中国福建省の北西部にある永定県。
大都市「厦門」からバスで5時間ほど。山深い田舎道をバスで走っていくと、山間に大きな円形の建物がいくつも見えてきます。
「客家」と呼ばれる人々が建てた集合住宅「土楼」です。福建省永定県には、4000軒以上の土楼が建っているのだとのこと。
今回は、高頭郷高北村にある中国で最高の土楼と言われる「承啓楼」と、高北村にある土楼群をご紹介します。
4階建て4重円の永定最大級の円楼「承啓楼」は、お昼時で賑やか!
洪坑村を発った私は、中国で最高の土楼と言われる「承啓楼」を見るため、近隣にある高頭郷高北村へと向かいました。
高頭郷高北村は洪坑村からバイタクに乗って約10分ほどの場所にあります。バイタクの料金は8元(120円)でした。
「承啓楼」は、江氏により1709年から3年かけて建造された土楼です。4階建て4重円の円楼で、直径は61メートル、高さは12メートルにも達し、部屋数は412。永定では最大級の円楼です。
「承啓楼」は、1元切手の図柄にもなっていて、中国で最も有名な土楼です。
「承啓楼」と、隣にある「世澤楼」の間にある小道
土壁の土楼の壁面と、土楼の間の小道をゆく天秤籠を担いだ男性の姿。絵になります!
4階建ての外円部には、各階に72の部屋があります。1階には台所・食堂があり、2階は倉庫、3,4階は寝室となっています。また、回廊の周りの長さは229.34メートルもあるそうです。
井戸は2つ、こんな巨大な建物であるのに、「承啓楼」への入口は3つしかありません。
火事になったら大変です!
この「承啓楼」には、現在でも江氏一族60数世帯、400数人が住んでいます(2003年当時)。かつては、80世帯600人以上が居住していたそうです。
同じ一族とは言え、あまりに巨大な土楼で居住する人数も多いため、皆が居住している人を把握しているわけではなさそうです。
まるで、ひとつの村です!
3重目と2重目の内円部の様子。
内円部は1階建てで、3重目には44、2重目には36の部屋があります。ここは、主に家畜小屋やトイレなどとして使用されているようです。
「承啓楼」は外壁の土壁を除けば、すべて木造の造りとなっています。
上の階に上がってみました。これは3階から見た眺め。
洗濯物が干され、籠がいくつも置かれています。生活感のある風景です。
ちょうどお昼時ということで、皆さん1階に降りているようです。人の姿が見えません。
外円部の上層階は、通路でぐるりと繋がっていて、歩いて一周できるようになっています。この通路は「走馬廊」と呼ばれているそうです。
4階からの眺めです。
3重の円と中心の祖堂の姿が見えます。
こうして上層階から見ると、この「承啓楼」の規模の大きさがよくわかります。ここに住む人全てが江氏一族だというのもすごいことです。
お昼の準備です。お吸い物を入れてます。器が20皿。大家族です。
「承啓楼」はとても賑やかな土楼でした。お昼時で皆さん中庭に集結していたようで、大きなしゃべり声や笑い声が楼内に響き渡っていました。
「承啓楼」の内部にて。
にこやか兄弟登場! 食事を終えて遊びに出てきたのでしょうか?
入口の向こうに食事をしている人々の姿が見えます。
2003年当時、訪れた際に観光客はわたし一人だけでしたが、現在はツアー客でごった返しているのだとのこと。
ちなみに、この「承啓楼」、宿泊も可能なようです。
4階建ての方楼「世澤楼」
「承啓楼」の隣に建っているのが「世澤楼」
世澤楼の隣には「五雲楼」もあり、すべて江一族の土楼です。
世澤楼の内部の風景です。
世澤楼は典型的な4階建ての方楼。みなさん、中庭に小さな椅子を出してまったりモード。冬の農閑期だからなのでしょうか、暇そうです。
内部は、他の土楼と同様に生活の場。
人と動物が分け隔てなく暮らしている、そんな小宇宙です。
4階から中庭を見下ろします。
方楼の中に小さな一軒家がたくさん建っているような感じです。
上階部分の木製の柵が新しいものに交換されています。
こうやって何百年も修繕・修復を繰り返し使われてきたのでしょう。
生活感溢れるの図。
たくさん配置された小物も、取り付けられている設備も、数百年の間に様々な変遷があったのでしょうね。
世澤楼のみなさんたち。
現在では数世帯のみが居住しているようです。
500年以上の歴史がある「五雲楼」
「五雲楼」は、江一族の3大土楼の中で最も最初に建てられた土楼です。
建造は明代で、すでに500年以上の歴史があるのだそうです。
この五雲楼の後、世澤楼が建てられ、最後に承啓楼が建てられたのだとのこと。
中心にある祖堂。
苔の生え具合が500年の歴史を感じさせます。
緑の苔と赤い札のコントラストが綺麗です。
五雲楼はかなりボロボロで廃墟のようでした。
危ないので上の階には上がりませんでした。
五雲楼に住んでいるのは一家族だけのようです。
高北村のバラエティーに富んだ土楼
「承啓楼」のある高頭郷高北村には、江一族の土楼(世澤楼や五雲楼)の他にも無数の土楼が建っています。
写真は「萬安楼」。4階建てのかなり立派な方楼です。
右端にはコンクリートの増築部分が見えますね。4階の両隅の窓には張りだしたテラスもあります。
現代風にいろいろ改築が重ねられた土楼です。
「萬安楼」の内部です。内部は他の土楼と変わらない、生活感の溢れた雰囲気。
これは「順源楼」。この土楼は五角形の形をしたとても珍しい土楼です。
けれども、正五角形というわけではなく、狭い土地に無理やり建てたいびつな五角形。
3階建てで規模が小さく、祖堂が2階にあります。
現在は2世帯のみの居住のようで、内部は結構荒れた印象でした。
写真は崩れた土楼の残骸です。高北村にはこういう残骸が結構ありました。
こちらは「僑福楼」。この土楼は1962年に建てられた新しい土楼で、インドネシア華僑が建てたのだそうです。
3階建てで1重円の小さな円楼で、内部には建設時に出土された清代の遺物を展示する博物館があります。
この「僑福楼」には宿泊することが出来ます。私も宿泊しました。値段は30元(450円)です。
この「僑福楼」、新しいせいか、内部にギリシャ風の円柱があったりします。あのギリシャ円柱のある部分が祖堂です。「僑福楼」は「承啓楼」の隣にあります。
この「僑福楼」、訪れたとき、ここに宿泊していたのは私だけでした。
けれども、朝から晩まで一日中、1階の部屋から住民の声が聴こえてきていました。
「ピシッ、ピシッ!」という乾いた音がして、しばらくすると、おばちゃんの笑い声がしたり、おじちゃんの怒鳴り声が聴こえてきたりします。
家族が麻雀をやっていたのです!
それも一日中、毎日のように・・・。
ガランとした土楼の中で、麻雀牌の音がピシピシ響き渡る様は、なんだかとてもシュールでした。
旅行時期:2003年1月