カタルーニャ地方の中心都市バルセロナは約160万の人口を誇るスペイン第2の町です。
ここの人々はスペイン人であるよりもまず、自分たちはカタルーニャ人であるのだと言うそうです。自分たちの言葉、カタルーニャ語に誇りを持っており、中央のマドリードに対する対抗心を剥き出しにしています。
町はローマ時代からの歴史があり、ローマの遺構、中世のカテドラル、そして、ガウディらのモデルニスモの建築が建ち並ぶ魅力的なところです。
それでは街を歩きましょうか♪
カタルーニャ広場とランブラス通り
「カタルーニャ広場」はバルセロナの中心。
旧市街と新市街の境のバルセロナの町のちょうど中心に位置し、広場の周囲にはデパートやホテル、銀行などが建ち並び、広場の中央ではコンサートや展示会などのイベントが行われ、デモやパレードなどが行われた際にはここがメインスポットとなるなど、文字通りの中心地です。
バルセロナで一番の繁華街「ランブラス通り」です。
「ランブラス通り」は、カタルーニャ広場から海岸近くのコロンブスの塔まで続く約1.2㎞の並木道で、通りにはレストランやカフェ、花屋などが並び、夜遅くまで人々でごった返しています。
「ランブラス通り」には、大道芸人がたくさんいます。
特に目立つのが、お金を入れると動き出すストリートパフォーマーの姿。
様々な格好をしたパフォーマーがおりました。
こちらは、ランブラス通りを抜けたところに立つ「コロンブスの塔」と港。
港付近には、ショッピングモールや水族館、海洋博物館などがありました。
サン・ジュセップ市場
「ランブラス通り」の中ほどにある「サン・ジュセップ市場」
「サン・ジュセップ市場」は、地元のカタルーニャ人には、「ラ・ボケリア」(La Boqueria)と呼ばれているそうです。
「サン・ジュセップ市場」は、バルセロナで最大の市場。
市場内には、約300もの店舗が入っているのだとか。
果物や野菜のお店、精肉やソーセージ、ハム類、魚介類のお店、チーズ。きのこやナッツ、チョコレートの専門店、フレッシュジュースやカットフルーツのスタンド、バル(居酒屋)もあります。
市場の起源は13世紀にまで遡るそうですが、現在の姿になったのは、1914年のこと。
あらゆる食材が売られており、一般の主婦から有名レストランのシェフまで食材を買いに来る、バルセロナの台所です。
売られている食材は、すべて量り売り。
市場の人たちは観光客が来るのは慣れているので、観光客も食べたい分だけ買うことができます。
私もナッツやフルーツを1ユーロ分とか買って、ホテルで食べたりしていました。
市場内には、スペインの居酒屋「バル」も何軒か併設されています。
私はそのうちの一軒でパエリヤを食べながらビールを飲みました。
4.85ユーロでした。
バルは午後過ぎに店じまいしてしまうことが多いのですが、最近は観光客向けに夜までやっているお店も出てきているのだとか。
「サン・ジュセップ市場」の記事はこちら→サン・ジュセップ市場(スペイン・バルセロナ)【市場・バザール】
バルセロナ ゴシック地区(旧市街)
バルセロナ旧市街「ゴシック地区」は、バルセロナでも最も古いとされる地区。
ローマ都市時代は、街の中心であった場所で、街に残る建物の中にはローマ時代に起源を遡ることができるものがあるのだとか。
向こうにカテドラルが見えます。買い物篭を下げたおばちゃんが歩く日常の風景です。
石畳の敷かれた路地。その一本一本がどれも雰囲気抜群。
歩いていて楽しいです。
こちらは、「王の広場」
ゴシック地区の中でも最も古い界隈で、正面に見える印象的な外観の建物は「パラウ・レイアル・マジョール」です。
「パラウ・レイアル・マジョール」は、バルセロナ伯、カタルーニャ=アラゴン連合王国時代に王の住居として使われたという建物。
この「パラウ・レイアル・マジョール」、1492年にアメリカ大陸に到達したクリストファー・コロンブスが、カトリック両王(イサベル女王とフェルナンド王)に謁見した歴史的な場所としても知られています。
こちらは、バルセロナ大司教座が置かれた旧市街のランドマーク「サンタ・エウラリア大聖堂」
1298年に建築が始まったこのカテドラル。完成は1448年だそうです。
黒々としたカテドラルが向こうに聳え立っています。円柱人像の並んだファサードと正面に穿たれたバラ窓。典型的なゴシック建築の大聖堂です。
カテドラルの前で何事かが行われていました。
正門には赤いローブを纏った聖職者が、人々は箒のようなものを持っていました。
カテドラル内部です。
柱の周りを装飾する小柱や無数のアーチが天へと向かう高さを強調しています。
祭室を取り囲むステンドグラスから光が差し込んでいます。
夕暮れの「王の広場」の様子。右手に見えるのは「サンタ・アガタ礼拝堂」
夜の旧市街の路地の雰囲気もなかなか味わいあり。
広場は素敵なデザインの街頭が灯り、石畳を照らし出します。
雰囲気抜群★
これは、ドメネク・イ・モンタネール作の「サン・パウ病院」
ドメネクは「芸術は人を癒す力がある」という信念を持ってこの病院を建設したのだそうです。
現在でも病院として使用されているため中には入りませんでしたが、内部の装飾はとても魅力的なものだそうで、快適に過ごせるような工夫もされているようです。
この建物は世界遺産に登録されています。
バルセロナの街を一望できる「モンジュイックの丘」からの眺め。
「モンジュイックの丘」には、20世紀スペインを代表する画家「ジョアン・ミロ」の美術館があり、観に行きました。
原色を多用した明るくカラフルでポップなミロの絵は、バルセロナの雰囲気にぴったりマッチします♪
闘牛(モヌメンタル闘牛場)
バルセロナにある「モヌメンタル闘牛場」で闘牛を見ました。
毎週日曜日ここで闘牛が行われます。
4月の上旬、まだ、シーズンが始まったばかりで有名な闘牛士は登場しないとのことでしたが、私はバルセロナに着くとさっそく見に行きました。
観覧した席は一番安いソル(日向)席(15ユーロ 1,950円)。
少し肌寒かったのでちょうどよかったです。
午後6時、トランペットの音色が鳴り響き闘牛士「マタドール」たちが入場してきました!
主催者長の合図の下、試合が始まりました。
ゲートが開き、真っ黒な牛が走り出てきます。数人の助手が牛をカポテ(ケープ)で威嚇した後、馬に乗った「ピカドール」が二人登場。牛の首筋に槍を突き刺します。
これにより牛の力を弱めるのです。
次に三人の「バンデリリェロ」が、対になった銛を牛の首筋に突き立てていきます。
そして、最後に剣とムレータ(赤い布)を手にした「マタドール」が登場。
赤い布をひらひらとさせて華麗な技を見せます。闘牛の華です。
ひと通り技を見せ終わると場面は「真実の瞬間」となります。
すなわち“殺しの場面”です。
マタドールは牛の首筋に剣を突き刺し牛を絶命させます。
このとき一剣で牛を仕留め、“優雅で美しい死”を与えることが出来るかどうかが、その闘牛士の力量の分かれ目であるようです。
マタドールの試合が見事だと観客は一斉に白いハンカチを振り回し主催者長の方を見ます。
その時主催者長が、面倒くさそうに白いハンカチをひょいと振ろうものならマタドールに闘牛の耳が褒美として与えられるのです。
これはマタドールにとって大変名誉なことであるらしいです。
試合は5回ありました。
マタドールが牛をムレータでかわすその動きはとても華麗で美しく、惚れ惚れと眺めてしまいました。
ただし、「真実の瞬間」のとき、牛を一剣で殺すことが出来ないと途端にその光景は残虐なものになります。
そんなとき観客は容赦ないブーイングを浴びせるのです。
女性のマタドールもいました。彼女が登場すると観客席から歓声が漏れます。
だけど、彼女と対決した牛は、やけに気性の荒い強力な牛だったため、残念ながら彼女は牛を仕留められず、牛は勝ち残った牛を引き戻す役割らしい巨大な4匹の牛たちとともに退場していきました。
最後に登場したマタドールは更に不運でした。
観客の声援が最も大きく、その華麗な牛捌きはスターの貫禄充分だったのですが、「真実の瞬間」のとき、牛に足を突き刺されてしまったのです。
吹っ飛ばされるスター、悲鳴を上げる観客たち。
結局、何人かの助手たちがその獰猛な牛を仕留め、牛は三頭立ての馬に引きずられ闘牛場を後にしたのでした。
リーガ・エスパニョーラ(カンプノウスタジアム)
「カンプノウスタジアム」、世界的な人気サッカークラブであるFCバルセロナの本拠地です。
あのアルゼンチン代表のメッシ、ブラジル代表のロナウジーニョなどが所属したクラブでもあります。
ここで、FCバルセロナ(バルサ)の試合を観戦しました♪
チケット売り場でゴール裏の2階席の当日券(47ユーロ 6,016円)を購入しスタジアムの中に入っていくと、10万人が収容できるといわれる巨大なスタジアムの真ん中には、青々とした芝のフィールドが広がっていました。
碁盤目状にきれいに刈られたピッチは、まるでチェス盤のようでした。
午後9時半、キックオフ。
この日の対戦相手は青と白の縦縞の強豪、デポルティーボです。
地元民に「バルサ」の愛称で親しまれている我がFCバルセロナは臙脂と青の縦縞のユニフォーム。ものすごい観客が入っています。
スペインリーグ(リーガ・エスパニョーラ)は、攻撃的なサッカーをすることで知られています。
バルサファン一色に染まったスタンドも、チームに負けず劣らず攻撃的で熱い応援を繰り返しており、バルサが攻めると大歓声、相手の攻撃やファールには大ブーイングをしていました。
試合の方はバルサのストライカー、サビオラの先制点で会場全体を盛り上げましたが、健闘空しく4対2で敗れてしまいました。
今でこそ常勝チームとなっているバルサですが、この当時(2003年)は、ライバルのレアル・マドリッドに大きく水を開けられている状況でした。
当時のバルサにはアルゼンチン代表のサビオラと前オランダ代表のクライファートがいました。一方、対戦相手のデポルには、バレロンらがいました。
それにしても、このカンプ・ノウ、1957年の完成で、収容人員は欧州最大の98,600人!
それがほぼ満員になるのですから、バルサの人気というのは凄まじいものです。
カタルーニャ地方バルセロナのクラブであるFCバルセロナは、首都マドリードを本拠地とするレアル・マドリードとライバル関係にあります。
カタルーニャは独自の言語と文化を持った地域で、歴史的に首都のあるカスティーリャとは対立してきました。
それが、クラブのライバル関係にも表れており、レアルとのカードは「エル・クラシコ」とも呼ばれ、大いに盛り上がるそうです。
これは、バルサのオフィシャルショップで買ったバルサマフラーです。
バルセロナからアンドラを経由してフランスへ
バルセロナからフランスへ向かう途中、欧州にあるミニ国家、アンドラ公国に立ち寄りました。
バルセロナを観光し終えた後、パリへと向かおうと思っていたのですが、あいにくバスは数日先までフル。私は2日後の朝のパリ発ダブリン行きの飛行機を予約していました。
何としてでもパリに行かなければなりません。
そこで、バスで、バルセロナからスペインとフランスの境にあるアンドラへ向かい、そこからフランス南西部の町トゥールーズへ、トゥールーズで夜行列車に乗りパリへと向かうというルートを選ぶことにしました。
そんなわけで思いがけずに訪問した国、アンドラ公国。首都はアンドラ・ラ・ベリャです。
アンドラ公国はフランスとスペインの境、ピレネー山中にある国家で、使用言語はカタルーニャ語。人口は2004年の時点で約7万人。通貨はユーロが使われていますが、欧州連合(EU)や欧州自由貿易連合(EFTA)、万国郵便連合には加盟していません。
政治は、スペインのウルヘル司教とフランスの大統領を国家元首とする二頭制、議会は一院制です。軍隊は持たず国防はフランスおよびスペインに委託。
経済の中心は観光で、スキーやトレッキング、免税店でのショッピングにフランスやスペインから多くの観光客が訪れます。
アンドラでの滞在時間は3時間ほど。カフェで軽食を摂り、街をぶらぶらと歩きました。
山中のためか肌寒いです。
人の姿もそれほど多くはありませんが、ショッピングモールの中には買い物客がたくさんいました。
免税店での買い物やスキーのための町という感じです。
アンドラで3時間滞在した後、トゥールーズ行きのバスに乗ります。
トゥールーズ行きのバスは15時30分発。乗客は、たった2人!ガラガラです。
山道をくねくねと進んでいくと、辺りが白銀に覆われ始めました。真っ白な山肌と深緑の針葉樹のコントラストが綺麗です。
ミニチュアのように小さく見えるゴンドラが上下に動き、色とりどりのスキーヤーたちがくねくねと蛇行しながら下降していくのが見えます。
トゥールーズには夕暮れ時に到着しました。
窓口で23時12分発のパリ行きの夜行列車を予約します。
座席車で、料金は58€。
列車はコンパートメント形式ではない普通の座席車でした。
23時12分、定刻通りに列車は出発。鉄路の振動に身を任せていると、いつの間にか、深い眠りに落ちていってしまいました。
旅行時期:2003年4月
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