バガン遺跡巡りの拠点となる町「ニャウンウー」
空港や長距離バスターミナルがあり、ヤンゴンやマンダレーなどからバガンに来た旅行者はまずここを訪れることとなります。
バガン遺跡内には宿はほとんどありません。遺跡の南にはニューバガンという町もありますが、高級な宿ばかり。
比較的安めの宿を探す旅行者は、このニャウンウーで宿を探します。
ニャウンウーには食堂やカフェが多く、市内にはシュエズィーゴン・パゴダをはじめ、見所も多いので、とても便利です。
バガン遺跡の近く、ニャウンウーの街をぶらぶら散歩
朝のニャウンウーの町の様子。
ニャウンウーの人たちの朝は早いです。朝早くから多くの人が街を歩いていました。
暑い夏のニャウンウーですが、朝の時間帯は若干涼しめな感じ。
そんなニャウンウーの街をぶらぶら歩き。
ニャウンウーは、たくさんの人が住み、働く、地域の中心でもある町です。
通りは、仕事前の大人たち、通学途中の子供たちが歩いていました。
朝食は、町の食堂でミャンマーの国民食「モヒンガー」をいただく
食堂で朝食を摂ります。
ミャンマーの国民食「モヒンガー」という麺料理をいただきました。
なまずなどを煮込んだスープに米麺が入った料理です(コーヒーも頼んで600K:60円)。
動画は朝の食堂の様子です。
朝食を食べるお客さんと、テキパキと動き回るお店スタッフ。
前の席には美女とイケメンのカップルがいて、朝っぱらからイチャイチャ❤︎
こちらは、朝の托鉢に出掛ける尼僧たち。
ミャンマーでは、尼僧はピンク色の袈裟をまとっていることが多かったです。
仏教国って感じがします。
ニャウンウーの女学生たちです。
白いブラウスに緑の長いスカートの制服で集団登校。
ランチは、ゆるい空気が流れる食堂で、ココナッツ麺「カウスエ」を賞味
こちらのお店は、ランチで入った、宿泊している「タンテ・ホテル」の前にある食堂です。
ゆるい空気が流れています。
このお店では、「カウスエ」という麺を食べました。
ココナッツミルクのスープに小麦麺が入った料理です(800K:80円)。
先ほどのモヒンガーよりも、個人的にはこっちの方が好み。
午後のニャウンウーの街の、真夏の昼下がりです。
この時間帯はさすがに暑くて、歩いている人もまばら。
ニャウンウーの市場にも訪れました(市場の様子は↓)。
女性たちがほっぺたに塗る化粧品「タナカ」
彼女たちは、それを販売する「タナカショップ」の店員さんです。
このお店で日本人の旅行者の方と待ち合わせをしていたのですが、時間があったので彼女たちとお話ししました。
「CDを買いたいから、ミャンマーの人気歌手を教えて!」
と言うと、色々相談しながらいく人かのアーティストの名前を教えてくれました!
写真は、ミャンマーの伝統的な傘を売るお店です。
筆でひとつひとつ手作業で模様を描いていきます。
夜は傘をライトアップ。とっても綺麗なディスプレイです。
川沿いの雑貨屋で聞いたミャンマー社会の変化
マンダレー行きのボートが出る船着場。
エーヤワディー川の広大な空間が気持ち良いです。
この船着場は旅行者もよく利用するようで、雑貨屋の店員さんも外国人の対応に慣れてます。
船着場の前にある雑貨屋でコーラを注文。
飲んでいると、写真の左側のおばさんが話しかけてきました。
彼女の名前は、キンキンカイン(Kin Kin Khaing)。右側の少年は息子のようで、日本語の勉強を始めたところだそうです。
コーラを飲みながら、彼女とカタコト英語で会話しました。
日本のこととか、バガンのこととか色々話しましたが、興味深かったのは、ここ数年の社会の変化のこと。
後ろにアウンサン・スー・チーの写真が飾ってあります。ミャンマーの商店やレストランには、たいていスー・チーかアウンサン将軍の肖像が飾られていました。
ミャンマーの一般の人たちはみんな、スー・チーのことが大好き!
けれども、数年前まではスー・チーの肖像を飾ることなど考えられなかったのだそうです。秘密警察がどこでも目を光らせていて、自由にものが言える状態ではなかったと、キンキンさんは言います。
2010年、ミャンマーは総選挙を行い、形式的にではありますが民政移管が果たされました。ほどなくして、スー・チー氏も軟禁を解除されます。
民政移管以後、秘密警察の監視の目は緩み、ある程度自由になってきている、随分と暮らしやすくなったと、キンキンさんは話してくれました。
スー・チーさんの肖像も、お店の壁に飾れるようになったのです!
民政移管後は民主化の流れが進み、「アジア最後のフロンティア」として、世界中から多くのビジネスマンや旅行者がミャンマーを訪れるようになってきています。
個人で商売を始めることが可能になったのも、ここ数年のことであるとのこと。
これから外国の投資がどんどん入ってきて、国が発展していく。自分たちも新しいことをどんどん始められる。
ミャンマーは希望に満ちていました。
旅行時期:2012年8月
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