西アフリカの国「セネガル」。その首都「ダカール」は、でフランス語圏西アフリカの商業の中心都市。西アフリカ旅行の玄関口であり、セネガルは、西アフリカの中でも治安の良い国として知られています。
今回は、セネガルの首都「ダカール」についてご紹介します♪
パリから飛行機でサハラ砂漠を越え、ダカールへ
ダカール行きの飛行機から見た雲海
「セネガル」の首都「ダカール」へは、フランスのパリから飛行機で向かいました。
パリの「シャルル・ド・ゴール空港」を飛び立った飛行機は、一路南へ、アフリカ大陸へ。飛行機は地中海を抜け、サハラ砂漠へと入ります。
果てしなく続くかに見えた黄褐色のサハラ砂漠が不意に途切れ、紺碧の広がりが目に飛び込んできました。
目の覚めるようなコントラスト、大西洋です!
上空から見たダカールの街
機体は海に沿って進みながら、徐々に高度を下げていきます。そして、しばらくすると眼下に白茶けた街の姿が見えてきました。セネガルの首都「ダカール」への到着です。
ダカールのバス停
ガランとしたダカールの街並み。日差しが強いです。
午後の陽光を強烈に照り返している薄汚れた家々の白壁。ぼろぼろの車、少ない人通り。白と砂色が織り成す殺伐とした街の風景。影がやけにくっきりと黒々としています。
セネガルは、フランス語圏。現地語としてウォロフ語を始めとする様々な言語がありますが、共通語としてフランス語が話されています。これは20世紀の初頭に、この地域一帯がフランスの植民地支配を受けたということが影響しています。これから先、フランス語によるコミュニケーションには苦労しそう。
海岸沿いの通り
ダカールの街角とミニバス
入国審査を済ませ、ターンテーブルに向かい、自分の荷物を取りに行こうとすると、黒人が私の荷物を取り持っていこうとしています!
その黒人に追いすがり、「それは私の荷物なんだけど」と言うと、「荷物を運んであげる」とのこと。
荷物を勝手に運んで、後でお金を請求する、よくあるやり口。
もちろん、彼に荷物運びは頼まず、彼から荷物を取り返しました。
海岸沿いの通り
両替所へ向かいます。薄暗い両替所にいたのは、恰幅の良いおばさん。
おばさんに両替レートを聞くと、1米ドル(118円)が、550セーファーフラン(CFA)であるとのこと。
私は、200ドルを両替することにして(110,000CFA:23,600円)、2枚のアメリカンエキスプレスのトラベラーズチェックを渡し、分厚い札束を受け取りました。
確認のため札束をチェックすると、案の定10,000CFAほど足りません。
「おばさん、足らないよ!」と言うと、彼女はその表情を全く変えることなく、10,000CFAを投げるようによこしました。
空港を出て、ダカールの町へ
ダカールを走るミニバス
空港前は日本の郊外の駅前のように何も無く、ガランとしていました。タクシーも数台しかいません。
けれども、私の周りには人だかりが出来ていました。タクシーの運転手や客引き、ガイドのような人たちです。
彼らを適当にあしらっていると、少し外れたところに青いバスが停まっているのを見つけました。
私は、客引きたちを振り払い、バスの運転手に、ダカール市内へ行くかどうかを尋ねると、「行く」とのこと。私はバスに乗ってダカール市内へと向かうことにしました。
ボロボロのダカールのミニバス
乾いた街を走っていくバス。建物の色は砂色のモノクロームですが、街を歩く人々の服装はカラフル! 学生風の女性が乗り込んできました。とてもおしゃれです。黒い肌に原色の衣装が似合っています。
通りを行き交う車はどれもボロく、街は空港と同じようにガランとしていて、あまり活気はないような印象。
私は中心街でバスを降り、チュニジア人の経営する宿「A Louver Chambre Meublee」(トリプルルーム、トイレシャワー共同 10,000CFA 2,124円)にチェックインしました。
ダカールの街をぶらぶら散歩!
宿の屋上から見たダカールの街
セネガルの首都、ダカールの朝。
朝、シャワーを浴びた後、宿の屋上に登り、周りの風景を眺めてみました。
明るい日差しが目に飛び込んできます。真っ青な空。今日も暑くなりそうです。
ダカールの建物はどれも薄汚れたクリーム色をしており、何だか寂れたような建物が多い印象。
ダカールの街は黄色のタクシーがたくさん
活動し始める人々
路上に品物を並べ始める
街の色合いは淡白
朝から日差しが強い
通りを見下ろすと、活動し始める人々の姿が見えます。路上に靴を並べる人、店の準備をする土産物屋。黄色のボロいタクシーがたくさん走っています。
行きつけのスタンドカフェ
朝食をとるため宿を出ました。
独立広場を抜けた所にあるスタンドカフェで、エスプレッソとチョコクロワッサンを購入。誠実そうなお兄さんが売り子を務めるこのカフェは、ダカールでの行きつけのお店となりました。
ダカールのマルシェ(市場)
ダカールのマルシェ(市場)
こちらは、ダカールの街の中心にある「マルシェ(市場)」
マルシェには、野菜やら日用品やらが雑然と並べられており、内部は暑苦しく埃っぽくて、肉や魚の匂いでむんむんしていました。
マルシェの付近にはいろんな人がたむろっていて、引っ切り無しに声をかけられます。
調子のいいズボン売りのノリに負けて派手なズボン(2,000CFA:424円)を購入してしまったり、別の日には、やたら強引なCD売りにCDを押し売りされ、購入したCD(5,000CFA:1,062円)が音割れがひどいキズモノCDだったり。
日本大使館に訪問
海岸沿いのアスレチックコース
ダカールの日本大使館は、海岸沿いにあります。
ダカールには日本人はおろか、旅行者らしき人をほとんど見かけなかったので、情報を集めるために訪問しました。
日本大使館は、周りを圧するような巨大な建物で、まるで要塞のよう。
中に入ると大使館の職員が笑顔で迎えてくれました。
館内には、情報ノートがあり、日本語の本もたくさん並べられており、自由に見て構わないとのこと。
また、アフリカの旅の心配事である「マラリア」について聞くと、医務官を紹介してくれ、現れた医務官の方は、マラリアの予防策、罹った時の対処法を教えてくれ、薬を買うための紹介状も書いてくれました。
マリ大使館でビザ取得
ダカールの建物(何の建物かはよくわかりません)
大使館を訪問した後、ボロボロのタクシーをつかまえ、マリ大使館へと向かいました。
セネガルの次は、隣国マリへ行こうと思っていたのですが、マリへの入国にはビザが必要なのです。
大使館では、フランス語がわからず四苦八苦しましたが、午前中にビザ申請し、午後2時に受け取ることができました。値段は27,500CFA(5,840円)。
「Touba」という地元食堂で「ヤッサ」を食べる
ダカールの港の風景
昼食は、「Touba」という地元食堂で「ヤッサ」を食べました。
「ヤッサ」とは、ライスの上に玉ねぎとレモンで煮たチキンや魚を載せた、この地域の代表的な料理。
初めて食べましたが、なかなかの美味しさ。コーラと合わせて1,700CFA(400円弱)。
ダカールでは他にも、ライスにピーナッツシチューをかけた料理「マフェ」や、北アフリカ料理の「クスクス」、アラブ風サンドイッチ「シュワルマ」(ドネルケバブと同じようなもの)もよく見かけます。
飲み物は、コーラやファンタなどの清涼飲料水の他に「ビサップ」というジュースがよく飲まれています。
「ビサップ」は、ハイビスカスの花を煮出して砂糖を加えた飲み物で、色は真紅です。
この「ビサップ」、味はやたらと甘いのですが、さわやかな酸味があり暑いダカールにはちょうどいいお飲み物。
ダカールの街並み
ダカールの街路で金曜礼拝が始まりました!
ダカールの街並み風景
午後、道端で出会ったセネガル人と一緒に道を歩いていると、突然周りの人々が道に御座を敷き座り始めます。
何事か!とびっくりしましたが、一緒に居たセネガル人によると、「そろそろ礼拝の時間」であるとのこと。
この日は、イスラム教の安息日である金曜日。ちょうど、この時間が金曜礼拝の時間ということのようです。
道端で始まった金曜礼拝
しばらくすると、道は御座を敷いた人で埋まりました。車も全て停車。
モスクのスピーカーからアラビア語の礼拝の呼びかけが聞こえ始めてきます。
「アッラーフ、アクバル」
人々は呼びかけに応じ、立ち上がり、中腰になり、跪きます。
イスラム教の礼拝です!
もちろん私も彼らに倣って、立ち上がり、中腰になり、跪きました。
立ち上がり、中腰になり、跪きます
ダカールのモスク
ダカールのモスク
セネガルを含めた西アフリカにはイスラム教徒が多くいます。
彼らはみな敬虔なムスリムです。
ちょうどその頃、アメリカがイラクに対し軍事攻撃を開始しているところで、宿の人々は、アメリカのイラク攻撃のニュースを見て、とても憤慨していました。
「ブッシュはひどい!だけど、フセインも悪い」
話を聞いていると、彼らは、妄信的にキリスト教徒に敵対しているわけではなく、アメリカという部外者がイスラムの文化を尊重しないことに腹を立てているようでした。
市内にある博物館「イファン・ミュゼ」
ダカールの街中にあったモニュメント
ダカール市内にある博物館「イファン・ミュゼ」
ここは、西アフリカの様々な民族を紹介・展示している博物館です。
館内には、ドゴン族やヨルバ族を始めとした各部族の仮面や木彫りの彫像などがいくつも並べられていました。
展示された各部族の工芸品は、それぞれとても個性的な造形。見ていて飽きません!
後ろにあるのはバオバブの木
何かを伝えようとしている人
博物館の2階には、奴隷貿易に関する展示がありました。
300年前、彼らは狭い船に詰め込まれ、アメリカ大陸に連行され、そこで奴隷として売られました。展示室には、奴隷を運搬するのに使われた船の模型や、奴隷を拘束した鉄枷や拷問に使われた器具などが並べられています。
展示室の壁には、現代のセネガルの子供たちが描いた、奴隷貿易の悲惨な歴史に関する絵が展示されていました。
ダカールの街角風景
夕方、宿のチュニジア人マネージャーと一緒に蚊帳を買いに出掛けました。
次の訪問国であるマリはマラリアの発生地であり、蚊帳を持っていく必要があったからです。
蚊帳が買いたいことをマネージャーに伝えると、買い物に同行し、値引き交渉を手伝ってくれるとのこと。
マネージャーといくつかの店を廻り、3軒目で手頃ないい蚊帳を見つけました。
店主は最初、相当な額を吹っかけてきたようですが、マネージャーが交渉してくれ、4,000CFA(812円)で購入することができました。
感謝です。
旅行時期:2003年3月〜4月
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