※前回の記事→アンコール・ワットに描かれたレリーフとデバター像【カンボジア】
世界三大仏教遺跡のひとつ「アンコール・ワット」
密林の中にあるこの遺跡を見るため、カンボジアへと旅しました。
アンコール遺跡群とシェムリアップの町、首都プノンペンなどをご紹介します。
今回は、アンコール・トムにあるバイヨン寺院です!
アンコール遺跡群の都城「アンコール・トム」へ!
バイタクに乗り、アンコール・トムへ
アンコール・ワットを出発した私たちはバイタクに跨り「アンコール・トム」へと向かいました。
アンコール遺跡群は広大です。
シェムリアップの街から北に6キロほど進んだ所にある「アンコール・ワット」。そこからさらに2キロ進んだ所にある「アンコール・トム」。その二つの遺跡を中心に、およそ10キロ四方の地域に数多くの寺院が点在しています。
歩いて見て周るのはまず無理なので、旅行者はツアーバスに乗ったり、タクシーやバイタクを雇ったり、自転車に乗ったりしてそれらの遺跡を巡ります。
写真はバイタクの上から撮ったものです。前に走っているのは宿で出会った日本人旅行者たち。
アンコール・トムの入り口「南大門」
前方に「南大門」が見えてきました!アンコール・トムの入り口です。
王都であるアンコール・トムは5つの門に囲まれていて、この南大門はそのうちのひとつです。
神々と阿修羅がナーガを引き合う
南大門前の両側に並ぶ像です。これは神々と阿修羅がナーガを引き合う、カンボジアの創世神話の一節を表しているのだそうです。ナーガとは九つのコブラの頭を持った蛇神のことです。
門の上部にある四面塔
お顔は観世音菩薩のもの
南大門の上部には四面塔があります。このお顔は観世音菩薩のもの。
ヒンドゥー教の寺院であるアンコール・ワットとは異なり、アンコール・トムは仏教の宇宙観によって構成されています。
アンコール・トムを造ったジャヤヴァルマン7世は仏教に帰依していました。
私たちのバイタクは南大門をくぐると、1キロほど密林に囲まれた道を北上しました。目指すは宇宙の中心「バイヨン寺院」です!
アンコール・トムの中心にあるバイヨン寺院
バイヨン寺院
アンコール・トムの中心にあるバイヨン寺院です。
アンコール王朝第二十代の国王ジャヤヴァルマン7世(1130年~1218年)は、ベトナムのチャンパ王国によって奪われた王都を奪還したクメール最大の王です。
ジャヤヴァルマン7世が都城として築いたのが「アンコール・トム」で、その中心に位置する寺院が「バイヨン(バヨン)」です。「バ」は美しい、「ヨン」は塔という意味だそうです。
バイヨン寺院
バイヨン寺院
ジャヤヴァルマン7世はチャンパ王国から王都を解放すると、壮大な都城「アンコール・トム」を建設しました。
そして、国内の道路網を整備し、102ヶ所に及ぶ施療院、121ヶ所の宿駅を設置しました。
また、彼は熱心な仏教徒でもあったため、国中に無数の寺院を建てたのだそうです。
けれども、この大規模な建築事業は国民に多くの負担を強いることとなり、後の王朝の衰亡の契機ともなったともいわれています。
バイヨンの微笑
「バイヨンの微笑」と呼ばれる観世音菩薩の四面塔は全部で49あります。
中央祠堂には50を超える仏面があり、訪れる者は無数の微笑に囲まれます。カンボジアの人々のような優しい微笑です。
バイヨンのレリーフ
バイヨンには様々なレリーフが刻まれています。アンコール・ワットのレリーフは、宗教的なものが多いのですが、このアンコール・トムのレリーフには当時の庶民の生活風景や戦争の様子などが描かれています。
当時の人々がどんな服を着て、どんな武器を持って、どんな家畜を飼っていたのか。そんなことが垣間見えます。
緑の中にあるバイヨン寺院
バイヨンは仏教の須弥山が象徴化された寺院であるといわれています。
仏教とヒンドゥー教の違いなのでしょうか。バイヨンはアンコール・ワットに比べて、いくらかソフトで温かい印象が感じられました。
旅行時期:2000年3月・2003年8月