ボリビア南部にある「ポトシ」(Potosi)は、スペイン植民地時代に銀の採掘で栄えた町。標高は4,070mもあり、世界最高所の場所にある町でもあります。
かつてのポトシ銀山、赤い山「セロ・リコ」は、銀は枯渇したものの、現在でも錫の採掘が行われており、観光客も訪れることができるようになっています。
今回は、ポトシ銀山の「セロ・リコ」鉱山ツアーについてご紹介します♪
16世紀に銀鉱脈が発見された「ポトシ」
16世紀、ポトシに銀鉱脈が発見されるとこの町は「鉱山の町」となり、空前の繁栄を極めました。
スペイン人たちは、一攫千金を求めてこの町に集まり、地元のインディヘナたちを奴隷として使い、過酷な鉱山労働を強いて、莫大な富を獲得したのです。
19世紀、ポトシの山から銀が尽きます。
すると、スペイン人たちは、豪奢な教会が建ち並ぶこの町を残し、何処かへと消え去っていってしまいました。
銀が尽きたポトシの赤い山「セロ・リコ」ですが、400年経った今でも、錫を始めとする鉱物がわずかながら採掘され続けているのだそうです。
ポトシ銀山の「セロ・リコ」鉱山ツアー
ポトシの街に着いて2日後、ポトシ銀山の「セロ・リコ」鉱山ツアーに参加しました。
「鉱山ツアー」は鉱夫たちが鉱物を採掘している現場を生で見ることができる、ポトシ観光の目玉です。
朝9時、私たちを乗せたワンボックスは町の外れに屹立する赤い山「セロ・リコ」へ向け、坂道をのろのろと進んでいきました。
途中、倉庫のような建物で作業着、ヘルメット、軍手、長靴を着用します。
ヘルメットにはヘッドランプが付いていました。
ツアーには旅行社のガイドと鉱山のガイドが同行していました。
ツアーガイドがツアーの内容について説明します。
4,000メートルを超える鉱山での労働は大変きついものです。
そのため、疲労や眠気、空腹を忘れさせる効果のある「コカの葉」を噛まないと労働できないのだそうです。
それぞれにコカの葉が配られました!
水分補給も重要だそうです。
水分の欠乏は血液の循環を悪くし、酸素の供給を滞らせます。
そのため、高山病にかかる危険性が高くなるのです。
ミネラルウォーターやジュース、これは販売していました。
相場より随分高かったのですが、我々はミネラルウォーターやジュースを購入しました。商売上手です。
ワンボックスは山の中腹に差し掛かりました。ダンプトラックが埃を巻き上げながら通り過ぎていきます。
しばらく行くと、レンガで造られた倉庫と数台のトロッコが並んでいる場所がありました。どうやらここが鉱山の入り口のようです。車が停まります。
車を降りると、不毛の山の上からはポトシの細かい街並みが見渡せます。
真っ青な空と強烈な日差し、凍えるような寒さは相変わらずでした。
鉱山ガイドから鉱山についての説明と注意があります。
それが終わると私たちはコカの葉を口の中に押し込み、ヘッドランプを点灯させます。
そして、瓦礫のような地面をざくざくといわせながら坑道の暗闇の中へと入っていきました。
いざ、「セロ・リコ」の鉱山の中へ!
鉱内で働く坑夫たち
狭い坑道を走るトロッコ
私たちは、鉱山ガイドの先導のもと、坑道の中をゆっくりと進んでいきます。
坑道の中はとても狭く、屈んで歩かなければ頭をぶつけてしまうほどです。
案の定、私も何度も頭をぶつけました。
ずっと屈んでいるため、しばらくすると首が痛くなってきます。
坑道の中にはレールが敷かれており、時折鉱山労働者たちの押すトロッコがそこをガタガタと通過していきます。
私たちの照らし出すランプに一瞬映し出される労働者たちの顔。
同じように我々の目も彼らのヘッドランプにより一瞬眩みました。
ヘッドライトが眩しい
鉱山の守り神
縦穴がありました。
梯子を伝い下に降りていきます。
内部へ進んでゆくにつれ、下へ降りてゆくにつれ、徐々に蒸し暑くなってきます。
外は凍えるように寒いのに鉱山の中は汗ばむほどに暑いのです。
そして、埃も凄い!
坑内には、所々で労働者たちが働いている様子が見えます。
むせ返るような坑内の過酷な環境の中、労働者たちは黙々と働いていました。
スコップで土砂を掻きだしたり、ドリルで岩盤を削ったり、トロッコでそれらを運んだり・・・。
鉱山ガイドが労働者たちに話し掛けます。
彼らは自分の名前と働いている年数を教えてくれました。
話によると彼らは1日8時間、ここで働くのだそうです。
その間、一度も外に出ず、食事も摂らずコカの葉と水だけで8時間。
みんな、かなり疲労困憊しているようでした。
私たちは彼らにそれぞれコカの葉をわけてあげました。
過酷な彼らの労働環境を説明してくれた鉱山ガイドですが、実はこのガイドも、かつては彼らと同じような鉱山労働者だったのだそうです。
仕事は過酷で耐え難かったそうです。
だけど、今は外国からの観光客がたくさん訪れるようになったため、ガイドという仕事を得ることが出来た。皆さんには本当に感謝している。
童顔の鉱山ガイドは、そう嬉しそうに言いました。
1時間ほど坑道をうろついた私たちは、暗闇から逃れ、凍えるような寒さの、しかし、埃がなく澄み切った、腰を曲げ屈まなくて済む地上へと脱出しました。
もうくたくたでした。
もう二度と坑内には入りたくない。そんな気分でした。
それにしても、彼ら鉱山労働者に対しては心底畏敬の念を禁じえません。
私たちは坑道をただ歩いただけで疲れ切ってしまいましたが、彼らはそれを8時間、毎日のように、それも、きつい作業をこなしながら続けているのです!
しかも、その過酷な労働によって得られる収入は微々たるものなのだそう。
手持ちのガイドブックには1日約3ドルと書かれていました。
鉱山労働者たちの歴史と現状
かつて、スペイン人により強制労働を強いられたインディヘナの人々。
彼らは16世紀半ばから長年、奴隷のように鉱山で働かされていました。
ボリビアは1824年にシモン・ボリバルの支援を受けたスクレ将軍のもと独立を果たしますが、独立後も鉱山の利権を牛耳る財閥などに労働者たちは搾取され続けてきました。
そんな中、1941年に民族革命運動党(MNR)が結党されます。
MNRは、鉱山労働者寄りの立場を明確にし、徐々に彼らの支持を集めていきました。
そして、1952年、鉱山労働者たちの支援を受けたMNRはついに武装蜂起。
ボリビア革命を起こすこととなるのです!
この革命により、彼らは選挙権を得るようになったそうです。
しかしながら、スペイン侵略から400年、革命から50余年が過ぎた今でも彼らの労働待遇は本質的には改善されてはいません。
幼い頃から鉱山に入り、低賃金で働かされ、老後は鉱内で吸った粉塵により胸を悪くする人が多いのだとのこと。
ダイナマイトに点火する鉱山ガイド君
ダイナマイト爆発!
鉱山を出た後、ガイドは持っていたダイナマイトを点火させました。
ツアーの最後の余興です。
土煙を上げて吹き飛ぶダイナマイト。
激しい爆音が音のない高地に響き渡ります。
辺りが再び静寂に包まれ、爆発の土埃が4,000mの酷薄な空気の中に霧散するのを見届けた後、私たちはワンボックスに乗り込みました。
そして、労働者たちが働く赤い山を背に、のろのろと坂を下っていきました。
帰りの車中、口を開くツアー参加者はただの一人もいませんでした。
旅行時期:2003年7月
コメント