夕暮れのブハラのメドレセから、ギジャク(ウズベキスタンの弦楽器)の美しい音色が聴こえてきました♪
※前回の記事→ヒヴァからブハラへの移動(タクシーで所要9時間)【ウズベキスタン】
サマルカンドと並ぶ中央アジアの歴史的中心都市ブハラ(世界遺産)
ブハラ(Bukhara・Buxoro・Бухара́)は、ヒヴァから東におよそ450Km。ウズベキスタンの国土の中央に位置する町。
この町の歴史は古く、紀元前5世紀の昔から城塞都市が築かれていたという記録が残っているのだそうです。
ブハラの最盛期は9世紀後半から10世紀末まで。
サーマーン朝の支配のもと、東方の草原地帯と西方のアラブ地域を結ぶ交易の中心として、大いに栄え、長大な城壁に囲まれた商業都市として発展を遂げました。
また、王朝の庇護のもと、このブハラには優秀な宗教者や学者が集まり、科学者イブン・シーナーや詩人ルダーキをはじめとした、多くの人材を輩出する文化的中心地として繁栄した町でもあります。
ブハラは、ヒヴァと比べるとかなり大きな町です。
タクシーでこの町にやって来た時、車線の多い道路、大学や政府機関の大きな建物などが目に付き、
「ヒヴァと違ってここは都会だな」
と思いました。
ちなみにブハラの人口は約24万人です(ヒヴァは約6万人)。
メドレセ巡り。ギジャクの音色を聴きながら歴史に思いを馳せる
さて、町を歩き回ってみましょうー。
ブハラの旧市街には、長い歴史を持つ数々のモスクやメドレセが建ち並んでいます。
写真は、ウルグベク・メドレセ。
中央アジアで最古の神学校です。15世紀の初頭に建てられました。
ウルグベクは、ティムール朝(1370年 – 1507年)第四代の君主で、自身も優れた天文学者・数学者・文人であったそうで、ウズベキスタンには彼の建てた神学校がたくさん残されています。
メドレセには、美しい幾何学文様や植物、星などの装飾が施されています。
建物の上部には、「知識の追求 – すべてのムスリムとムスリマの義務である。」という言葉が刻まれています。
こちらは、アブドゥールアジス・ハン・メドレセ。
ウルグベク・メドレセの向かい側に建っています。
ウルグベク・メドレセの200年以上後に建てられたメドレセで、装飾はインドやオスマン・トルコの影響を受けているそうです。
アブドゥールアジス・ハン・メドレセのイーワーン(入り口ホール)の鐘乳石飾りです。
細かい装飾ですねー。
アブドゥールアジス・ハン・メドレセの中庭は、青空バザールにもなっていました。
細密画が描かれた木細工の数々。
これ、本当に魅力的だったので、いくつか購入してしまいました!
ハート形の小箱が可愛らしいです。
値段は3個で65000Cym(2500円)
こちらは楽器屋さん。
ウズベキスタンは音楽に歴史と多様性があることでも知られています。
この楽器は、ギジャクと呼ばれる弦鳴楽器。
4本の弦を持つ胡弓の仲間で、西アジアから中央アジア、ウイグルに至る地域で広く演奏されています。
楽器屋のおじさん、美しい音色を奏でてくれました♪
メドレセの中庭に響き渡る糸のような旋律・・・
2500年のブハラの歴史を紡ぐ哀愁の響きです。
思わず聴き入り、かつて栄えたこの街の交易の様子に思いを馳せます。
ミル・アラブ・メドレセです。
1536年のティムール朝末期に建てられました。
巨大なアーチと2つの青いドームが印象的なメドレセ。
ここは、ソ連時代に活動を許されていた数少ないメドレセのひとつで、現在でも学生がイスラム法などを住み込みで勉強しているそうです。
ミル・アラブ・メドレセの外壁には、露天の陶器屋さんが品物を並べていました。
ここの売り子は女の子だったのですが、かなりしつこく売り込まれました!
ここを通る度に呼び止められ、買う買わないのやり取りの繰り返し・・・
女の子、頑張っていたのですが、結局買わなかったです。
ごめんちゃい。
ブハラのシンボル、カラーン・ミナレットとモスク
高さ46mもあるブハラの街のどこからでも見えるランドマーク。
カラーン・ミナレットです!
1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられたもので、14層にもなる塔の模様はそれぞれ違った組み方でレンガを積み上げたという凝ったもの。
ブハラの町は、13世紀の前半、モンゴルのチンギス・ハーンによって征服され、町は徹底的に破壊されてしまいました。
街じゅうを壊滅させたたチンギス・ハーンですが、このミナレットだけは壊さずに残したといいます。
その理由について、面白いエピソードが伝えられています。
チンギス・ハーンがこのミナレットを見上げた時に、被っていた帽子を落としてしまいました。
落とした帽子を腰を屈めて拾い上げたハーンはこう言ったそうです。
「この塔は私に頭を下げさせた偉大な塔だ。壊してはいけない」
と。
眉唾なエピソードですが、このカラーン・ミナレットを語る上では、これ以上ないエピソードですね!
カラーン・ミナレットに併設されているのが、カラーン・モスク。
このはモスクは、1514年のシャイバニ朝時代に建設されたブハラで最大のモスクです。
何と!一万人の信者が同時に礼拝できるそうです!
カラーン・ミナレットとモスクは、先ほどのミル・アラブ・メドレセの向かい側にあります。
カラーン・モスクとミル・アラブ・メドレセの間の広場。
子供たちが遊んでいました。
国内屈指の観光名所だというのに、静かなもんです。
夕暮れ。
カラーン・ミナレットとモスクが橙色に色づき始めます。
ブハラが一番美しく見える時間帯です。
あー綺麗だな〜(ウットリ)。
ウズベク少女も夕陽を浴びてニッコリ!
夜のブハラの街。ライトアップされたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
夜、食事を食べた後、旧市街の中心にあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセを見に行きました。
このメドレセは、珍しいメドレセとして知られています。
正面入り口に、鳳凰と鹿、そして、中心にある太陽には人の顔が描かれているのです。
「偶像崇拝って、イスラムの教義に反するんじゃないの?どうして?」
って思いますが、このメドレセ、建設当初はイスラムの建物でないキャラバンサライ(隊商宿)として建てられたそうで、途中で急遽メドレセ(神学校)に変更になったため、偶像が描かれてしまったということなのだそう。
途中で壊されなかったのが不思議。
いつの時代も、誤魔化すのがうまい奴っているんですねー。
夜も遅くなり、街の人通りがまばらになってきました。
さて、もう宿に帰ろうー。
「うちへ帰ろう〜、うちへ帰ろう〜♪」
次回は、ブハラ旧市街のタキ(交差点バザール)をご紹介します。
旅行時期:2012年4月〜5月
※次の記事→ブハラの交差点バザール「タキ」でお買い物【ウズベキスタン】
