日本建国の礎の地、奈良・飛鳥の旅2日目。
この日はいよいよ飛鳥の遺跡めぐり♪
丸一日かけて、レンタサイクルで明日香村の古代遺跡やお寺を見て周りました★
まずは、午前中の行程。午前中は、吉備姫王墓(猿石)〜高松塚古墳〜キトラ古墳〜稲淵の棚田〜石舞台古墳を巡ります。
①橿原神宮前から飛鳥駅へ
ホテル「THE KASHIHARA (ザ 橿原))」の部屋からの眺め
上の写真は、宿泊したホテル「THE KASHIHARA (ザ 橿原))」の部屋からの眺めです。
昨日は小雨が降る曇天でしたが、この日は雲は多いものの青空が広がっています。
サイクリング日和になりそうな予感です♪
ホテル「THE KASHIHARA (ザ 橿原))」の朝食
朝食は、ホテルのビュッフェで。
スタンダードな洋食と和食のお料理が並ぶ中、そうめん発祥の地、奈良県桜井市の「三輪そうめん」があったのでいただきました!
歯応えがあり、舌触りが良く、スルスルといただけます。
さすが、1200年の伝統を持つと言われる「三輪そうめん」、美味しいです♪
ホテル「THE KASHIHARA (ザ 橿原))」の外観
朝食をいただいた後、荷物をまとめて、チェックアウト。
大きめの荷物はホテルの受付に預かってもらって、さっそく出発!
橿原神宮前駅
近鉄橿原線に乗って飛鳥へ
飛鳥へは、橿原神宮前駅から近鉄橿原線に乗って向かいます。
橿原神宮から飛鳥までは2駅。所要5分ほどだったので、油断して時刻表を確認せずに駅に行ってしまったのですが、電車の本数が少なく、30分に一本しかない!
結局、30分近く待つ羽目になってしまいました。。。
飛鳥駅
ようやく来た電車に乗り、乗車して5分ほどで飛鳥駅に到着!
電車はそこそこ混んでいたのですが、降りる人はほとんどおらず。
駅前はかなり閑散とした感じです。
兎にも角にも、駅を出て右手に向かい、「明日香レンタサイクル」へ。
駅前の「明日香レンタサイクル」でレンタサイクルを借ります。
飛鳥駅前にはいくつかレンタサイクル屋さんがありましたが、今回レンタルしたのは、上の写真の「明日香レンタサイクル」。電動自転車をレンタルしました。
電動自転車のレンタル料は1,500円。飛鳥駅前を含む4箇所の営業所で乗り捨て可能(乗り捨て料は200円)です。
ちなみに、今回の飛鳥遺跡めぐり行程は、こんな感じ↓
飛鳥遺跡めぐりMAP
飛鳥駅を出発し、遺跡やお寺を巡って、橿原神宮前駅の営業所で自転車乗り捨て。
現在時刻は午前9時。営業所が閉まるのは17時なので、17時までに遺跡めぐりを済ませ、橿原神宮前にたどり着く必要があります。
さあ、急ぎましょう〜!
まずは、最初の目的地「吉備姫王墓」へと向かいます。
②吉備姫王墓
「吉備姫王墓」に到着
最初に訪れたのが「吉備姫王墓」
ちょっと迷いましたが、10分ほどで到着しました。
ここには、「猿石」という謎の石像が4体あります。
「吉備姫王墓」の解説
「吉備姫王墓」は、昔ながらの民家と畑に囲まれた長閑な場所にあります。
辺りに人影はなく、とても静か。
ちなみに、「吉備姫王」は、孝徳天皇と斉明天皇の母であり、欽明天皇の孫にあたる女帝であるとのこと。
あの鳥居の中に「猿石」があります。
入り口から小さな丘を少し登ると、上の写真のような鳥居と柵に囲まれた森が現れます。
あの鳥居の中に「猿石」があります。
「猿石」(女、山王権現)
「猿石」(僧、男)
こちらが「猿石」
1702年に付近の田んぼから掘り出された石像で、猿ではなく渡来人を象ったものだと考えられています。
4体の石像は、その外見から「女」「山王権現」「僧」「男」という愛称がそれぞれに付けられているとのこと。
この「猿石」が、いつ、誰が、何のために作ったのかは分かっていないそうです。
人影のほとんどない森の中に佇む4体の謎の石像。シュールな感じです。
「吉備姫王墓」と堀
「吉備姫王墓」と堀です。
地上からだとわかりづらいのですが、GoogleMapで地図を俯瞰すると、「吉備姫王墓」は、お堀に囲まれた前方後円墳型の墓となっている様子。
吉備姫王墓で猿石を見た後、再び自転車に乗って南東へ。
「高松塚古墳」へと向かいます。
③高松塚古墳
「高松塚古墳」
自転車で10分ほど走ったところに、「高松塚古墳」はあります。
「高松塚古墳」一帶は歴史公園として整備されていて、ここには観光客の姿がちらほらとありました。
駐輪場に自転車を止め、歴史公園内を歩いて古墳へと向かいます。
「高松塚古墳」
「高松塚古墳」は、藤原京期(694年〜710年)に造られた終末期古墳。
二段式の円墳で、下段が直径23m、上段が直径18m、高さは5mです。
被葬者は特定されていませんが、天武天皇の皇子や臣下、朝鮮半島系の王族などの説があるのだそう。
「高松塚古墳」の解説
「高松塚古墳」は、石室内部に描かれた極彩色の壁画で有名です。
壁画は1972年に発見され、当時のトップニュースになったのだとのこと。
「高松塚壁画館」
古墳の脇には、「高松塚壁画館」があり、壁画発見当時の現状模写、復元模写、副葬品などが展示されています。
壁画には、男子や女子の群像、四神(朱雀・青龍・玄武・白虎)、星空をデザインした「星宿図」などが描かれており、繊細な描写が見事です。
特に、西壁に描かれた「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像は、歴史の教科書にも掲載されている有名な壁画。色彩がとても鮮やか。これらの壁画は、朝鮮の高句麗古墳の壁画との関連性も指摘されていて、とても興味をそそられます。
ちなみに、この「飛鳥美人」、2020年7月に、13年にも及ぶ修復が完了したばかりなのだとのこと。
「高松塚壁画館」、小さな博物館ながら、展示や解説がしっかりしていて、なかなか見応えのある博物館でした★
高松塚古墳を見た後は、高松塚古墳と共に特別史跡に指定されている「キトラ古墳」へと向かいます。
●高松塚壁画館
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :12月29日~1月3日
入館料 :一般 300円 大学・高校生130円 中学・小学生70円
④キトラ古墳
「キトラ古墳」
高松塚古墳から自転車に乗って南へ10分ほど。「キトラ古墳」があります。
こちらも、遺跡公園として整備されていて、博物館も併設されています。
「キトラ古墳」は、二段式の円墳で、下段が直径13.8m、上段が直径9.4m、高さは4m。建造年代は高松塚古墳より古く、7世紀末から8世紀初頭に造られたと考えられています。
「キトラ古墳地形復元模型」
「キトラ古墳」の解説
「キトラ古墳」も高松塚古墳と同様に被葬者は特定されていません。
ただし、身分の高い人の墓だったことは確かなようで、高市皇子や百済王昌成、阿部御主人などの説があるのだそう。
「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」
「四神の館」地下1階展示室の様子
古墳を見た後は、併設された博物館「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」を見学♪
「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、キトラ古墳をわかりやすく学べる体感型施設。
1階が実物の壁画や出土遺物を保存管理する施設で、地下1階がキトラ古墳や壁画をパネルや映像などで紹介する展示コーナーになっています。
かなり充実した博物館です。
キトラ古墳とは・・・
特別史跡「キトラ古墳」とは・・・
日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳。石室の壁に美しい絵が描かれた大陸風の壁画古墳は日本では高松塚古墳、キトラ古墳だけなのだそう。
石室の復元模型
こちらは、「四神の館」に展示されていたキトラ古墳の石室のレプリカ。
正面の北壁に「玄武」、西壁に「白虎」、東壁に「青龍」、南壁に「朱雀」の四神が。北壁、西壁、東壁には「獣頭人身十二支像」が。天井には「天文図」が描かれています。
「キトラ古墳」の四神
“キトラ古墳の四神像は今にも動き出しそうに躍動している”
「キトラ古墳」の四神についての解説パネルです。
「四神」とは、中国の神話における天の四方を司る霊獣のこと。東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武の四獣があり、それぞれ、方角だけでなく季節や色などとも関連づけられています。
「獣頭人身十二支像」
「獣頭人身十二支像」の解説です。
「獣頭人身十二支像」は、動物の頭と人間の体で十二支を表したもので、葬られた人の魂を守護する意味合いがあります。
古代中国では十二支の人形を置く習慣がありましたが、キトラ古墳では壁画として描かれました。
「キトラ古墳」の天文図
「キトラ古墳」の石室の天井に描かれている「天文図」の解説。
キトラ古墳の天文図は、三重の円同心と黄道、北斗七星などの星座、月像や日像などが配された本格的なもので、現存するものでは世界最古の科学的な天文図であるのだとか。
描かれた星の数は277。日本で天文に大きな関心がもたれるようになったのは飛鳥時代からなのだそう。
「キトラ古墳」のサイズ
「キトラ古墳」のサイズの解説です。
有名な「大仙古墳(仁徳天皇陵)」と比べてかなり小さいことがわかります。
「キトラ古墳」が造られた飛鳥時代は、「薄葬化の時代」と言われ、それまでの古墳時代と比べて葬送行為が簡素になりました。
仏教の流入により、古墳よりも寺院にお金を掛けるようになったためと考えられています。
古代日本文化は東アジアの文化が源流
「キトラ古墳」と「高松塚古墳」の比較
「キトラ古墳」と「高松塚古墳」の壁画は、どちらも中国や朝鮮など大陸の影響を強く受けており、そもそも渡来人が造ったという説もあります。
飛鳥には渡来人が多く住んでいたそうで、もしかしたら、私たちも渡来人の血を幾分か受け継いでいるのかもしれません。
「キトラ古墳」の発見から保存・復元まで
高精度撮影
壁画取り外し
壁画修理
こちらは、「キトラ古墳」の発見から修復までの作業の紹介パネル。
貴重な壁画を発見したはいいものの、触っただけですぐに壊れてしまう。
どうやったら保存・修復できるか。ってことで、様々な人が知恵を出し合い、色々な素材で試験を繰り返し、壁画は地道に修復されてきました。
考古学に携わる人々のトライ&エラーの結晶が、現在見ることのできる「キトラ古墳」の壁画なのです。
修復作業は現在でも続いているのだとのこと。
「キトラ古墳」と「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」を見た後、自転車に乗って北東へ。日本の棚田百選にも選ばれたという「稲淵の棚田」を見に向かいます。
●キトラ古墳壁画体験館 四神の館
開館時間:9:30~17:00(12月~2月は9:30~16:30)
休館日 :12月29日~1月3日
入館料 :無料
⑤稲淵の棚田
飛鳥の美しい農村風景
「キトラ古墳」から自転車で北東へ。
結構な勾配の坂道をえんやこらと登っていきます。
峠を越えたところで、視界が開けました!
眼前に広がる棚田と山野。明日香村の美しい農村風景です★
そんな風景を眺めながら自転車を漕いでいくと、車道沿いに木の看板が立っているのが見えてきます。
「稲淵の棚田」
看板には「稲淵の棚田」と書かれています。
たぶん、ここが「稲淵の棚田」のビューポイントのひとつ(トイレが併設されています)。看板の向こうには棚田が広がっています。
シーズンが終わり、稲が刈り取られた後で寂しい感じですが。。。
「稲淵の棚田」は、平安時代から室町時代にかけて開墾されたという棚田。
300枚あまりの水田と畑によって形作られており、その景観は、日本の農村の原風景を残しているとして、国の重要文化的景観にも指定されています。
案山子コンテストの紹介
案山子コンテストの作品
上の写真は、「第25回案山子コンテスト」応募作品の紹介。ビューポイントに設置された掲示板に展示されていました。
毎年9月下旬、真っ赤な彼岸花が咲く頃、明日香村では「彼岸花祭り」が開催されます。
9月の棚田はまだ青々としていて彼岸花の赤とのコントラストがとても美しいのだそう。
そんな棚田と彼岸花が織り成す美しい風景を撮影しようと、「彼岸花祭り」の時期には多くの観光客が訪れるのだとか。
そんな「彼岸花祭り」のメインイベントのひとつが「案山子コンテスト」
「案山子コンテスト」は誰でも参加することが可能で、作品は稲渕地区内の『かかしロード』に11月中旬まで展示され、入賞者には稲渕棚田新米(玄米)が贈呈されるのだそう。
ちなみに、2020年度はコロナの影響により、「彼岸花祭り」は中止。けれども、「案山子コンテスト」は開催されました。
「第25回案山子コンテスト」の結果はこちら→「案山子コンテスト2020-絆kizuna-」結果発表(NPO法人明日香の未来を創る会ホームページ)
遠くにでっかい案山子らしき物が!!
ビューポイントで辺りの風景を眺めていると、遠くにでっかい案山子らしき物が見えます。
近づいて見に行ってみることにしましょう〜。
自転車で谷を越え、田んぼや畑の広がる農道を進んで行くと・・・
近づいてみると、志村けんのバカ殿様の案山子でした〜★
そこには、巨大な志村けんのバカ殿様の案山子がありました〜!
かなりでかいです。2m以上あります。
アイーンをしています。
小さなイノシシを従え、アイーンをするバカ殿。
野山の緑と青空に赤い衣装が映えています♪
説明の立て看板も設置されていました。
説明の立て看板も設置されていました。
殿っ!イノシシが襲ってきました!如何いたしましょう!
大丈夫だぁ〜。
殿っ!殿っ!
わしはみんなの笑顔が見たいからこれからもずっと棚田を見守っておるぞっ!安心せい!
アイーン!
NPO法人明日香の未来を創る会
コロナで亡くなってしまった志村けんさんですが、こんな所に居たんですね♪
「稲淵の棚田」の風景
バカ殿の案山子を通り過ぎ、さらに山道を進んでいきます。
眼下に見える景色は、まさに日本の原風景。幾重にも広がる棚田と積み上げられた稲藁。薄く色付いた山々。千切れ雲の浮かぶ青い空。
心に沁みる美しい風景です★
かかしロード
しばらく進むと「案山子路(かかしロード)」が現れました。
8月末から11月中旬まで、ここに「案山子コンテスト」に出品された案山子がずらりと展示されるのだそう。
訪問したのは11月下旬。もう一週間早ければ案山子の行列を見れたのかもしれません。
「稲渕の棚田」で棚田と案山子を見た後、再び自転車に乗って、北にある「石舞台古墳」へと向かいます。
美しい里山の風景
里山の風景を眺めながら自転車でゆったりとサイクリング♪
日本の原風景がここにはあります。
「稲渕の棚田」から「石舞台古墳」へと向かう道中の風景は素晴らしいものでした。
延々と連なる棚田は、春には一面に水を湛え、夏には緑の絨毯に覆われ、秋には豊かな稲穂で埋め尽くされるのでしょう。
そんな風景も見てみたいです。
明日香村、ここには日本の原風景があります。
⑥石舞台古墳
「石舞台古墳」前の広場
稲渕の棚田から10分ほど自転車で走ると、左手に「石舞台古墳」が現れます。
飛鳥最大の見どころのひとつで、遺跡の周辺には土産物屋があり、駐車場には観光バスや車が何台も停まっていました。
「石舞台古墳」の解説
「石舞台古墳」は、飛鳥路のシンボルとも呼べる遺跡。キトラ古墳や高松塚古墳と同じく、国の特別史跡に指定されています。
さっそく遺跡の中へと入ります。
「石舞台古墳」
こちらが、「石舞台古墳」
「石舞台古墳」は、7世紀初頭、古墳時代後期に造られた古墳です。
元々は、土を盛り上げて造った墳丘に覆われていましたが、盛り土は失われ、現在は巨大な横穴式の石室が露出した姿となっています。
被葬者は特定されていませんが、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父、蘇我馬子ではないかと推察されています。
巨大な石が積み上げられています。
上から見た横穴式の石室
花が飾られています。
遺跡には、大小30個の花崗岩の石が使われており、一番大きな石は約77トンもあり、その総重量は2,300トンにも及ぶと推定されています。
石は遺跡のそばを流れる冬野川の上流約3㎞のところにある多武峰の麓から運ばれたとのこと。
横穴式の石室の入口
横穴式の石室の内部
横穴式の石室の内部の様子です。
石室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7mあり、排水施設もあります。
巨大な石をうまく組み合わせて造られており、当時の運搬技術、土木技術の高さが窺い知れます。
内部には石棺があったと考えられますが、既に盗掘され、何も残っていません。
「石舞台古墳」
本来は盛り土に覆われていた「石舞台古墳」。古墳がどんな形をしていたのかは不明で、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されているのだそう。
盛り土が無くなった理由はわかりませんが、蘇我氏に対する懲罰の目的で墓が暴かれたのではないかという説もあります。
いずれにせよ、巨大な石組みが広々とした芝生の上に佇む姿は、シュールで神秘的で魅力的♪他の遺跡にはない景観です。
なお、「石舞台古墳」の周囲には桜の木が植えられていて、毎年桜の開花時期になると、遺跡は桜の花で埋め尽くされるのだとのこと。
夜になると、桜はライトアップされ、闇の中に浮かび上がる桜と遺跡の姿はとても幻想的なのだとか。
●石舞台古墳
入場時間:8:30~17:00(受付16:45まで)
休業日 :年中無休
入場料 :一般 300円、高校生~小学生100円
⑦サロン・ド・エトワール
「サロン・ド・エトワール」
「石舞台古墳」を見た後は、そろそろランチのお時間。
ランチは、明日香村の中心部にある人気古民家カフェ「カフェことだま」でいただきたいと思っていたのですが、12時半頃訪れたところ、店頭に「満席」の案内が!
どうしようかと思っていたところで見つけたのが上の写真のお店「サロン・ド・エトワール」です。
「サロン・ド・エトワール」の店内
お洒落なカフェ風のレストランで座席は16席。座敷の席もあります。
入店した時は席がまだ空いていましたが、程なくして満席に。
飛鳥でのランチは混むため、予約しておくのも手かもしれません。
「エトワールランチ un」1,600円
サービスでいただいた焼き物
季節のフルーツのソルベ
ランチのメニューは4品ありましたが、メインの鷄の香味揚げが美味しそうだった「エトワールランチ un」をチョイス!
香ばしくて美味しかったです。ボリュームもたっぷり!
デザートの柿のソルベもなかなか♪
さてさて、お腹も一杯になったところで、午後の観光へと向かいます。
午後は、橘寺〜亀石〜飛鳥宮跡〜酒船石〜奈良県立万葉文化館〜飛鳥寺〜甘樫丘と巡り、橿原神宮前で自転車を乗り捨て、奈良へと向かう予定です。
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