【エジプト】アブシンベル神殿 – 世界遺産創設のきっかけとなった「ラムセス2世」建造の遺跡

【エジプト】アブシンベル神殿 – 世界遺産創設のきっかけとなった「ラムセス2世」建造の遺跡

エジプト アブ・シンベル エジプトの旅
アブ・シンベル(エジプト)
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エジプト(Egypt:مصر)

肥沃なナイル川の恵みに育まれ、紀元前3000年の古代エジプト文明の成立から5000年以上もの歴史を持つエジプト。

ピラミッドやスフィンクス、ルクソールの王家の谷などの古代エジプトの遺跡、中世から近世までのイスラムの中心地としてのカイロの街並み、広大な砂漠とオアシス、紅海の美しい海。見どころたくさんのエジプトです!

今回は、アブシンベル神殿をご紹介します。

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早朝4時、ツアーのワンボックスカーは砂漠を疾走し、アブシンベル神殿へと向かいました。

エジプト アブ・シンベル砂漠の中で見た日の出

 

朝、3時半起床。

アスワンの町4時発のアブシンベルツアーに参加しました。

なぜ、こんなに朝早く出発するのか・・・。

 

それは、暑いからです。

夏の日中の南部エジプトは、本当に耐え難いほどの暑さだからです。

 

運転手と11人の観光客を乗せたワンボックスカーは、未明のアスワンの街を出発しました。

街中を抜け、アスワン・ハイダムを渡ります。

 

「アスワン・ハイダム」は、1970年にナイル川上流のアスワンに完成した超巨大ロックフィルダム(岩石や土砂を積み上げて造られたダムで、傾斜が非常に緩やか)。

高さ111メートル、全長3,600メートルのスケールの大きなダムで、このダムの完成によりエジプトはナイル川の氾濫を食い止めることに成功しました。

けれども、ダムの完成は、かつて「エジプトはナイルのたまもの」と呼ばれる由来ともなった、肥沃な土壌を失わせるといった弊害ももたらしたそうです。

 

また、ダムの完成は、巨大な「ナセル湖」も生み出しています。

ナセル湖の誕生により、周辺の気候は良きにつけ、悪しきにつけ、大きく変動したといわれています。

 

アスワン・ハイダムを抜けると、ワンボックスカーは砂漠の一本道をひた走ります。前後左右見渡す限りの砂漠です!

そのうち、夜が明けてきました。

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アブシンベル大神殿、アブシンベル小神殿

エジプト アブ・シンベルアブシンベル大神殿

 

「アブシンベル神殿」に到着したのは午前8時過ぎ。

砂漠を4時間、フルスピードで飛ばしての4時間でした。

 

アブシンベル神殿は、「ラムセス2世」が建造した神殿です。大神殿と小神殿があり、大神殿太陽神「ラー」小神殿「ハトホル女神」を祭神としています。

写真は「大神殿」。高さ33メートル、幅33メートルあり、正面に高さ20メートルのラムセス2世像が4体座っています。

エジプト アブ・シンベルラムセス2世の像

 

「ラムセス2世の像」です。

ラムセス2世は、エジプト新王国時代第19王朝の王。在位は紀元前1290年から紀元前1224年とされ、その治世においてエジプトは繁栄を謳歌しました。

彼は、古代エジプトの王の中でも最も多くの建造物を残した人物として知られ、このアブシンベル神殿のほか、ルクソールのカルナック神殿ラムセス2世葬祭殿なども建造しています。

ラムセス2世は、約90歳まで生きたといわれています。そして、180センチ以上の長身でもあったそうです。

エジプト アブ・シンベル「アブシンベル大神殿」内部

 

「大神殿」の内部です。

この「大神殿」では、毎年10月22日と2月22日の2日間だけ、東から昇った朝日が神殿の奥にある至聖所に届き、4体ある像をオレンジ色に照らし出します

その2日間は、世界中から大勢の観光客が集まってくるそうです。

エジプト アブ・シンベル「アブシンベル小神殿」

 

「小神殿」です。

実はこの「アブシンベル神殿」は、もともとこの場所にあったわけではありません。

もともとあった場所は、今はナセル湖の水の中、アスワン・ハイダムの建造によって水没した地です。

 

1960年代当時、ハイダムの建設により水没の危機にあった神殿ですが、その時「遺跡を守れ!」と立ち上がったのが「ユネスコ」でした。

ユネスコは、遺跡を無数の小さなブロックに分断し、1964年から1968年の4年間をかけて、64メートル上方の丘の上にこの遺跡を移築しました (現代の技術で移築されたため、大神殿の裏側は巨大なコンクリートのドームで補強されていて、そのドームも見学することができるようになっています)。

この移築劇が世界遺産創設のきっかけになったといわれています。

エジプト アスワンアスワンの街並み

 

遺跡見学は、2時間でした。

遺跡を見終わり、私たちは午前10時にアスワンへと出発しましたが、もう既に耐え難いほどの暑さです。気温も40度は優に超えています。

砂漠の真ん中を突っ走るワンボックスカーには、真上から直射日光が当たり、本当に地獄のように熱かったです。

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アスワンの町

エジプト アスワンアスワンの街

 

「アスワン」は、ヌビア地方に属します。

「ヌビア」とは、アスワンからスーダン北部にかけての地方のことを言い、ここに住むヌビア人」は、エジプト人とは違った文化・風貌を持っています。

 

アスワンには、ヌビア人の文化を紹介する「アスワン文化センター」やコプト教の修道院「聖シメオン修道院」、アブ・シンベル神殿と同様に水没したフィラエ島からアギルキア島へと移築された「フィラエ神殿」、ナイル川の水位を測定するためにローマ時代に造られた「ナイロメーター」のある「エレファンティネ島」など、たくさんの観光名所があります。私はひとつも行きませんでした。

 

なぜ、行かなかったのか・・・。

 

その理由は、暑かったからです。

本当に耐え難いほどの暑さで、立っているだけで頭がくらくらしてくるからです。

 

旅行時期:1996年8月

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