日本建国の礎の地、奈良・飛鳥の旅2日目の午後。
午前中、「高松塚古墳」や「キトラ古墳」「石舞台古墳」などの古代遺跡と、「稲渕の棚田」で飛鳥村の農村風景を堪能しました。
午後は、橘寺〜亀石〜飛鳥宮跡〜酒船石〜奈良県立万葉文化館〜飛鳥寺〜甘樫丘と巡り、橿原神宮前で自転車を乗り捨て、奈良へと向かう予定です。
飛鳥遺跡めぐりMAP
⑧橘寺
「橘寺」の入り口
まず訪れたのが「橘寺」
明日香村の中心部から自転車に乗って数分。県道155号線の南側、長閑な田園の中に「橘寺」はあります。
聖徳太子誕生所
「橘寺」の建物
「橘寺」は、聖徳太子が生まれた場所に建つ寺として知られています。
また、境内には、善悪2つの顔を持った「二面石」があり、1997年に建てられた「往生院」の天井画が美しいことでも有名です。
「橘寺」の西門
竜の像がある手水所
聖徳太子の愛馬とされる「甲斐の黒駒」の銅像
「橘寺」の創建年代は不明ですが、7世紀前半に創建されたのではないかと考えられています。
聖徳太子が誕生した場所であると言われ、太子建立の七ヶ寺のひとつとされているのだとのこと。
8世紀には66もの伽藍を持った大寺院だったそうですが、その後、戦乱などによって多くの建物が消失し、現在ではわずかな建物を残すのみとなっています。
「二面石」
善悪二つの顔が彫られています。
こちらは「二面石」
善悪二つの顔が彫られた、高さ1m、長さ85cm、幅52cmの花崗岩で造られた石造物で、その姿形から「吉備姫王墓」にある「猿石」と同じ場所から掘り出されたものだと考えられています。
制作年代や造られた目的などは謎です。
「橘寺」の本堂
こちらが「橘寺」の本堂です。御本尊は、聖徳太子・如意輪観音。
現在の建物は、江戸末期の元治元年(1864年)に再建されたものです。
安置されている「木造聖徳太子坐像」は、聖徳太子35歳の像で室町時代の永正12年(1515年)の制作。聖徳太子の彫刻としては最も古いものだそうで、重要文化財に指定されています。
「往生院」の天井画
260点の花の絵
こちらは、「橘寺」のもう一つの見どころ。1997年(平成9年)に念仏写経研修道場として再建された「往生院」の天井画です。
天井の格子には、現代の画家によって奉納された260点の花の絵がずらりと並んで壮観のひと言!
小ぢんまりとしていますが魅力的なお寺です。
「橘寺」の県道を挟んで北側にある「川原寺跡」(奥に見えるお寺は弘福寺)
「橘寺」、小ぢんまりとしたお寺ですが、見どころも多く魅力的なお寺でした。
「橘寺」を見た後は、西へ向かい、「亀石」を見に行きます。
●橘寺
拝観時間:9:00~17:00(受付16:30まで)
休業日 :無休
拝観料 :大人・大学生350円 高校生・中学生300円 小学生150円
⑨亀石
「亀石」
「橘寺」から西に800mほど進んだ、民家や畑がある界隈の脇に謎の石造物があります。
「亀石」と呼ばれる遺跡です。
ユーモラスな姿の「亀石」
「亀石」は、長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られている石造物。
そのユーモラスな姿から、明日香村の観光のシンボルともなっていて、土産物のグッズやマンホールの蓋の図柄、バスの名前(かめバス)などにもなっています。
建造時期も造られた目的もわかっておらず、彫られた彫刻が亀であるかも不明であるとのこと。
ちなみに、亀石の前に置かれた説明には下記のような記載がありました。
亀石
亀石と呼ばれる石造物は、いつ何の目的で作られたのか明らかでないが、川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石ではないかという説がある。
伝説
むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまった。湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうである。
今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。明日香村 飛鳥保存財団
⑩飛鳥宮跡
「飛鳥宮跡」
「亀石」から東へと戻り、郵便局のある交差点を左折してしばらく進んだところ。亀石から1㎞ほどの広々とした平原の中に「飛鳥宮跡」があります。
「飛鳥宮跡」は、飛鳥時代の大和朝廷の宮廷や豪族の邸宅、寺院などがあった都市遺跡で、6世紀末から7世紀後半までの宮殿遺構と考えられています。
ちなみに、この「飛鳥宮跡」は、日本人なら誰でも知っている「大化の改新」が行われた舞台としても知られています。
ここで「大化の改新」について、ちょっとおさらい。
大化の改新とは?
「大化の改新」とは、645年の「乙巳の変」を皮切りに、中大兄皇子と中臣鎌足らが中心となって行った政治改革のこと。
聖徳太子の死後、朝廷は豪族である蘇我氏によって事実上支配されていました。蘇我氏は天皇を次々と擁立したり廃したりするなど、意のままに朝廷を操っていたのです。
中大兄皇子と中臣鎌足らは、そんな、豪族によって支配される国から、唐の律令制を参考にした天皇中心の「中央集権国家」へと変えようと企図します。
645年、彼らは当時の権力者である蘇我入鹿を暗殺します(乙巳の変)。これによって蘇我氏は滅ぼされることとなります。
そして、翌646年、彼らは新政権の方針を大きく4か条にまとめた「改新の詔」を発布。以後、日本は律令国家としての道を歩み始めることとなったと考えられています。
「改新の詔」の内容は以下の4つです。
- 皇族・豪族の私有地・私有民の廃止
- 地方行政制度の確立
- 班田収授の法の実施(戸籍・計帳の作成)
- 租庸調などの統一的な税制の実施
なお、この「改新の詔」の内容が実質的に達成されるのは、701年(大宝元年)に「大宝律令」が制定されてからのことであるとのこと。
ちなみに、645年の「乙巳の変」を受け、孝徳天皇が即位したのですが、その孝徳天皇の時から日本初めての元号「大化」が定められました。
「日本」という国号も、「天皇」という称号の使用も、この改革によって始められたのだそう。
「飛鳥宮跡」の石敷広場
広々とした平原に復元整備された石敷広場や大井戸跡。
「飛鳥宮跡」は、複数の宮が重層的に置かれた跡だと考えられており、これらの遺構は大化の改新より後の天武・持統天皇の時代(672〜694年)のものだそう。
伝統音楽の演奏が行われていました。
訪れた時、「飛鳥宮跡」では、古代装束を身に纏った人々が集まっており、音響機材や撮影機材なども置かれ、何かの撮影か録音かが行われている様子でした。
邪魔しちゃいけないと思い、あまり長くは見ませんでしたが、笛や太鼓をバックにした歌唱と伝統的な舞踊は、なかなか雰囲気ありました★
⑪酒船石
「酒船石」
「飛鳥宮跡」から北東へ500mほど。小高い丘の上の鬱蒼とした竹林の中に「酒船石」があります。
「酒船石」は、長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩でできた石造物。石の上面に円や楕円の窪み、それらを結ぶ溝が彫られているのが特徴の謎の石です。
石に円や溝が彫られています。
「酒船石」の解説
何のために作られたのかはわかっていません。
「酒船石」は、誰が何のために作った物なのかはわかっていません。
江戸時代から多くの説が唱えられ、酒を作る施設、薬を作る施設、あるいはこの石の東40mの高い所で、ここへ水を引くための土管や石桶が見つかっていることから、庭園の施設だという説もあるそうです。
また、平成12年には、「酒船石」の北側で「亀形石造物」や「小判形石造物」「湧水設備」が発見されていますが、「酒船石」と関連性があるかどうかは不明です。
この「酒船石」、手塚治虫の漫画「三つ目がとおる」にも登場し、主人公の写楽が古代三つ目人の薬を調合するのに使っていました★
シンプルかつシュールな造形と、竹林の中に佇む神秘的なロケーション。誰もが想像力を掻き立てられる魅力的な遺跡です。
⑫奈良県立万葉文化館
「奈良県立万葉文化館」
「酒船石」の200mほど北側の丘の上に建つのが「奈良県立万葉文化館」
「奈良県立万葉文化館」は、2001年に開業した、日本最古の歌集『万葉集』をテーマとした美術館・博物館。
古代文化に関する総合文化拠点として建てられた本館には、万葉の時代の様子を再現した展示コーナー「歌の広場」や、万葉の時代をテーマとした創作歌劇を上演する「万葉劇場」、万葉をモチーフに現代のアーティストが描いた作品が並ぶ「日本画展示室」、日本の古代文化に関する図書や資料を修蔵・展示した「万葉図書・情報室」、ミュージアムショップやカフェレストランなどが設置され、万葉の文化について幅広く学ぶことができる施設となっています。
炉跡群の修復展示
館内の中庭には、万葉文化館建設の際に見つかったという「飛鳥池工房遺跡」の復元遺構が展示されています。
「飛鳥池工房遺跡」は、日本最古の貨幣と言われる「富本銭」を鋳造した場所であるとのこと。
万葉の時代の様子を再現した展示コーナー「歌の広場」
「歌の広場」の展示
館内には色々な展示がありましたが、今回は時間が無かったこともあって、さらっと観覧。「万葉劇場」での創作歌劇も見ることを断念しました。。。
●奈良県立万葉文化館
営業時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)
休業日 :毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、年末年始、展示替日
観覧料 :無料(展覧会観覧は有料)
万葉文化館の入口に立つ「せんとくん」
こちらは、万葉文化館の入口に立つ「せんとくん」
2008年の発表当初、密室で選定されたこと、高額な制作費がかかったことなどから批判が殺到し、メディアでかなりの話題になった「せんとくん」。
対抗する非公式マスコット「まんとくん」や「なーむくん」なども作られましたが、この騒動のおかげで「せんとくん」の知名度は全国的に高まり、現在では、「平城遷都1300年祭」の公式マスコットキャラクターのみならず、奈良県の観光マスコットキャラクターとしても採用されるようになっています。
スパイスカレー屋「tabi tabi」
こちらは、万葉文化館の入口近く、チャレンジショップモール「ASUCOME」内のカレー屋さん「tabi tabi」の案内看板。
こんな所でミールスが食べられるなんてびっくり!
かなり気になりましたが、先ほどランチをいただいたばかりだったので断念。。。
⑬飛鳥寺
「飛鳥寺」
万葉文化館を出た後は、「飛鳥寺」へと向かいます。自転車で北西に5分ほど。
「飛鳥寺」は、蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたお寺。
お寺の法号は、仏法が興隆するという意味の「法興寺」「元興寺」といい、日本で最初に建てられた仏教寺院と言われています。
鎌倉時代に伽藍の大半が消失し、現在の本堂は江戸時代に再建されたものだとのこと。
飛鳥寺の御本尊「銅造釈迦如来坐像」
日本最古の仏像と考えられています。
本堂にある御本尊「銅造釈迦如来坐像」は、609年(推古天皇17年)の完成。日本最古の仏像であり、“飛鳥大仏”の通称で親しまれています。
像高は275.2cm。結構大きいです!
仏像の製作者は、渡来系の仏師である「鞍作鳥(止利仏師)」とされ、15tの銅と30kgの金を使って造られたのだそう。
1400年もの長い歳月の間、飛鳥の地を見守り続けてきた「飛鳥大仏」、火災による破損などで多くの部分が後世に修復されたものだそうですが、面長の顔立ちやアーモンド型の目など、そのお姿は「鞍作鳥」が造った本来のスタイルを留めています。
「阿弥陀如来像」(木造・藤原時代)
「聖徳太子孝養像」(木造・室町時代)
こちらは、「飛鳥大仏」の両脇に安置されている「阿弥陀如来像」(木造・藤原時代)と「聖徳太子孝養像」(木造・室町時代)。
「飛鳥大仏」の脇にさりげなく安置されていますが、いずれも500年以上もここに安置された歴史ある彫像です。
蘇我入鹿の首塚
飛鳥寺の裏口を出て100mほど西に向かったところに、「蘇我入鹿の首塚」があります。
蘇我入鹿の祟りを沈めるために建てられた五輪塔です。
小さな五輪塔は田んぼの中に静かに佇んでいました。
仏教を日本に広めようと、聖徳太子と共に「飛鳥寺」を建立。その後、権力を手中に収め、宮廷を欲しいままに操ったものの、「乙巳の変」によって滅ぼされてしまった蘇我氏。その間およそ50年。
「飛鳥寺」界隈の畑
「飛鳥寺」の本堂
さて、そろそろ日がかなり傾いてきました。
時刻は16時。あと1時間で橿原神宮前に向かい、自転車を返さないといけません!
急いで最後の目的地「甘樫丘」へと向かいます。
●飛鳥寺
拝観時間:9:00~17:30(10月~3月は17:00まで)
休業日 :4月7日~4月9日
拝観料 :大人・大学生…350円 高校生・中学生…250円 小学生…200円
⑭甘樫丘
「甘樫丘」
飛鳥寺から自転車で5分ほど北西へ。そこから自転車を降り、階段を登って10分ほど。
明日香村の風景を見渡せる「甘樫丘」の頂上へと辿り着きます。丘の標高は148m。
階段はそれほど急ではないですが、急いで登ったので息が切れました(汗)
飛鳥に沈む夕陽
色付き始めた樹々とその向こうに広がる飛鳥の風景
「甘樫丘」の上からは、明日香村が一望でき、耳成山、畝傍山、天香久山といった大和三山を眺め見ることができます。
夕陽を浴びた明日香村の里山風景、美しいです♪
夕陽を浴びた里山の様子
1500年前の昔も、こうやって夕陽を眺める人がいたのでしょうか。
およそ1500年前、この飛鳥の地は日本という国の中心の場所でした。
様々な権力者が栄枯盛衰を繰り返す中、大陸からの渡来人が文化を伝え、仏教が興隆し、改革によって律令制度などの日本の骨格が、この地で形作られたのです。
長閑な里山風景が広がる現在の明日香村を眺めながら、ちょっと感慨深い気分になりました★
橿原神宮前駅前の「明日香レンタサイクル」で自転車乗り捨て
「甘樫丘」で飛鳥の風景を堪能した後、急いで丘を降り、自転車に乗って橿原神宮前へ。
15分ほどで到着し、駅前の「明日香レンタサイクル」で自転車を返却しました。
17時のクローズ時間の20分前の到着。間に合ってよかったです★
上の写真がレンタルした電動自転車。丸一日、活躍してくれました!
JR万葉まほろば線で奈良へ
JR万葉まほろば線の畝傍駅
橿原神宮前に着いた後、荷物を預けていたホテル「THE KASHIHARA (ザ 橿原))」で荷物をピックアップ。本日宿泊予定の奈良へと向かいます。
橿原神宮前からは、まず、近鉄橿原線に乗って八木西口で下車。そこから歩いて6分ほどのところにあるJRの畝傍駅から万葉まほろば線に乗って奈良へと向かいました。
所要時間は55分ほど。
JR万葉まほろば線
JR万葉まほろば線は、2両編成のワンマン運転でローカルな風情でしたが、車両が新しくて結構快適。空いているのも良かったです。
55分ほどで奈良に到着し、予約していた駅前のホテルへと向かいます。
「ピアッツァホテル奈良」のお部屋
こちらが、宿泊した「ピアッツァホテル奈良」のお部屋。
「ピアッツァホテル奈良」は、楽天トラベルでネット予約。
一泊朝食付きスーペリアダブルルーム(28,800円)がGoToトラベルキャンペーンで10,080円割引になり、18,720円!
4,000円分の地域クーポンも付いているので、かなりお得でした♪
翌日は、奈良駅からバスに乗り、奈良市東の里山の中にある南インド料理店『vanam(ヴァナム)』に行ってランチをいただき、奈良でお土産を購入し、京都経由で新幹線で東京へと戻る予定です。
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