インドの「ダージリン」でチベット人のお宅に訪問しました。竹筒のカップに米と粟の粒が入っていてストローで飲む「トゥンバ」というお酒を飲みながら、チベットの現状を訴える熱い若旦那との会話と、写真を撮られるのが大好きな髭おやじとの談笑のひととき。
今回は、チベット人の家で飲んだ地酒「トゥンバ」です!
インドのダージリンでチベット人の家に訪問しました!
チベット人宅にお邪魔しました
ダージリンのローカル食堂でチベット麺(トゥクパ)とチベット餃子(モモ)をハフハフと食べていると、店の若旦那が話し掛けてきました。
彼はチベットからヒマラヤを越えて亡命してきたチベット難民なのだといいます。
中国はひどいだの、何人も殺されただの、若旦那は、中国におけるチベット人の現状を身を乗り出すようにして訴えてきます。かなり熱い男です!
そんな彼が私を家に招待してくれることになりました!
チベット地酒「トゥンバ」をご馳走してくれるというのです。
チベット若旦那の家の面々
壁がチベット高原の空のように一面真っ青に塗られた若旦那の家。いろんな仏様の写真が飾ってあります。
若旦那は仕事が終わっていないので、家にいた口髭のおやじがトゥンバを用意してくれることになりました。
写真の真ん中に写っているのが、その髭おやじです。
眼鏡を掛けたおばあちゃんとヒゲおやじ。手に持っているのは「トゥンバ」
家には眼鏡を掛けたおばあちゃんもいました。
チベット語でぼそぼそと話すおばあちゃん。確か80いくつだと言ってました。
彼女も若旦那と同じく、チベットからヒマラヤを越え、亡命してきたのだそうです。
知り合いのおじさん
しばらくすると優しそうな顔をした別のおじさんが家にやってきました。知り合いのようです。
髭おやじがさっそく人数分の「トゥンバ」を持って来ました。
太い竹筒のカップ。その中には米と粟の粒がぎっしりと詰まっています。醗酵させてあるようで、独特の酸っぱい匂いがしました。
髭おやじはその竹筒に熱い湯を注ぎます。そして、しばらく待った後、そこに竹製のストローを刺し、チューチューと吸います。
みんなでチューチューやりました。もちろんおばあちゃんも・・・。
味は・・・。
うん、美味しい!飲みやすい。
写真大好きな髭おやじ
髭おやじの独壇場
さて、ここからが大変でした。
しばらく片言英語と身振り手振りで談笑した後、私はカメラを取り出してみんなの姿をファインダーに収めることにしたのですが、髭のおやじがいきなりはしゃぎ始めたのです!
トゥンバを飲む髭おやじ
ひと通りみんなを撮り終えると、髭おやじは自分の写真をもっと撮ってくれと言い始めました。
世界には写真に写ることを何よりも嫌がる人々もいますが、頼まれてもいないのに写真に写りたがろうとする人々もいます。
髭おやじは後者。写真に写りたくてしょうがないようです。
フィルムの残りもそんなにないんだけど、仕方ない、撮りましょうかー。
仏様の祭壇と髭おやじ
チャイを飲む髭おやじ
おやじは様々なポーズをとりました。立ったり座ったり、「トゥンバ」を飲んでポーズを取ったり、壁に掲げてある神様の絵をバックにしたり・・・。
フィルムが一本無くなりそうになるほど写真撮らされました。
だけど、妙に真面目な顔でファインダーに収まるおやじの様子。それは、思わず噴き出してしまいそうになるほど可笑しかったです。
チベット人に対する中国人民政府の抑圧
若旦那と綺麗な奥さん
そのうち若旦那と綺麗な奥さんが帰ってきました。彼らを部屋の壁に飾ってある黄金の釈迦牟尼の前で撮ります。
肩を寄せ合い、仲睦まじげに写るツーショット。お似合いの夫婦ですね。
家の壁には様々な写真や絵が飾られていました。
観音菩薩、文殊菩薩、弥勒、幾多の曼荼羅。ダライ・ラマ、パンチェン・ラマ、ブッダ・ガヤのマハーボーディ寺院、ラサのポタラ宮殿、ラッキーシンボルであるタシ・タギェ(八吉祥紋様)。
それらは彼らの信仰、そして、故郷への思いをまざまざと伝えてくれています。
チベットの宗教、政治の指導者であるダライ・ラマ14世。
ラマは彼らと同じくインドに逃れ、北西部のダラムサラに亡命政府を樹立しました。
遥か遠いヒマラヤの向こうのラサ。そこに帰れる見込みはほとんどありません。
ダージリンにあるチベット絨毯工房
チベット絨毯工房の様子
チベット人に対する中国人民政府による抑圧、文化の破壊は本当にひどいものだそうで、国際社会はそれにあまり関心を持とうとしてくれない。若旦那は怒りを込めて語りました。
彼の弟はインドへの亡命途中、中国兵に射殺されたのだといいます。
中国軍による横暴の実態は政府の情報管理により、国外へはほとんど伝わらないそうです。けれども、十数万人にも及ぶ亡命者の存在こそが、その実態を示しているといえるのかもしれません。
故郷を奪われた者たちの怒りと悲しみ。チベットの空に似せた青い家の壁が、彼らの望郷の念を表しているようでした。
私は彼らとしばらくの間談笑し、酔いを少し覚ました後、宿へ帰ることにしました。
彼らにお礼を言います。笑顔で送り出してくれるみんな。
辛い経験、どうにもならない現実を抱えながらも、どこまでも優しく親切な彼らでした。
暗い夜道、しとしと雨に濡れながら、私は彼らの境遇や徐々に失われつつあるチベットという文化について思いを巡らせました。
ダライ・ラマ14世は、非暴力運動が認められノーベル平和賞を受賞しています。
ですが、中国という圧倒的な力の前に状況が改善する兆しは一向に見えてきません。漢民族の移住政策により、首府であるラサは既に漢人に埋め尽くされていて、先日はチベットと西寧を結ぶ「青海チベット鉄道」も開通し、北京との距離がさらに縮まりました。
チベットの文化は、世界的には注目されて、欧米にも学ぶ人たちも増えています。インドや周辺の国にもチベットの文化は生き続けています。
けれども、彼らが故郷に帰る日がいつになるのか、果たしてその日が来るのかは、未だ見当もつきません。
トゥンバをストローで飲む髭おやじ
旅行時期:2003年9月
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