ボリビアの「ウユニ」から列車で国境へ。アルゼンチンに入国し、バスで「サルタ」、「ブエノスアイレス」へ。39時間かけて、約2,000キロを移動しました。
今回は、ボリビアからアルゼンチンへ列車とバスの旅をご紹介します。
ボリビアのウユニから列車で国境へ。アルゼンチンに入国
「ウユニ」からはアルゼンチン国境の町「ビジャソン」まで列車が走っています。
列車の名前は「ワラ・ワラ・デル・スル」。
出発は午前2時35分です。
「ウユニ」の町で観光客向けのレストランで夕食を食べた後、私は市場へと向かい、アンデスのインディヘナが使っているカラフルな織物を買いました。
恐らく寒いであろう夜行列車に備えるためです(下がその織物)。
織物を買うと私は街をぶらぶらと歩き始めました。
けれども、「ウユニ」は小さな町、まして夜であるため、特に行く場所もありません。
結局、夕食を食べたレストランに戻り、ホットココアなどを飲みながら時間を潰すことになりました。
2時35分、「ワラ・ワラ・デル・スル」はビジャソンへ向けて出発しました。
列車は座席車です。横になることができないのは辛いですが、思ったほどボロではありません。シートは適度に柔らかいし、車両の揺れもひどくはありません。
翌朝、3時間遅れの14時に、国境の町「ビジャソン」に到着しました。
列車を降り、国境へと向けて歩きます。
この時、アルゼンチンのガイドブックも情報も何もなかった私ですが、とにかく人の流れに乗っていくと国境に辿り着きました。
国境では何事もなくすんなりと出入国手続きをすることができ、スタンプを押してもらえました。
アルゼンチンの国境の町の名は「ラ・キアカ」
話によると、「ラ・キアカ」からは、周辺の都市や首都「ブエノスアイレス」へと向かうバスが出ているのだそうです。
それにしても、ボリビア側の「ビジャソン」はけっこう栄えているのですが、「ラ・キアカ」は何もなくガランとしています。
ボリビアにとっては大国の窓口であっても、アルゼンチンにとっては辺境の地に過ぎないということがわかります。
国境を越えた私は、重い荷を背負いながら、バスターミナルを探します。けれども、バスターミナルの姿がなかなか見つけられません。
とにかくいろんな人に聞きながらうろつき回り、住宅地の外れにポツンとあるという感じのバスターミナルに何とか辿り着きました。
バスのタイムスケジュールを見ると、「ブエノスアイレス」行きのバスはあるにはあるがかなりの時間が掛かるようです。
それも当然のこと。ここ「ラ・キアカ」から「ブエノスアイレス」までは2,000キロほどもあるのです。
さすがにそこまでの強行軍では体を壊すと思った私は、しばらく考えた後、ここから約9時間のところにある北西部中心の町「サルタ」へ行くことに決めました。
「サルタ」行きのバスは午後8時発。23アルゼンチンペソ、987円です。
けれども、私はここで大変なことに気がつきました。
アルゼンチンペソがないのです!
アルゼンチン側で両替しようと思っていた私は国境をスルーしてきてしまっていたのですが、「ラ・キアカ」には両替屋が一軒もなかったのです。
バスターミナルにもありません。
周りの人に訊くと、両替屋はボリビア側に行かないとないのだそうです。
仕方なく私はあの長い道のりをえんやこらと戻っていき、ボリビアに再び入ってやっとこさ両替を済ませたのです。
国境の町「ラ・キアカ」から「サルタ」へ。9時間バスの旅
8時、バルチ社のバスは満員に近い地元の人々を乗せ、「ラ・キアカ」を出発しました。
国境から「サルタ」への夜行バスは9時間の行程。
けれども、このバスが難儀だったのは、その長い行程でも、車体のボロさでもありません。
このバス、眠らせてくれないのです!
発車してすぐに、バスはよくわからない空き地に停車しました。
検問のようです。バスの中に軍人が入ってきました!
「降りろ!」
と軍人が指図するので、私たちは全員バスを降りました。
どうやら荷物検査をするようです。
バスのトランクが開けられ、乗客の荷物が次々と外に出されていきます。
軍人は順番に1人1人自分の荷物を持ってくるように言います。
荷物を持っていくと、中をチェック。私も荷物の中身をザックからぶちまけ、おかしな物がないか調べられました。
まったく、早く眠りたいというのに鬱陶しいことこの上ありません。
せっかく鍵を掛け、しっかりと仕舞いこんだ荷物を取り出すのは面倒くさいし、寒い中、並んで順番を待つのも結構辛いです。
自分の番を終え、いい加減待ちくたびれてきた頃、ようやく全員のチェックが終わりました。
チェックには1時間もかかりました。
荷物と人を仕舞いこんだバスは再び走り始めます。
私は席に座って目を閉じ、バスの揺れに身を任せ始めました。
昨晩、「ウユニ」から夜行列車で国境まで辿り着き、今夜再びバスでの夜行行軍です。
疲れが溜まっているのです。
私は、目を閉じるとすぐにうとうととし始め、いつの間にか深い眠りに落ちていきました。
ところが・・・。
周りのざわめきが朦朧とした頭に聞こえてきます。
薄眼を開けてみました。
すると、
また、軍人が運転席の横に立っているのが見えます。今度はパスポートチェックだそうです。
私は眠気まなこのままパスポートを取り出します。そして、いかつい軍人に手渡しました。
軍人は私のパスポートを受け取ると、中をパラパラと簡単に確認。そして、一通り見終えると、無表情にそれを返してよこしました。
全員のパスポートチェックが終わり、バスは再び走り始めます。
夜中。
私はすでに熟睡していたと思います。
その熟睡は、もう眠りを妨げられることは決してないと確信しているような熟睡だったのだと思います。
しかし、アルゼンチンは並ではありませんでした。
辺りのざわめきと隣の人の呼びかけに三度起こされたとき、私はもうキレそうになっていました。
また、荷物検査!
眠りを妨害されることほど腹の立つことはないのです。
人々は眠い目をこすりこすりしながらぞろぞろとバスを降りました。
そして、バスのトランクから自分の荷物を無言で取り出していきます。
どこの世界でも軍人と警察に逆らうとロクなことにはならないので、私たちは従順な羊のように、文句も言わずにザックの中をぶちまけました。
冬の夜中、高地のアルゼンチン北部は凍えそうなほどの寒さです。足を踏み鳴らしながら私たち乗客たちはこの状況をなんとか我慢しようとしていました。
夜半に何度も叩き起こされて検問させられる。乗客のことをもうちょっと考えて欲しいものです。
だけど、これは仕方がないことなのだそうです。
後で訊いたところ、この厳重な検問はボリビアの「コカ」を国内へ入れないための措置なのだといいます。
アンデスの高地では高山病対策としてなくてはならないものである「コカ」もひとたび低地に入ると精製されたコカインとして闇に出回ってしまいます。
これほどチェックが厳しいということは、恐らく麻薬を持ち込み、そして、捕まる人が相当いるのでしょう。
翌早朝、バスはまだ真っ暗な「サルタ」の町に到着しました。
アルゼンチンに入るまで「サルタ」という名前さえ知らなかった私は、この町がどういう町でどこに宿があるのかさっぱりわかりません。
一瞬途方に暮れましたが、すぐに気を取り直して近くに居たタクシーに乗り込みました。
「安い宿に行って欲しい」と言います。
タクシーの運ちゃんは早朝の暗闇の中、安そうな宿を何軒か回ってくれました。
けれども、どこも一杯。
まだ、時間が早すぎるのかもしれません。
私は一番繁華そうな界隈でタクシーを降ろしてもらうと、勘に任せて「サルタ」の町をうろつき始めました。
しばらく歩くと綺麗なコロニアル調の広場に出ました。
後でここが町の中心である「7月9日広場」だということがわかります。
広場の角には手頃そうな中級ホテルが建っていました。
重い荷物が耐え難くなってきていた私はさっそくそのロビーに足を踏み入れました。
「ブエノス・ディアス!」
受付に訊くと、今はまだフルだが10時になれば部屋が空くかもしれない。と言います。
私はロビーで待つことにしました。
10時、私はこの中級ホテル「ホテルコロニアル」に晴れて泊まれることになりました。
45アルゼンチンペソ(1,931円)。4日ぶりのホットシャワーは格別でした。
ウユニから32時間。
私はアルゼンチンに辿り着いたのです。
サルタから首都ブエノスアイレスへバスで20時間
「サルタ」に1泊した後、翌日の夜、夜行バスに乗って首都「ブエノスアイレス」へ向かって出発しました。
「サルタ」を出発したバスは見渡す限りの大平原を突っ走っていました。
「パンパ」
アルゼンチンの国土の20パーセントを占めるという草原地帯です。
草原の中に農場、そして、牧場が所々に点在しています。
茶色の肉牛がいます。
いずれ「アサード」となってアルゼンチン人の食卓に並ぶ牛たちです。
馬に乗った人がいます。
アルゼンチンのカウボーイ「ガウチョ」です。
時々平原の中に鄙びた町があります。
日本の7.5倍という広大な国土のアルゼンチン。町と人の密度はかなり疎らです。
バスの車窓から風景を見て気づいたのは、どこの町でもどこの農場でも牧場でも立派なものから簡素なものまで様々ですが、サッカー場があることです。
アルゼンチンといえばサッカーを思い出す人も多いことでしょう。
天才「ディエゴ・マラドーナ」や「リオネル・メッシ」を生み出したこの国。そんな土壌がこの風景から見て取れます。
ところで私の乗ったこのバスはとても快適な乗り心地でした。
2階建ての最新型バスで、日本のバスと比べてもまるで遜色がないほど綺麗で設備も充実しています。
20時間の道中、バスは何度か休憩所やドライブインで停車しましたが、それらの施設もどれも近代的で立派なものばかりでした。
ペルーやボリビアといった経済的に貧しい国々を旅してきたせいか、それがとても目新しく感じます。
アルゼンチンはそういった意味ではかなりの先進国に属すると言ってもよさそうです。
朝起きると雨が降っています。
細かい雨がバスの窓を叩き、雨滴が無数の川を造ってガラス窓を覆い尽くしています。
見えづらい景色をぼんやりと眺めていると、いつの間にかバスが車線の広い道路に入っているのがわかりました。
しばらくすると建ち並ぶビルが見え、そして、巨大なターミナルが見えてきました。
サルタを経って20時間、私は南米の中心のひとつ、アルゼンチンの首都「ブエノスアイレス」に到着しました。
旅行時期:2003年7月
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