※前回の記事→カートを噛みながらのバス旅。アデンからムカッラ、サユーンへ【イエメン】
アラビア半島南端にある「イエメン」
中世のアラブの風情を色濃く残すこの国。白い漆喰でデコレーションされた高層の建物が建ち並び、アラブ風の長衣を纏った男性の腰には、日本のサムライのように刀が差してあります。
そんなイエメンの町や風景をご紹介します。
今回は「サユーン」の町です!
辺境のハドラマウト地方にある「サユーン」の乾いた町の様子です
サユーンのモスク
アラビア半島最大のワディ(涸れ谷)、「ワディ・ハドラマウト」にある町「サユーン」。
かなりの辺境に来たという感じです。
「ワディ・ハドラマウト」は幅約2キロ、長さ約60キロ、谷の深さが約300メートルにも及ぶ巨大な谷。
「サユーン」は、このハドラマウト地方の中心都市で標高は約800メートル、町には飛行場もあります。
町からはグランドキャニオンのような巨大な絶壁が谷の両側にずーっと続いているのが見えます。雨はほとんど降らず、盆地のため夏の暑さはもの凄いそうです。
けれども、ちょうどこの時期は冬だったため、気候は穏やかでした。
写真は、サユーンの中心部にあったモスクです。かなり立派なモスク。このモスクの前がサユーンの中心街。町は結構閑散としていました。
カシーリー朝のスルタン宮殿
これはサユーンで一番有名な建物、カシーリー朝のスルタン宮殿です。この宮殿は1930年に建てられて1960年代までスルタンが住んでいたそうです。16の建物で構成され、内部には90もの部屋があるのだとのこと。
カシーリー朝は15世紀末にこの地方を支配した王朝だそうです。
サユーンの聖職者のお墓とミナレット
水色のドームは、サユーンのこの地域の偉い聖職者のお墓だそうです。向こうに見えるのはミナレット、サナアのものとは随分と形が違いますね。
このハドラマウトという地域は、アジアとの繋がりがある場所です。
もともとここ、ハドラマウトの人々は偏西風を利用したインド洋交易によってアジアと交流していたそうで、インドや東南アジアの人や風物がこの地にかなり流入していたみたいです。
東南アジアから南インドを通って、イエメン南部のハドラマウト、そして、アフリカ東岸のザンジバルなどへ、偏西風を使った船の旅。
なんだか、ロマンですね〜!
「タリム」のミナレット
これは、サユーンへと向かう乗り合いタクシーに一緒に乗ったイエメン人からもらった写真です。
かれは、教養のありそうな人だったのですが、熱心にイスラム教を勧めてきたのが困りものでした。
写真に写っているのはサユーンからさらに東へと進んだ町「タリム」にあるモスクのミナレットです。
「タリム」は、この地方の学問の中心地として有名な町。
残念ながらこの時は時間がなかったため訪問しませんでした。
旅行時期:1998年2月