グアテマラ、火山のふもとに暮らすマヤ人のマリア。
自らの運命にあらがう魂は、やがて新たな生命をはぐくみ、聖なる大地に祈りを捧げる──。
それは、太古の記憶を呼び覚ます、大いなる「生」の物語。
”火の山”に暮らすマヤ人の過酷な現実と、そこで生きる女性たちの力強い”母性”
舞台は中米の国、グアテマラ。
その首都グアテマラシティの北西部にある高地の農場です。
”火の山”アグア山の麓に広がるこの一帯には、カクチケル語という言語を話す先住民族のマヤ人が住んでいて、主人公である少女「マリア」は、コーヒー農園主である「イグナシオ」から借りた家に、母「フアナ」と父「マヌエル」とともに暮らしていました。
映画は、マリアが母フアナによって美しい衣装を着せられ、頭飾りを付けられるところから始まります。
両親はマリアを未亡人の農園主であるイグナシオに嫁がせようと考えており、見合いの席の準備をしていたのです。
彼女がイグナシオの元に嫁げば一家は安泰となるため、両親にとってマリアのイグナシオとの結婚は、是が非でも成し遂げたいことなのでした。
和やかな場となった見合いの席。
イグナシオも美しいマリアをぜひ妻にしたいと望んでいました。
けれども、その席でひとりだけ硬い表情を崩さないマリア。
マリアは、同じ農園で働く青年「ペペ」に心を寄せていたのです。
「火の山のマリア」は、グアテマラの先住民族マヤ人の一家のドラマを通して、先住民族の過酷な現実と、そのリアルの中で”火の山”のように熱く闘う女性たちの「母性」を描いた作品。
自国の映画産業がないに等しいグアテマラで、グアテマラ人監督によって生み出された初の世界的な長編映画であり、2015年ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、2016年アカデミー賞外国映画賞グアテマラ代表に選ばれた作品です。
グアテマラと先住民族マヤ人とは?
グアテマラの地勢
「グアテマラ」は、北西にメキシコ、東にベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルと国境を接し、太平洋とカリブ海に挟まれた中央アメリカの国です。
首都はグアテマラシティ。
国土は北海道と四国を合わせたくらいの広さで、気候は年中温暖で過ごしやすい亜熱帯性気候。火山国で地震も多く、温泉もあるところが日本と似ています。
古代にはマヤ文明が栄え、ティカルを始めとした巨大な遺跡が現在でも残されています。
16世紀半ば、スペイン人がこの地を征服し植民地支配下となりますが、1839年に独立を果たしました。
映画のロケ地「アグア山」
人口は約1,600万人。そのうちの46%はマヤ系の先住民族です。
言語はスペイン語が公用語であるものの、使用は国民の6割にとどまっており、残りの4割は先住民族の言語を使用しています。マヤ系の先住民族の言語は21種類あるのだとのこと。
国民の生活水準は低く、識字率は69%。人口の10%が国民全体の所得の47%を占める一方、国民の52%が貧困層に属しています。
特に、マヤ系先住民はヨーロッッパ系やメスティソ(スペイン人と先住民との混血)に比べて貧困率が高く(約80%)、多くの若者がアメリカに出稼ぎ労働者として移住し(国民の1割)、海外送金によって貧困地域の家計を支えているのだとか。
産業としては、コーヒー、バナナ、砂糖を始めとした農業が中心で、労働人口の半分が従事しています。また、先住民は概して零細な小規模農業に従事し、読み書きもできないことから、他の職業に就く機会もほとんどないのだとのこと。
映画の主人公であるマリアの一家も、そんなグアテマラの典型的な先住民農家のひとつです。
ストーリー
マリアが惹かれていた青年ぺぺ。
彼は、アメリカに行くという夢をマリアに語ります。
一緒に連れて行って欲しいと頼むマリアに、ぺぺは彼女の処女を捧げることを条件としたため、マリアは迷いつつもぺぺに体を許してしまいます。
けれども、ぺぺはその後、マリアを置いてひとりでアメリカへと去ってしまい、そして、この一夜限りの過ちにより、マリアは妊娠してしまうことになるのでした。
マリアの妊娠が発覚したため、一家はイグナシオの農園から追い出されるという危機に直面します。
母フアナは、始めはなんとかお腹の子供を流産させようとしていましたが、その試みはことごとく失敗したため、そのうちフアナも、「この子は生まれる運命だ」と考え、マリアに出産についてアドバイスをするようになります。
一方、父マヌエルが働くイグナシオの農園では、農薬が効かない蛇の被害に悩まされていました。
そこで、母フアナと父マヌエルは、妊婦の匂いが蛇を追い出すという迷信を信じ、マリアを農園へと向かわせるのです。
スクリーンから垣間見えるマヤ人の暮らしと現実
グアテマラ、アグア山の風景
この映画「火の山のマリア」の監督・脚本を手がけたハイロ・ブスタマンテ監督は、幼少期をグアテマラの高地で過ごした人物です。
ブスタマンテ監督の母は、マヤ族の村を巡り、小児麻痺の予防接種を勧めて回る仕事だったそう。
監督の実体験をベースにしているため、この作品に登場するマリアや母フアナ、父マヌエル、青年ぺぺ、農園主イグナシオまで、人物描写はとてもリアルであり、作中に起こる出来事や、それに対する人々の反応や行動も、現地の暮らしを知る者から見ると、いかにもありがちなリアルな情景が描かれているのだとのこと。
物語の冒頭から淡々と続く映像の中で、スクリーンの前の観客たちは、マヤ人の過酷な生活の現実を目の当たりにします。
マリアの父マヌエルは、イグナシオの農園に雇われた小作農家で、農作物が収穫できなければ追い出されてしまうという、経済的に圧迫された立場です。
一家の家には電気もガスもなく、野菜や果実を収穫し、家畜の世話をするというマヤ時代からの素朴で伝統的な暮らしを続けています。
けれども、決して牧歌的な生活ではなく、経済的に支配されている苦しい日常なのです。
マリアと同年代の青年ぺぺも同じ立場で、そんな状況から抜け出したいと、この農園を出てアメリカへ行くという夢を持ちながら生きています。
また、マリアの住む地域には病院も医者もありません。
蛇に噛まれて瀕死の状態になったマリアは、医者にもかかれず、救急車が来ることもないため、イグナシオの出すトラックによって都会へと運ばれるのです。
都会の病院でも、観客たちはマヤ人の過酷な現実を目の当たりにします。
マリアの家族は公用語であるスペイン語を理解することができません。
医者や役人の話すスペイン語を理解することができず、イグナシオに騙されて、意に沿わない内容の書類にサインをさせられてしまうのです。
少しネタバレとなってしまいますが、映画のヤマであるマリアの出産、そして、生まれてきた赤ん坊の喪失というストーリーは、ブスタマンテ監督の実際の経験と取材をもとにしているのだとのこと。
監督によると、グアテマラ高地では経済的困窮から借金のカタとして赤ん坊を差し出す事例が横行しているのだそうで、1,400万人の人口しかいないグアテマラで、幼児の国外流出数は世界一、年間400人以上の未成年が拉致・誘拐されており、しかも、それは法曹界や医療関係者、児童保護施設などの公的機関も組織ぐるみで関わっているのだそうです。
母フアナと身重のマリアの力強い母性
火の山のマリア(映画パンフレットより)
映画で特に印象的だったのは、母フアナと主人公マリアの存在感です。
おとなしく控えめなマリアを見守る母フアナ。
妊娠したマリアの負担を和らげようと二人で沐浴するシーンや、蛇に噛まれたマリアを抱きしめながら「私が悪かった」と嘆き続けるシーン、病院で赤ん坊の処遇について役人に(通じないカクチケル語で)食ってかかるシーンなどは、娘であるマリアに対する強い愛、母性の力強さを感じます。
また、マリアの母性の描写も強烈でした。
出産した赤ん坊は死産とされ墓に埋められるのですが、それまで控え目だったマリアが猛烈な行動力を発揮して墓地を掘り起こし、嘘を見抜くのです。
ブスタマンテ監督によると、この作品は母親に焦点を当て、母親の視点から描いた作品であるとのこと。
世界中の母にとって普遍的な、我が子に対する母の強烈な愛情が映画では表されていました。
「母は強し」なのです。
母フアナを演じたのは、「マリア・テロン」
ブスタマンテ監督は、この作品を作るにあたってマヤ人コミュニティに対して映画製作のワークショップを行いましたが、そこで出会ったのが、地元のアマチュア劇団で演じていた彼女でした。
力強く勢いのある母フアナを存在感たっぷりに演じています。
主人公のマリアを演じたのは、「マリア・メルセデス・コロイ」
マリア・テロンの住むサンタ・マリーア・デ・ヘススの市場に出したキャスティング・ブースに現れたのが彼女でした。
学芸会の演劇以外に演技経験がなかった彼女ですが、”動”の母フアナに対する控え目で従順な中に熱い炎を宿すような”静”のマリアの人物像の演技が見事です。
彼女は、この作品でモントリオール世界映画祭の主演女優賞にも選ばれました。
グアテマラの高地、熱いマグマを宿した火山の麓に暮らすマヤの人々。
特に男性よりも低い地位に置かれる女性たちは未だに過酷な現実を生きています。
控え目で従順と言われるマヤ人の女性たち。
けれども、そんな女性たちの胸には、火山のマグマのような力強さが眠っているのです。
女性側の視点から、グアテマラの人種差別、女性差別などを描いた映画「火の山のマリア」
ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞も納得の傑作です。
キャスト
マリア :マリア・メルセデス・コロイ
母フアナ :マリア・テロン
父マヌエル :マヌエル・アントゥン
イグナシオ :フスト・ロレンソ
ペペ :マービン・コロイ
スタッフ
監督・脚本 :ハイロ・ブスタマンテ
製作総指揮 :イネス・ノフエンテス
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