兵庫県北、朝来市和田山。
旧但馬国にある山城「竹田城跡」です。
竹田城跡は全国屈指の山城遺構として知られ、山の上に佇むその姿はまるでペルーのマチュピチュ遺跡のよう。
「天空の城」の異名を持つ、日本100名城にも選定されている知る人ぞ知る名城です。
但馬和田山 風雲、竹田城!
竹田城は、JR播但線竹田駅の西方、古城山の山頂部にあります。
山の標高は353.7メートル。
眼下の街から仰ぎ見ると、山の上に虎が臥せているように見えることから、「虎臥城」という別名もあります。
竹田城の歴史
竹田城は、嘉吉年間(1441-43)、守護大名の山名持豊(宗全)の有力家臣のひとり、太田垣によって築かれました。
当初は土塁造りの城であったようですが、その後、羽柴秀長から赤松広秀までの城主時代(1578~1600)に改修工事が行われ、現在あるような総石垣造りの城郭になったのだとか。
竹田城の石垣は、織田信長の安土城と同じ「穴太(あのう)積み」という技術が用いられているそうです。
穴太積みとは、加工を施さない自然石をそのまま積んだ野面積みで、すき間が多く一見粗雑に見えるものの、水はけがよく崩れを防ぐ積み方であるとのこと。
この技術により、竹田城は石垣が築かれてから約400年が経ちますが保存状態は良好で、一部の修復箇所を除いて当時のままの石垣が現存しているのだそうです。
城からの風景は360度の大パノラマ
竹田城の規模は、南北約400メートル、東西約100メートル。
城からの風景は360度の大パノラマです!
美しい但馬の山並みや、瓦屋根で統一された竹田の街並み、円山川の流れなどが見渡せます。
訪れた時は、緑生い茂る夏の風景を見ることができましたが、春は桜が咲き乱れ、秋は紅葉に彩られ、冬は一面の雪景色となるそうです。
特に晩夏から初秋にかけての早朝は、城の周りが雲海に包まれ、「天空の城」の呼び名にふさわしい姿を見せるのだとか。
ぜひ、見てみたいですね!
竹田城の最期。そして、2週間限りの復活
竹田城は、慶長5年10月28日(1600年)に廃城とされたそうです。
Wikipediaの記述によると、
最後の城主である赤松広秀(斎村政広)は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍は敗戦。徳川方の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに加わって落城させるが、城下の大火の責めを負い家康の命によって、慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取真教寺にて切腹。竹田城は廃城となった。
とのことです。
石垣が造られてから、すぐに廃城になってしまったようです。
けれども、廃城後約300年が経った1989年、竹田城は2週間だけ復活しました!
映画「天と地と」の撮影のため、城のセットが組まれたのです。
その模様が↓のYOU TUBE動画で紹介されています。
ところでこの竹田城、標高353.7メートルの高さにあるため、登るのは結構大変です。
竹田へのアクセスは、車かJR播但線でということになります。
JRで訪れた場合、竹田駅から駅裏登山道を40分ほど登って城へと向かいます。
車で訪れた場合、山の中腹まで車で登り、そこから歩きです。
駐車場から山頂までのルートは2通り。
「うさぎさんコース」と「亀さんコース」です!
私は「うさぎさんコース」を選びました。
「うさぎさんコース」は、早く着くのでよいのですが、とにかく山道(階段)がかなり急。
結構きついです。
夏の猛烈な暑さもあって、山頂に着く頃には汗だくになってしまいました。
山頂はとにかく暑かったです。
帽子がないと熱中症になってしまいそうな暑さ。
それでも、城には観光客がちらほらと訪れていました。
上の写真は竹田城、その下の写真はマチュピチュです。
ジブリの名作で「天空の城ラピュタ」という作品があります。
マチュピチュは、その神秘性も含めてラピュタ気分を味わえる遺跡。
でも、日本でラピュタ気分を味わうなら竹田城ですね!
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