上海到着
2002年12月29日昼、私は大阪から蘇州号という船で2泊3日を費やし、憧れの上海に到着した。
「ここが上海か~」
長い旅がこの街から始まるのだ。ささやかな感慨が湧いてくる。
私は船上から雑然とした港の風景を眺めた。上海の街は弱い冬の日差しを浴び、まったりと佇んでいた。
友人を探す。
昨日、一足先に上海入りしており、港に私を迎えに来ているはずだ。
我々は上海で新年を共に祝う約束をしていたのだ。
が、しかし、いない。重い荷物を担ぎながらいろいろ探し回ったが見つからない。
いったいどうしたというのだろう。
結局、探すあてもないため、私はとりあえずのところは諦めざるを得ず、一人でホテルへと向かうことにした。
上海での宿は浦江飯店。コロニアル風のノスタルジックな雰囲気のホテルだ。
シックで落ち着いた部屋は私を満足させてくれたが、ガラーンとだだっ広いその空間は一人だとなんだか寂しく感じられる。
全くあいつはどこにいるのか。
このまま一人で年を越すのかと思うと憂鬱な気分になってくる。
しかし、なにはともあれ、とりあえずは宿が決まった。
私は重い荷を降ろしてほっと一息ついた。
上海。
戦前には魔都と呼ばれ、世界中の犯罪者や諜報機関が暗躍した町。
現在の上海も、その混沌とした匂いは失われてはいないものの、さすがに当時のようないかがわしさはない。
しかし、油断は禁物だ。
この魔性の都は異国からやって来たカモから金を巻き上げようと手ぐすね引いて待っているかもしれないのだ。
そして、その日、私は上海1日目にして早速、魔都の洗礼を受けることとなった。
張君との出会い
夕食を済ませ、通りをぼんやりと歩いていると「すいません」と日本語で声を掛けられた。
男の名は張。日本語を勉強していて、その練習のために是非ともあなたと話がしたいのだという。
コーヒーでも飲みながら少し話をさせてはもらえないだろうかと言う。
もちろん私は快く引き受けた。
延安路のマックでコーヒーを飲みながら彼と談笑する。
この時、この人の良さそうな笑顔の青年がとんでもない食わせ物だとは思いも寄らなかった。
彼の日本語はとても上手だった。
街の西にあるレインボーホテルで客室係りのチーフをしている。今日は非番でやることもなかったので街をぶらぶらとしていたのだと彼は言った。
レインボーホテルの場所を地図で調べた。
彼のいう場所にちゃんとある。
仕事の内容や家族、日本語の勉強を始めた経緯などについても聞いてみた。
話に辻褄が合っている。
信用してもいいのかなという気になってきた。
しかし、そんな辻褄などよりも、彼の素朴さ、人懐っこさ、人を騙しそうもない笑顔こそが、私が彼を信用した本当のところなのであろう。
彼は上海の流行、若者がどういう暮らしをしているのかを教えてくれた。
流行の歌、映画、女の子、お洒落……。
話の流れから一緒にクラブへ踊りに行かないかということになった。
上海のクラブには私も興味があった。
これは上海の若者文化を知るまたとない機会になるかもしれない。
そう思い、甘ちゃんの私は二つ返事でOKしたのだった。
しかし、それは、大きな間違いだったのである。
“クラブ↑”ではなく“クラブ↓”
私と張君を乗せたタクシーは繁華街から少し外れた所にある雑居ビルに横付けされた。
実を言うとこの時既に嫌な予感がしていたのである。
繁華街から離れているというのが怪しかったし、雑居ビルの上階に上がって行くという立地も怪しかった。
エレベーターのドアが開いた。
薄暗い店内は広く、ゆったりとしたソファーがいくつも置かれている。
上海人なのか、日本人なのか、年配のおやじたちが女の子の腰に手を回しカラオケを歌っている。
「これは、“クラブ↑”じゃなくて“クラブ↓”だろう!」
と思ったのだが、もう後には引けない雰囲気だ。
張君のあの素朴な笑顔は、いつの間にかいかにも強欲そうなニヤケ笑いに変わっている。
私が帰る素振りを見せると店員たちと一緒に恐ろしい視線で睨み付けてくる。
そうなのだ。私はいわゆるぼったくりバーというものに引っ掛かってしまったのだ!
仕方ない。ここはいかに出費を最小限に抑えるかだ。
私は覚悟をした。
私は個室に案内された。綺麗な上海女が一人やってきて私の隣に寄り添うように座った。
「ニーハォ~。オニーサン、カッコイイネ~!」と無邪気に女は言った。
張君は個室に入るとすぐさまビールを注文した。
「上海での出会いを祝してかんぱ~い!」
陽気にはしゃぐ張君。
乾杯じゃないよ全く!と心の中で悪態を吐きながらも、私は「このビールなかなかうまいな」と思いつつグビグビと飲んでしまった(汗)
張君がしきりに歌え歌えと勧める。
仕方なく歌本にある数少ない日本の歌の中から谷村新司の「昴」を選ぶ。
酔いが回ってきたのか不覚にも熱唱してしまった(滝汗)
大喜びで手を叩く張君。
その間にも彼はおつまみやフルーツをバンバン頼みまくる。
このヤロ~!と思いながらも、女にチークダンスを求められ、ゆらゆらと踊ってしまう私(ナイアガラ滝汗)
結局、総額2万7千円の出費となった。
帰る段になって恐ろしげな黒服の兄さんが2人登場したのだ。
張君とその2人は私に暗黒の視線を突き刺し、支払いを強要した。
私は泣く泣く言い値を支払い、背中を丸めながらその雑居ビルを後にしたのだった(涙)
私と友人は、その後も会うことはできなかった。
それも当然といえば当然のこと。この1400万の人口を誇る巨大都市で、手掛かりもなくたった一人の人間を探そうというのは不可能な話だ。
ぼったくりにも遭った手負いの私は、結局、底冷えのする上海の新年を一人で過ごすことを余儀なくされたのである。 トホホ……。
偶然の再会、そして・・・
1月1日、元旦の上海の早朝。
私は上海郊外の町「周荘」へ行こうと外灘でバスを待っていた。
既に友人と会うことは諦め、一人で上海の町を存分にうろつきまわっていた私であるが、この日はちょっと郊外に足を伸ばしてみようと考えていたのである。
その時である。
ふいに後ろから日本語で声を掛けられたのだ。それも、何だか聞き覚えのある声で……。
「おい!お前、こんな所で何やってんだよ!」
振り返ると、なんと友人がそこに立っているではないか!
何たる偶然!まさか会えるとは思っていなかったため、私は突然の再会に唖然としてしまった。
それにしても、この東京以上の人口を誇る上海でよくもまあ出会えたものだ。驚きである!
私と友人はそれぞれの「4日間」について報告し合った。
もちろん、私は張君の一件について語るのを避けることはできない。私は友人に馬鹿にされることを覚悟で決まり悪そうに話しだした。
「実は初日に日本語を話す中国人と会ってさぁ~」
その時、友人の表情が微妙に変化したのを私は見逃さなかった。
「いい奴だと思ったんだよ。それでクラブに行ってなぁ~」
友人の口が徐々に半開きになる。
「女が出てきてさぁ、やばいと思ったんだよ。それで、その中国人の顔つきが急に変わって……」
友人が唖然とする。そして、こう言った。
「もしかして、そいつ、張って奴じゃねえか?」
びっくり!!!
「そうだよ!何でお前知っているんだよ!」
友人が噴出しそうになりながら言う。
「ぼったくられたの2万7千円じゃなかったか?」
もう、びっくり!!!
「そうだよ!何でお前知っているんだよ!」
友人が私の肩にポンッ!と手を置きながら言った。
「実はなぁ、昨日、俺もそいつに同じ手口でぼったくられたんだよ……」
私はしばし、唖然とした。
そして、次の瞬間、友人と一緒に大爆笑した!!
「お前、何やってんだよ!」
「お前だって騙されてるじゃねえかよ!」
何たる恥ずかしい日本人2人。我々は2人して同じ男に騙されてしまったのである……。
日本と中国の物価にはかなりの開きがある。彼はかなりの高収入を得たことになる。
張の奴は、日本人なんてチョロいぜと思ったことであろう。
そして、その後の3ヶ月くらい、ウハウハの気分で過ごしたことであろう。トホホである。
その後、3日間、私は友人と行動を共にし、水の都で知られる蘇州の街を自転車で散策したり、正真正銘の「クラブ↑」で踊りを楽しんだり、うまい中華料理をたらふく食べたりした。
さらば上海
2003年1月4日、凍りつくような朝。
すっきりと晴れ上がった外灘には太極拳を練習したり凧揚げをしたりする人々の姿が見える。
今日、私は上海を出発するのだ。
荷物をまとめ、約一週間過ごした浦江飯店のロビーを出る。
そして、友人と別れの挨拶をしてタクシーに乗り込んだ。
上海駅は様々な人でごった返していた。
午前10時ちょうど発厦門行き列車。私の座席は硬臥と呼ばれる硬い三段ベッドの一番上。到着は明日の午前10時ごろの予定だ。
上海から一路南へ。私は既に建物が疎らになりかけた車窓の中にいた。
流れる風景を眺め続けていると、上海の街がもう懐かしくなっている。
あのごちゃごちゃと騒がしい街並みが、そこで過ごした日々が、そして、あの張君のニヤケ笑いでさえも……。
旅行時期:2002年12月~2003年1月
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