チェ28歳の革命
チェ39歳別れの手紙
世界で一番格好いい男、チェ・ゲバラを描いた2部作
革命によって世界を変える。その理想に身を捧げた世界で一番格好いい男、チェ・ゲバラを描いた2部作です。
フィデル・カストロと共に1959年のキューバ革命を成し遂げた男、チェ・ゲバラ。
ジャン・ポール・サルトル曰く「20世紀で最も完璧な人間」、ジョン・レノン曰く「世界で一番格好良い男」。
ヒゲ面でベレー帽を被ったチェの肖像写真は、Tシャツやポスターに使われ、世界中の多くの若者に愛されています。
どうして、この人物がこれほどまでに支持を集め続けているのか。
たぶん、それは・・・。
格好いいからです!
外見だけでなく、生き方そのものが、です。
「チェ28歳の革命」
アルゼンチンの大学で医学を学ぶ学生であったゲバラは、南米を放浪するさ中、アメリカ資本の企業に搾取され、アメリカ帝国主義に蹂躙され続けている人々の姿を目の当たりにします。
後に妻となる社会主義活動家のイルダ・ガディアとの出会いもあり、次第に彼は一人の人を救う医師ではなく、多くの人を救う革命家への道を歩み始めることとなるのです。
1955年、イルダと共に流れ着いたメキシコ。
ここで、彼女の紹介によりゲバラはある人物と出会います。
フィデル・カストロ、後にキューバの最高指導者となる人物です。
これが転機となりました。
映画の第一部「チェ28歳の革命」は、このカストロとの出会いから始まります。
カストロとの会談後、一夜にしてキューバ革命への参加を決意するゲバラ。
1956年、ゲリラ戦の訓練を受けたゲバラは、カストロらと共にキューバへと上陸します。
戦闘は2年に及びました。
厳しい戦闘のさ中、ゲバラは外国人でありながら人々の心を掴み、カストロに次ぐナンバー2の存在と目されるようになっていきます。
キューバ革命が達成されたのは、1959年1月8日。
アメリカ帝国主義の傀儡的政権であったバティスタ独裁政権を市民と共に打倒した瞬間でした。
「チェ39歳別れの手紙」
革命後、ゲバラは政府の閣僚として仕事をしていましたが、1965年に謎の失踪を遂げます。
失踪から半年後、カストロは共産党大会において、ゲバラの手紙を読み上げ、失踪の理由を初めて人々に明かしました。
映画の第二部「チェ39歳別れの手紙」は、この手紙から始まります。
ゲバラの信念は、帝国主義や独裁政権に搾取されている人々を救うため革命を起こす、その力となること。
それを貫くため、自らの地位や安泰の生活を投げ打ち、革命の成し遂げられたキューバはカストロに任せ、人々を救うため再びジャングルへと向かったのです。
ゲバラは、コンゴ、そして、ボリビアで革命の戦いを続けます(映画はボリビアでの戦闘を取り上げています)。
しかし、人々の支持を得られず、政治的にも孤立したゲバラは革命に失敗します。
そして、1967年10月8日、彼はボリビア山中のイゲラ村において捕えられ、アメリカCIAの指示の下、ボリビア政府軍に処刑されることとなるのです。
キューバを除き、ゲバラの革命は失敗しました。
革命の崇高な理想を掲げ、自らを犠牲にして戦い続けましたが、ボリビアでは民衆の支持を得ることができませんでした。
映画に出てきた農民は、ゲバラを政府軍に密告してしまうのですが、彼らを責めることはできません。
彼らだって、家族がいて、生活があって、生き延びていかなくてはならないのです。
革命に協力して政府に殺されるよりは、政府に搾取される方を選んだということなのかもしれません。
ボリビアではゲバラの理想だけが独り歩きし、民衆には革命の気運はなかったのです。
けれども、ゲバラの、人々を救うことに全てを捧げた無私の精神と行動、その信念が死まで一度たりともブレることがなかったという生き様は、世界の人々にシンパシーを引き起こし、後世に大きな影響を与えました。
革命の理想にその生涯を捧げたチェ・ゲバラ。
最後に、彼が残した印象的な言葉をご紹介します。
「もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と」
「フォト・バイオグラフィ チェ・ゲバラ」(イルダ・パリオ ギャレス・ジェンキンス編 鈴木叔美訳 原書房)
キャスト
エルネスト・チェ・ゲバラ :ベニチオ・デル・トロ
フィデル・カストロ :デミアン・ビチル
カミロ・シエンフエゴス :サンティアゴ・カブレラ
セリア・サンチェス :エルビラ・ミンゲス
ラウル・カストロ :ロドリゴ・サントロ
スタッフ
監督 :スティーヴン・ソダーバーグ
プロデューサー :ローラ・ビックフォード
プロデューサー :ベニチオ・デル・トロ
脚本 :ピーター・バックマン
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