーイースト映画祭 ブラックドラゴン賞、第5回カンボジア国際映画祭 タレント・アウォード(主演:マー・リネット)、第1回ASEAN国際映画祭&アウォーズ 助演男優賞(ソク・ソトゥン)など、多数の賞を受賞しています。

 

カンボジアの辛く悲しい歴史、それを抱えたまま生きている現代のカンボジア人の姿を描ききった映画「シアター・プノンペン」

ラストのシーン、それぞれの悲しみと苦痛と過ちとトラウマを抱えつつ、何とか折り合いをつけようと生きているソポンの母「ソテア」、父である大佐、映写技師のベチア(シアター・プノンペンの主人)の姿を見て、涙が止まりませんでした。

カンボジアに旅行に行かれる方、行ったことがある方はぜひ、見ておくべき映画だと思います。

キャスト

ソポン/『長い家路』の主演女優ソテア  :マー・リネット
ベチア(シアター・プノンペンの主人)   :ソク・ソトゥン
ソポンの母親              :ディ・サヴェット
ベスナ(ソポンのボーイフレンド)    :ルオ・モニー
大佐(ソポンの父親)                  :トゥン・ゾービー

スタッフ

監督/プロデューサー  :ソト・クォーリーカー

脚本/プロデューサー  :イアン・マスターズ

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