チベットの小さな村から聖地ラサ、そしてカイラス山へ。
はるか2400kmを“五体投地”で、 ほぼ1年かけて歩く11人の村びとのチベット巡礼旅。いまこの世界の中で、こころに響く。
シンプルに生きること。
聖地ラサ、そして、聖山カイラスまでの約2,400㎞の巡礼
チベット高原の東の端、カム地方のマルカム県プラ村。
標高4,300mの豊かな水源に恵まれた緑溢れる土地で、人々はヤクやゾなどの家畜を放牧し、バター茶やツァンパ、トゥクパを作って食べ、羊毛を梳き、糸を紡ぎ、仏様にお祈りをしながら日々を過ごしています。
物語は、ここに住む一家の家長「ニマ」(50歳)の家から始まります。
ニマの家に住む叔父の「ヤンペル」(70歳)は、死ぬ前に聖地ラサに巡礼に行きたいと願っていました。
ニマは、そんなヤンペルの願いを叶えるため、一緒にラサに巡礼に行くことを決意するのです。
ニマとヤンペルが巡礼に行くということが広まると、村人のいく人かが参加を申し出てきました。
巡礼の同行者は、ケルサン一家の長女で妊娠中の「ツェリン」、ツェリンの夫の「セパ」、ツェリンの妹の「ツェワン」、セパの弟の「ダワ・タシ」、ケルサン家の甥の「ワンギェル」
自宅の新築工事で死者を出した贖罪のため巡礼を希望した「ジグメ」、ジグメの妻の「ムチュ」、ジグメとムチュの末娘の少女「タシ・ツォモ」
家畜の解体を生業としており、殺生を重ねてきた罪滅ぼしのために巡礼を希望した「ワンドゥ」
総勢11人。
来年は、ちょうど聖山カイラスの巡礼年。
聖地ラサ、そして、聖山カイラスまでの約2,400㎞の巡礼が始まります!
映画「ラサへの歩き方〜祈りの2400㎞」は、彼ら11人の村人たちの巡礼の過程を描いたロード・ムービーです。
両手・両足・額の五体を地面に着ける”五体投地”で歩く
”五体投地”とは、両手・両足・額の五体を地面に着けて祈るチベット仏教の礼拝の方法です。
チベット仏教では、最も丁寧で信仰深い礼拝方法とされており、チベット文化圏では、この”五体投地”で巡礼を行っている人をたくさん見ることができます。
ニマたち11人の村人は、聖地ラサ、そして、聖山カイラスまでの約2,400㎞を、なんと!”五体投地”をしながら向かおうというのです!
五体投地のルール
- 合掌する
- 両手・両膝・額を大地に投げ出しうつ伏せる
- 立ち上がり、動作をくりかえして進む
- ズルをしないこと
- 他者のために祈ること
「ラサへの歩き方〜祈りの2400㎞」プログラム
五体投地
”五体投地”を行うときは、両手に木で作られたサンダルのようなものを嵌めます。
そして、両手でカチ、カチ、カチと三回叩いて、地面に突っ伏して両手・両足・額を着けるのです。
それを延々と繰り返しながら進んでいきます。
2,400㎞という距離、歩くだけでも大変なのに、”五体投地”をしながらなんて気が遠くなりそうです。
通常は、1日10㎞ほどしか進まないそうで、巡礼者たちは野宿をしながら聖地ラサや聖山カイラスを目指します。
”五体投地”による巡礼はチベットでは一般的な行為で、この映画のように何千キロもの行程を”五体投地”で歩く人はよくいるそうです。
マルカム県プラ村〜ラサ〜カイラス山(2,400㎞)
ニマたちの一年にも及ぶ巡礼の旅路。
スクリーンには、チベットの雄大な風景の中、延々と”五体投地”をしながら道を進んでいく村人たちの姿が映し出されます。
ちなみに、老人であるヤンペルと、妊婦のツェリン、そして、荷物を運ぶトラクターを運転する先導者のニマは、”五体投地”をせずに聖地へと向かいます。
巡礼の道中では、様々な出来事が起こります。
落石があってジグメが怪我をしたり、道が川のように水浸しになっていたり・・・。
妊婦のツェリンは、巡礼の途中で陣痛を訴え、街の病院で赤ん坊「テンジン・テンダル」を出産します。
猛スピードで走る自動車がニマの運転するトラクターに衝突するというアクシデントも起こりました。
結局トラクターは壊れ、荷台をみんなで押して進むことになるのですが、荷台を押した分、また押し始めた位置まで再び戻って”五体投地”をするのです!
本当に気の遠くなるような作業です。
聖地ラサとカイラス山へ
ラサ、ポタラ宮
ニマたちは、1,200㎞の長い道のりを経て、ようやくチベット仏教の聖地である「ラサ」に辿り着きます。
彼らは、ラサのチョカン寺で礼拝し、高僧「ラマ・トゥプテン」の祝福を受け、充実感いっぱい!
けれども、カイラス山までの旅費が無くなってしまったため、この町で働いて旅費を稼ぐことにしました。
2ヶ月後、再びニマたちは出発します。
1,200㎞西にある聖山「カイラス山」へ、再び”五体投地”で向かうのです!
カイラス山
カイラス山の巡礼路
「カイラス山」(Kailash)は、チベット語で「カン・リンポチェ」(གངས་རིན་པོ་ཆེ་)と呼ばれる標高6,656mの山。
仏教、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教で聖地とされる信仰の山で、登頂許可は下りず、未だ未踏峰です。
巡礼者たちは、このカイラス山の周りを巡礼して歩きます。これを「コルラ」と言います。
一周52㎞の巡礼路をチベット仏教徒は右回りに、ボン教徒は左回りに歩き、多くの巡礼者はそれを13周行い、コルラを”五体投地”によって行う巡礼者も多いそうです。
ドラマにおいて、ニマたちは、もちろん、”五体投地”をしながらコルラを行います。
そして、この聖山カイラスを仰ぎ見る巡礼路で、映画のクライマックスが訪れます。
標高5,000mものチベットの高地を包む真っ青な空。
そこには、数羽のハゲワシがゆらゆらと舞っておりました。
実際の村人が”ありのまま”の自分の巡礼を演じる
ところで、この映画の出演者であるニマたち11人の村人ですが、彼らは実際にプラ村に住んでいる人物です。
彼らの名前もプロフィールも、物語上の設定や彼らの思いもすべて実際と同じで、ヤンペルは、実際に巡礼に行きたいと願っていましたし、ジグメが新築工事で死者を出したことも、ワンドゥが家畜の解体の仕事をしていることも現実のことです。
また、物語中でツェリンが赤ん坊を出産しますが、この出産も実際のことです。
生まれた赤ん坊「テンジン・テンダル」は、11人とともにカイラス山まで旅をし、その成長の過程がそのまま記録されています。
まるでドキュメンタリーのようですが、この作品はドキュメンタリーではなく、フィクションです。
監督の「チェン・ヤン(張楊)」は、聖地までの”五体投地”による巡礼という物語のベース、巡礼に参加する人物のキャラクター設定、そして、その途上で起こるいくつかの出来事についてあらかじめ考えていました。
キャラクターとしては、50歳くらいの落ち着いたまとめ役的な男性、70歳くらいの老人、妊婦、家畜の解体を生業とする男、7、8歳くらいの女の子、16、17歳くらいの若者を考え、物語としては、巡礼の最中に赤ん坊が生まれ、巡礼の最後で老人が死を迎えるという基本構想があったのだとのこと。
この基本構想に合った人物たちを、監督はチベットの村々で探して回ったのだそうです。
そして、カム地方のマルカム県プラ村で、奇跡的に、作品の構想に合った人々を見つけ、キャスティングすることになったのだとか。
映画の出演などしたこともない村人たちでしたが、彼らが演じるのは自分自身。
実際に彼らは、聖地に巡礼したいと願っており、映画に出てくるキャラクターの思いも行動も彼らそのものです。
そして、巡礼の途上で起こる数々の出来事も、そのままドラマの一部となりました。
ただし、フィクションであるため、シーンによっては何度か繰り返し撮影する必要もあったそうです。
こころは、シンプル。
映画(日本公開版)のキャッチコピーは、「こころは、シンプル。」
ニマたち11人の村人は、チベットの村で暮らす、ありのままの彼ら自身を演じています。
だから、演じられる行動も、語られる言葉も思いも、チベット人である彼らそのもの。
特に驚かされたのが、彼らの考え方や行動が、キャッチコピーにもある通り、とても「シンプル」であるということです。
彼らはチベット仏教の信仰に一途に生きています。
命あるもの全ての幸せを祈り、自我への執着を捨て、他者に対して慈悲の心を持って助け、赦すことを説く仏教の教えに帰依すること。
巡礼する11人も、プラ村の人々も、道中で出会う巡礼者や、途中で立ち寄った村の人々も、みんな、そんな同じ思いを共有して生きています。
ふつう、大人数の長旅だと、仲間同士の諍いや、道中で出会った他者とのトラブルなどが起きそうなものですが、そんなこと全然起こりません。
悪意のある人物も、行動も発言も一度も登場しない。それでいて、ドラマチックで感動を呼び起こすストーリー展開。
ちょっと、これにはびっくりしました。
巡礼する11人も、道中で出会う人々も、何かあれば助け合い、喜びを共有し、悩みを分かち合う。そして、一緒に祈る。
現代の競争社会とは全く違った、そんな清々しいまでのシンプルな生き方。
こんな世界もあるんだ。とつくづく感心させられてしまいました。
本物のチベット人の実際の巡礼をそのままドラマにした映画「ラサへの歩き方〜祈りの2400㎞」
チベットの人の生き方をここまで伝えてくれる映画は、他にはないと思います。
キャスト
ヤンペル(Yang Pei)
ニマ(Nyima Zadui)
ツェワン(Tsewang Dolkar)
ツェリン(Tsring Chodron)
セパ(Seba Jiangcuo)ほか
スタッフ
監督 :チャン・ヤン(Zhang Yang)
撮影 :グォ・ダーミン(Guo Daming)
編集 :ウェイ・ロー(Wei Le)
音声 :チャオ・ナン(Zhao Nan)、ヤン・ジァン(Yang Jiang)
コメント