カンボジアの首都「プノンペン」街歩き|「トゥール・スレン博物館」とポルポトの大虐殺

プノンペン エスニックな旅
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世界三大仏教遺跡のひとつ「アンコール・ワット」

密林の中にあるこの遺跡を見るため、カンボジアへと旅しました。

アンコール遺跡群とシェムリアップの町、首都プノンペンなどをご紹介します。

今回は、カンボジアの首都プノンペンです!

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発展著しい、プノンペンの街を歩きます

プノンペン

カンボジアの首都プノンペン(Phnom Penh:ភ្នំពេញ)。

シェムリアップから到着した私たちは、シェムリアップで紹介されたバイタクのお兄さんと無事出会い、彼に街を案内してもらいました。

 

写真は、プノンペンの中心部であるノロドム通りの風景です。

バイクが通りを埋め尽くしていて、エンジン音やクラクションが鳴り響いており、かなりの喧しさ。けれども、この喧しさこそが、この国の発展振りを表している感じです。

プノンペン

プノンペン

この写真は、2003年の時の様子。

かなりカンボジアも発展してきているので、今ではバイクよりも車の数が増えていると思われます。

カンボジアの経済成長率は6%を超え、ベトナムやタイを上回る勢いだそうです。ここ数年は、ミャンマーと並び、日本企業のカンボジア進出が活発化しているのだとのこと。

プノンペンプノンペンの街並み

プノンペン赤いアンコールビールのオート

プノンペン首都を歩く仏僧たち

 

カンボジアは、かつてフランスの植民地支配を受けていました。

プノンペンの街にはフランス風の瀟洒な建物が多く建てられ、かつては「東洋のパリ」とも呼ばれていたそうです。

現在でも、フランス時代の建物はいくつも残っています。

 

プノンペンはクメール語で「ペン夫人の丘」という意味です。川に流れていた仏像を見つけたペン夫人は、仏像を丘に手厚く祀ったのだそうです。その丘が「プノンペン」と名付けられ、町の名前にもなりました。

プノンペン

王宮です。

カンボジアは、国王を元首とする立憲君主制です。現在の国王は2004年10月に即位したノロドム・シハモニ国王。

あの王宮に国王一家が住んでいるそうです。

プノンペン

メコン川です。

プノンペンは、メコン川の上下流・トンレサップ川・バサック川の「四つの川」の合流点に位置しています。

「アンコール・ワット」のあるシェムリアップからは、高速ボートでトンレサップ川をずっと下流に下って向かいます。メコン川との合流地点が、プノンペンです。

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「トゥール・スレン博物館」とポルポトの大虐殺

プノンペン

こちらは、「トゥール・スレン博物館」

カンボジアは、1970年代のポルポト政権下で大量虐殺が行われました。その際に、捕らえられた人々が収容されていたのがこの建物で、それまでは小学校として使われていたそうです。

1975年4月17日、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュのポル・ポト書記長がクメール共和国を打倒し、民主カンプチアを樹立した。クメール・ルージュの権力掌握から1979年1月6日の民主カンプチア崩壊までの3年8カ月20日間のポル・ポト政権下にて、原始共産制の実現を目指すクメール・ルージュの政策の下、旱魃、飢餓、疫病、虐殺などで100万人から200万人以上とも言われる死者が出た。この死者数は、1970年代前半の総人口は700~800万人だったとの推計の13~29%に当たり、思想改造の名の下で虐殺が行われた。教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者、その他良識ある国民のほとんどが捕らえられて強制収容所に送られた。生きて強制収容所から出られたのはほんの一握りであった。それ故、正確な犠牲者数は判明しておらず、現在でも国土を掘り起こせば多くの遺体が発掘される。

カンボジア – Wikipedia

博物館の内部には、拷問室があって、鉄骨のベッドや足枷がそのままの状態で残されています。結構生々しいです。

隣の棟の壁には、ここに収容された人々の顔写真が一面に貼られていました。老若男女、子供の姿も多くあります。

この刑務所には約2万人が収容されていたのだそうです。けれども、生存者はたったの6人。

その6人の解放当時の写真と現在の写真が並べられ飾られていました。

やせ細って虚ろな表情をした当時の青年や婦人の白黒の写真。そして、現在のニコニコと微笑んでいるおじさんやおばさんのカラー写真。

 

市の南西12キロのところには「キリング・フィールド」という場所があります。

のどかな田園地帯を進んでゆくと、真っ青な空と白い雲の下、緑の木々と芝生に囲まれた慰霊塔と共同墓地があります。

慰霊塔のガラスケースにはおびただしい遺骨が安置されています。8985人分の遺骨だそうです。

付近の地面には埋められた遺骨を掘り返した穴が残っています。

かつてベトナム軍がカンボジアを解放したとき、カンボジア中の地面から遺骨が出てきたのだそうです。

プノンペン

カンボジア人は皆、いつもにこやかに微笑んでいます。

けれども、彼らのうち、肉親の中に殺された者が何人かはいるはずであり、殺す側だった者も大勢いるはずです。

カンボジアの人々は、そういう様々な葛藤やトラウマを心の中に抱きながら生きているのかもしれません。

 

カンボジアは、現在、ポル・ポト派も壊滅し内戦も集結し、平和になりました。

町もものすごい勢いで発展しています。観光資源が豊富なこの国には和平後、多くの観光客が訪れるようになり、それを目当てに人々はガイドを始めたりバイタクになったり英語やフランス語を勉強したりしています。

本当によかったと思います。

 

旅行時期:2000年3月・2003年8月

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