キューバ革命発祥の地、坂の多い「サンティアゴ・デ・クーバ」を街歩き。
雰囲気のある旧市街の街並みを味わいながら、「7月26日モンカダ兵営博物館」や「サンタ・イフィヘニア墓地」、キューバ国産のラム酒「ハバナ・クラブ」の直営店などを巡りました。
サンティアゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)を歩く
サンティアゴ・デ・クーバの街並み
「サンティアゴ・デ・クーバ」(Santiago de Cuba)
キューバ南東部にあるこの国第2の都市で、人口は約40万。
1515年にスペインのコンキスタドール「ディエゴ・デ・ベラスケス」(Diego de Velazquez)によって造られた歴史ある町です。
カサ「Alquiler de Habitaciones」の朝食
朝、7:30に宿泊していたカサ「Alquiler de Habitaciones」で朝食を食べました。
パンにフルーツにチーズにコーヒー。シンプルだけど、これで充分!
食後、さっそくサンティアゴ・デ・クーバの街を歩き始めます。
街角に描かれた絵と落書き「CUBA LIBRE」
宿泊していたカサからサンティアゴの街の中心までは、歩いて10分ほど。
のんびりと歩いて行きます。
途中の建物の入り口には、こんな絵がありました。
謎のヒゲのおじさん。
その下には「CUBA LIBRE」の落書きが!
サンティアゴの小学校の子供たち
道沿いの建物から黄色い歓声が聴こえてきました。
小学校です!
えんじ色の制服を着た子供たちがテーブルを囲んで授業を受けています。
サンティアゴ旧市街の目抜き通り
しばらく歩いていくと、通りが華やいできました。
サンティアゴ・デ・クーバの目抜き通りです。
旧市街の中心「セスペデス広場」と「ドロレス広場」を結ぶこの通りには、レストランや映画館、スーパーマーケットや旅行会社など、様々な店が軒を連ねていました。
セスペデス広場とアスンシオン聖堂
カテドラルから見たセスペデス広場
セスペデス広場の眺め
カテドラルの内部
カテドラルで祈る人々
「セスペデス広場」(Parque Cespedes)と、広場に面して建つ「アスンシオン聖堂」(カテドラル:cathédrale)です。
街で最大のこの「カテドラル」の創建は1520年。現在ある建物は1922年に再建された建物です。
カテドラルの内部では、地元の人たちがキリストや聖母マリアに真剣に祈りを捧げていました。
カテドラルのテラスで体操?が行われていました。
みんなで体操してます。
参加者は年配の方が多かったです。
カテドラルの踊り場では、何やら人々が輪になって集まっていました。
しばらくすると、皆さん、体操らしきものを始めます。
サンティアゴには、肌の色が黒い人が多いです。
話によると、サンティアゴ・デ・クーバは、黒人やムラート(黒人と白人の混血)の比率が多く、白人は1割ほどしかいないのだとか。
サンティアゴの雰囲気のある街路
サンティアゴは坂の多い街です。
街は結構広く、旧市街は3Km四方ほどの広さ。その周囲に新市街があります。
旧市街は高台の上にある感じで、西側にはサンティアゴ・デ・クーバ湾と港があります。
サンティアゴは坂の多い街です。
ぶらぶら歩いていると、肌の色の浅黒い、ちょっと調子のいい感じのキューバ人男性(サッカー選手のロベルト・カルロスに似た人)に声を掛けられました。
「眺めがいい場所があるから案内してあげる」
そう言うのです。
向こうにサンティアゴ・デ・クーバ湾が見えます。
ここが、眺めがいい場所から見た、サンティアゴ・デ・クーバの街の風景です。
うん、立体的な街のパノラマが見渡せて、なかなか良いです!
私が風景をぼんやりと眺めている間、ロベルト・カルロス似の男性は、いろいろ説明をしてきます。
彼は若干、英語が話せました。
坂道の壁に描かれたアート
サンティアゴ旧市街、結構な急坂です。
ロベカル似男性の話では、サンティアゴの主な見どころである「7月26日モンカダ兵営博物館」や「サンタ・イフィヘニア墓地」は結構遠いので歩いて回るのは難しく、車で行く必要があるのだとのこと。
15CUC(1,500円)でそれらを案内できるけどどうか?
と言ってきます。
ちょっと調子が良すぎる人な気もしましたが、OKしてみることにしました。
さっそく、タクシーが呼ばれ、ロベカル君と一緒に、まず、「7月26日モンカダ兵営博物館」へと向かいます。
「7月26日モンカダ兵営博物館」(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)
7月26日モンカダ兵営博物館
黄色い外観が鮮やかな「7月26日モンカダ兵営博物館」(Museo 26 de Julio Cuartel Moncada)です。
ここは、キューバ革命が始まった場所として有名なところです。
1953年7月26日、フィデル・カストロ率いる革命軍は、キューバ陸軍の兵が集まる「モンカダ兵営」を襲撃します。
この作戦は失敗に終わりましたが、この襲撃を端緒として革命の火蓋が切って落とされ、1959年1月1日のキューバ革命政権樹立へと歴史は動いていくことになるのです。
モンカダ兵営襲撃作戦では、121人の仲間のうち、61人が犠牲になり、カストロ自身も逮捕されました。
その後、恩赦されたカストロはゲバラらと合流し、再びキューバで政府軍に対してゲリラ戦を展開していきます。
その時、革命軍の腕には「26」の数字が付けられていましたが、このモンカダ兵営での失敗を忘れないという意味が込められていたのだそうです。
博物館内部には、襲撃の経路や殺された革命軍の同志の写真、武器やユニフォームなどが展示されています。
キューバ国旗をあしらったモニュメント
「7月26日モンカダ兵営博物館」を見た後、再びタクシーに乗り「サンタ・イフィヘニア墓地」へと向かいます。
写真は、途中で見掛けたキューバ国旗をあしらった巨大なモニュメント。
SANTIAGO!フィデルが描かれた看板
モニュメントの脇には、フィデル・カストロの描かれた看板も立っていました。
SANTIAGO!と手を振り上げています。
「サンタ・イフィヘニア墓地」(Cementerio de Santa Ifigenia)
サンタ・イフィヘニア墓地の「コンパイ・セグンド」の墓
サンタ・イフィヘニア墓地
ラム酒王「バカルディ」の墓
「サンタ・イフィヘニア墓地」(Cementerio de Santa Ifigenia)は、旧市街の中心、セスペデス広場から約3Kmほどのところにあります。
ここは、かなり大きな墓地で、ラム酒王「エミリオ・バカルディ」の墓やブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのミュージシャン、「コンパイ・セグンド」の墓、モンカダ兵営襲撃で亡くなった兵士たちの墓など、たくさんの有名人の墓があります。
建国の父「ホセ・マルティ」の墓
サンタ・イフィヘニア墓地
「ホセ・マルティ」の墓
なかでも、キューバ建国の父「ホセ・マルティ」(Jose Marti)の墓は巨大なドームの中に造られた立派なもの。
内部には、ホセ・マルティの像と、キューバ国旗に包まれた棺が納められています。
「サンタ・イフィヘニア墓地」では、毎日決まった時間に衛兵の儀式が行われます。
強烈な日差しの下、高らかなファンファーレに合わせ、兵たちが足を高々と上げて行進していきます。
国産ラム酒「ハバナ・クラブ」や葉巻を売るお店
国産ラム酒「ハバナ・クラブ」や葉巻を売るお店
「サンタ・イフィヘニア墓地」を訪れた後、案の定、ロベカル君に土産物屋に案内されました!
訪れたのは、キューバ名物、国産のラム酒「ハバナ・クラブ」や葉巻「コイーバ」を売るお店です。
ロベカル君によると、ここは政府が運営するお店であるとのこと。
ズラリと並んだ「ハバナ・クラブ」(Habana Club)
ズラリと並んだ「ハバナ・クラブ」(Habana Club)
様々な種類の「ハバナ・クラブ」があります。
ラム酒は、サトウキビを蒸留して造られるキューバ特産のお酒。
モヒートやマイタイ、ピニャコラーダ、ダイキリ、キューバリブレなど、カクテルのベースとして使われる人気のお酒です。
キューバ産の葉巻、コイーバ(COHIBA)
こちらは、キューバ産の葉巻「コイーバ」(COHIBA)
最も知名度の高い高級ブランドの葉巻として、世界中のユーザーに愛されている葉巻です。
右にあるのは、「コイーバ・シガレット」
「ハバナ・クラブ」も「コイーバ」もキューバらしいお土産として惹かれるものがありましたが、このお店はかなり高かったのでパス。
すると、ロベカル君、待ってましたと言わんばかりに、彼の知り合いのお店に案内をしました。
政府のお店から歩いてすぐのところにある知り合いのお店で、「ハバナ・クラブ」と「コイーバ」を見せられます。
値段は忘れてしまいましたが、政府のお店に比べて半額程度の値段。
でも、何となく品質が不安な気がしたため、買うのはやめておきました。
すると、今度はロベカル君、ガイド料として50CUC(5,000円)払えと言ってきます。
タクシーの15CUC以外にガイド料も必要になるだろうなと思っていましたが、いくらなんでも高すぎます。
ここは、タクシー料金15CUC+ガイド料15CUCということで押し通しました!
ロベカル君、かなり不満そうでしたが、これでも十分な金額だと思います。
サンティアゴ・デ・クーバのカラフルな街並み
ロベカル君と別れると、お腹が空いていることに気づきました。
もうお昼時です。
旧市街の中心「セスペデス広場」辺りにあるレストランにでも行って、ランチしましょうかー!
旅行時期:2013年4月〜5月
コメント