スリランカ中部、マータレーにある古都「シーギリヤ」(Sigiriya:සීගිරිය:சிகிரியா)
ジャングルの中にそびえ立つ高さ195mの巨大な岩「シーギリヤ・ロック」は、スリランカを代表する観光スポット。
岩の頂上には、1500年も前に造られた「空中宮殿」の跡があり、付近一帯は「世界遺産」に登録されています★
バスを乗り継いで「古代都市シーギリヤ」へ
ダンブッラ行きのバス
「シーギリヤ」へは、乗り合いバスを乗り継いで行きました。
キャンディのバスターミナルから9時半発のダンブッラ行きのバスに乗ります。
料金は、Rs.100(61円)。
途中、バスが故障し、後続のバスに乗り換えるというハプニングがあったものの、2時間ほどでダンブッラのバスターミナルに到着。
ダンブッラから12時半発のバスに乗ってシーギリヤへ(Rs.34:21円)。
シーギリヤには、40分ほどで到着しました★
ダンブッラ行きのバスもシーギリヤ行きのバスも、どちらもかなり混んでいました。
乗客は地元のスリランカ人がほとんど。欧米の観光客もちらほらといます。
途中、乗客が頻繁に乗ったり降りたりします。停留所はなく、人が集まっているところがバス停という感じ。インドと同じです。
キャンディからダンブッラまでは、休憩が1回ありました。
道中の景観はそれほど風光明媚というわけではないですが、村があったり、川に吊り橋が架かっているのが見えたり、それなりに楽しめました★
遠くに巨大な岩が
シーギリヤのバス停は、遺跡からは少し離れたところにありました。
赤っぽい色の土に緑の木々が茂る大地、その向こうに巨大な岩が見えます。
「シーギリヤ・ロック」です!
目的地がひと目でわかりますね♪
バスを降りて、岩を目指して歩いていきます。
シーギリヤ・ロックの入り口
しばらく歩いて「シーギリヤ・ロック」の入り口に辿り着きました。
入り口にあった軽食堂で、軽くお食事。
ローティのサンドイッチとジュース、Rs.200(122円)をいただきましたー!
小腹を満たしたところで、シーギリヤ・ロックへ向かって歩いて行くと、日本語で声を掛けられました。
スリランカ人のガイドです!
ガイド料はRs.3,000(1,830円)、ちょっと高い気もしましたが、せっかくなので頼むことにしました。
ガイドに付いていくのは、私の他にポーランド人の団体さんも一緒。
ちなみに、シーギリヤ・ロックの入場料は、Rs.3,900(2,340円)です。
「シーギリヤ・ロック」を登る
そびえ立つ「シーギリヤ・ロック」
岩山の高さは195m
頂上には5世紀に造られた宮殿の跡が
「古都シーギリヤ」は、5世紀、シンハラ王朝の王「カーシャパ」(在位477〜495年)によって建設された王都です。
遺跡は「シーギリヤ・ロック」を中心に、岩の上にある王宮跡と、麓の水路、庭園、貯蔵施設などの施設で構成されています。
シーギリヤ・ロックの麓にある広大な庭園
ガイドさんの先導のもと、目の前にそびえる「シーギリヤ・ロック」目指して歩く私たち。
お堀と城壁のある入り口でチケットチェックを受け、広大な庭園へと進んでいきます。
この庭園は「水の広場」と呼ばれる場所。
広場は1km四方ほどの広さがあり、敷地内には王の沐浴場や、僧が説法をするための岩場や、仏陀の像がある石窟寺院などの施設があります。
ガイドさんの話によると、シーギリヤは夏と冬で居住する場所を変えていたそうで、麓が夏、岩の上が冬の宮殿であったのだとのこと。
巨大な岩の間の階段
庭園をしばらく歩いて行くと、岩山の入り口が見えてきました。
でっかい岩がごろごろとあり、岩と岩の間に階段が続いています。
頂上へと向かって登っていきます。
中腹からの眺め
岩山の麓からは、レンガ造りの階段が延々と続いています。
その階段を登って行くと、岩山の中腹には金網で囲われた鉄製のらせん階段が現れます。
これは、イギリスによって1938年に造られたものだそうです。
そのらせん階段を登りきると、「シーギリヤ・ロック」いちばんの見どころ、「美女のフレスコ画」が描かれた岩肌が現れます。
岩山の入り口から約20分のところです。
美女のフレスコ画「シーギリヤ・レディ」
美女のフレスコ画
裸の女性が貴婦人で服を着ているのが侍女
天女アプサラと言われている。
美女のフレスコ画、通称「シーギリヤ・レディ」です。
とっても美しい女性たちの絵です★
このフレスコ画は、5世紀のカーシャパ王の時代に描かれたとされていますが、この女性たちが誰なのかはまだわかっていないそうです。
一説によると、天女アプサラではないかと言われています。
また、上半身裸の女性が貴婦人で、服を着ているのが侍女だとも考えられているとのこと。
かつては、女性たちは500人も描かれていたそうですが、現在は風化が進み、残っているのは18人だけです。
「シーギリヤ・レディ」は、オーバーハングした岩壁に描かれています。
この絵が発見されたのは、1857年のイギリス統治時代のこと。
この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人が偶然発見したのだそうです。
びっくりしたでしょうね★
ちなみに、この「シーギリヤ・レディ」の向かい側の壁は、「ミラーウォール」と呼ばれる高さ3mの磨き上げられた漆喰の壁で、かつては向かい側にある「シーギリヤ・レディ」を鏡のように映し出していたのだそうです。
ロックから見た雄大な風景
かつての王都の遺跡が残る
「シーギリヤ・レディ」を見た後、さらに階段を上へと登っていきます。
しばらくすると、大きな広場に辿り着きました。
ライオン・テラスから頂上へ
ライオン・テラス
広場には巨大な岩があり、その岩の麓には、ライオンの爪の形をした入り口があります。
「ライオン・テラス」です。
この「ライオン・テラス」、現在は前足の爪しか残っていませんが、かつては頭や体もあったと考えられています。
けれども、頭と体のパーツは見つかっていないそうです。
ちなみに、「シーギリヤ」の語源は、シンハラ語で、「シンハ」(ライオン)の「ギリヤ」(のど)であるのだそう。
ライオンの入り口から登っていきます。
ライオンの入り口
階段でジグザグと
ライオンの入り口から岩山を登っていきます。
岩山にへばりつくような階段をジグザグと登っていくと、ようやく頂上です。
麓からは40分ほどかかりました。
「シーギリヤ・ロック」の頂上
頂上からの眺め
「シーギリヤ・ロック」の頂上からの眺めです。
高さ195mの岩山の周りは何にもない平原、素晴らしい景観です!
頂上の面積は1.6ヘクタールもあり、王宮や住居、沐浴場などが残されています。
なぜ岩の上に王宮が造られたのか
頂上に残る王宮跡
どうしてこんな所に王宮を建てたのかと不思議になりますね。
話によると、「シーギリヤ」に王都を建てた王「カーシャパ」は、タミル人からシンハラ人に王権を取り戻した偉大な王「ダートゥセーナ」の息子でした。
しかし、「カーシャパ」には、腹違いの弟「モッガラーナ」がいました。
「カーシャパ」の母は平民、「モッガラーナ」の母は王族の血筋、分が悪い「カーシャパ」は、父である「ダートゥセーナ」を部下に殺させ、王権を簒奪したのです。
「カーシャパ」は、「モッガラーナ」に王位を奪還されることを恐れます。
そこで、長らく首都であった「アヌラーダプラ」を離れ、より安全なこの「シーギリヤ」の岩の上に王都を移したのでした。
王宮跡に集まる人々
「シーギリヤ・ロック」に王宮が完成したのは、484年のこと。
しかし、その11年後、「モッガラーナ」は「カーシャパ」に戦いを挑みました。
そして、495年、劣勢になった「カーシャパ」は、自ら喉を掻き切り、自害したのです。
王権を奪取した「モッガラーナ」は、都をかつての「アヌラーダプラ」に戻し、この「シーギリヤ」は、仏教僧に寄進したのだそうです。
雄大な風景が広がっています。
地平線の果てまでジャングル
シーギリヤ・ロックからの風景
「シーギリヤ」は、14世紀頃まで修道院として使われていましたが、その後放棄されます。
そして、イギリス統治時代の1857年に発見され、再び人々に知られることとなったのです。
カーシャパ王が亡くなって1400年後のことでした。
たった11年しか使われなかった「シーギリヤ」の王宮。
現在では、世界遺産に登録され、世界中から観光客が訪れるスリランカ随一の観光名所となっています。
麓に降りてアーユルヴェーダ体験
世界遺産、シーギリヤ・ロック
「シーギリヤ・ロック」の観光を終え、ふもとへと降りていきます。
ふもとに辿り着いたとき、ガイドが「アーユルヴェーダ」をしないかと勧めてきました。
ちょっと興味があったので、施設に行ってみることに。
アーユルヴェーダの施設は、「シーギリヤ・ロック」からバイクで10分ほどのところにありました。
アーユルヴェーダ施設
アーユルヴェーダ体験
コテージが並ぶ施設、ガイドと一緒に敷地内に入ると、スリランカ人のおじさんとおばさんが現れます。
値段を聞くと、Rs.7,500(4,500円)とのこと。
「シーロダーラ」という額に油を少しずつたらす施術や、「バシュパ・スエダ」というハーバル・スチームバスも込みだとのことで、結構お得感があったのでお願いすることにしました。
ハーブの香りに包まれながらのマッサージ、「シーロダーラ」も「バシュパ・スエダ」も心地よく、なんか、体に良いことしてる!って気分になりました〜★
案内してくれたガイド
アーユルヴェーダの施術を終えた後、ガイドさんは、キャンディ行きのバスが出る「ダンブッラ」のバスターミナルまでバイクで送ってくれました。
ダンブッラからはキャンディ行きのバスに乗ります(Rs.100:61円)。
バスは大混雑していましたが、途中から座ることができました。
ダンブッラからキャンディまでのバス
キャンディに着いたのは、夜の10時頃。
夕飯を食べてなかったので食べるところを探しましたが、なかなかやっておらず、何とか見つけた食堂で、「コットゥ・ロティ」という、スリランカのパン(ロティ)を細かく刻み、野菜や肉、卵と一緒に炒めた料理を食べました(味はまあまあ)。
翌朝は、寝釈迦がたくさんいる世界遺産の遺跡「ダンブッラの石窟寺院」へと向かいます。
旅行時期:2014年8月
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