西アフリカにある国「マリ」。その首都「バマコ」を訪れました。
ニジェール川の河岸に位置するこの町は、13世紀から17世紀にかけて、マリ帝国の首都として繁栄しました。現在の人口は約180万人。
今回は、「バマコ」の町をご紹介します★
セネガルの「ダカール」からマリの「バマコ」へ
バマコの中心部の街並み
セネガルの「ダカール」からマリの「バマコ」へ。
着陸態勢に入った飛行機の窓から赤茶けた色の大地が見えてきました。
まばらに生えた潅木、大地と同じ赤茶色をした泥造りの家々。風景が熱気のため揺らいでいます。その中を泥色の大河ニジェールが大きく蛇行して流れています。
私はマリ共和国の首都、「バマコ」に到着しました。
飛行機のタラップを降りると、すごい熱気が体を包み込んできました!
暑い、というより熱い!
本当に熱い! かつて経験したことの無い猛暑です。
マルシェの前の付近の様子
入国の手続きを済ませ、空港を出ます。
空港の前はタクシーが数台止まっているだけで他には何もありません。バマコの空港は、ダカール以上に何も無いガラーンとした所でした。
私は1台のタクシーに乗り込んで、市内へと向かいました。
窓を開けるとドライヤーのような熱風が吹き込んできます。
「熱っ!」
慌てて窓を閉めます。
風景はとても乾燥していて、大地に生える潅木や家並みも全て土色。
タクシーは、ニジェール川を渡ります。半ば干上がったその川は、陽炎でゆらゆらと揺らいで見えました。
あの川は、恐らくマラリア蚊の温床なのでしょう。そう考えると、何だかとても不気味に見えました。
タクシーは、バマコ市街に入ります。
バマコは、巨大な田舎都市と言われます。高い建物はほとんどなく、舗装されていない道も多く、埃っぽくごみごみしています。
「Mission Libanaise」というバックパッカー宿に宿泊
バマコでは、ソトラマと呼ばれる緑色のミニバスがたくさん走っています
この日、私は「Mission Libanaise」というバックパッカー宿(2,500CFA:504円)に泊まりました。
この宿、すごかったです!
12ベッドのドミトリー部屋なのですが、日中から部屋の中を無数の蚊が飛び回っていました。
そのため、私は宿に着くなり、すぐさまベッドに蚊帳を取り付けました!
ここ「バマコ」では、蚊帳が必需品。マラリアを媒介するハマダラ蚊がたくさん生息しているからです。
ハマダラ蚊は、通常夕方から翌朝にかけて活動します。日中の時間帯は、蚊は休んでいて、普通は安心なのですが、暗い室内や涼しいレストランでは活動しており、こっそりと血を吸いにくるので注意が必要です。
この宿は、トイレやシャワー室も蚊でいっぱいでした。シャワー室は、蚊がたくさんいたため、私は蚊の少ない明るい午前10時にシャワーを浴びたのですが、それでもシャワー室が真っ黒になるほどの大量の蚊。
結局、私は小刻みに体を動かし、蚊に刺されないようにしながら、なんとかシャワーを浴びました。
宿には何人かの白人旅行者たちがいました。
同室で何度か会話を交わしたのは、無精髭を生やした白人の若者。彼に「シャワー室がひどい」と言うと、「Bamako is difficult」 と笑いながら返されました。
中庭には、ジープで移動しているらしい中年の二人組がテントを広げていました。浅黒い精悍な風貌をした小柄な女性三人組や、いつも上半身裸で長い髭を生やしている老人など、いろいろツワモノ揃い。
マルシェの付近の風景
夕方、食事を終え、宿に戻りました。
中庭には、無精髭の若者が座っていました。
私が、「バマコは本当に暑いね」と、うんざりしたように言うと、
彼は、「ここのドミトリー部屋は、夜、ものすごく暑いから覚悟した方がいいよ」とニヤニヤしながら脅してきました。
「勘弁してよ~!」って顔をすると、彼に愉快そうに大笑いされてしまいました。
夜、既に室内には蚊がたくさん飛び回っています。私は、長袖長ズボンに靴下を履いて、蚊帳の中にそっと潜り込みました。そして、蚊取り線香を2つ焚きます。手足や顔には、虫除けスプレーを吹きかけます。
完全武装です!
何匹もの蚊が蚊帳にぱちぱちとぶつかる音を聞き、暑さで汗びっしょりになりながら、私は一夜を過ごしました。
翌朝、完全武装したはずなのに蚊帳の中には蚊が3匹も入り込んでおり、5箇所も刺されてしまっていました。
頭を過るマラリアの恐怖・・・。
新しい宿「Lac De Bo」に移動する
アートセンターで売られていたジャンベ
朝食を食べに、市内にただひとつある冷房のついたカフェに行きます。
ミートパイ、アップルパイ、コーラを注文して、ゆっくりと食ベながら現状について考えます。
あの宿は暑過ぎるし、蚊が多過ぎる。部屋でゆっくりすることが出来ない。
けれども、猛烈な暑さの日中のバマコの街を歩き回ると言うわけにもいかない。
やっぱり、部屋だけはそれなりに安心できる場所を確保しないと・・・。
そう思い、私は宿を変えることにしました。
新しい宿の名は、「Lac De Bo 」(10,000CFA:2,028円)。
シングルルームでトイレシャワー付き。3泊するということで12,000CFAを10,000CFAに負けてもらいました。
さっそく、部屋に蚊帳を吊り、窓やドアの隙間にガムテープで目張りをして、もちろん蚊取り線香を焚き、中にいる蚊を撃退しました。
ひと安心です!
朝から温度計は42℃!灼熱のバマコを歩く
仮面とアフリカンな人形が売られています
安心したところで外出を試みます。
せっかく来たんだからバマコの街を探索しなくては……。
けれども、宿を出た途端、 ものすごい暑さが襲ってきました!
昼前なのに手元の温度計は42℃!
一気に気力が失せるのを感じました。
とにかく熱気に耐えながら、街の方々を歩いて周ります。
しかしながら、あまりの暑さのため、結局、バマコでは土産物屋が並ぶ「アートセンター」と「マルシェ(市場)」しか見ることが出来ませんでした(といっても他に見るところなどほとんどない街なのですが)。
けれども、驚くべきは、こんなに暑いのに地元の人たちは、普通に歩いたり仕事したりしているということです。
信号の前では炎天下の中、子供たちが大道芸をしていたりします。
平気なのでしょうか!
床屋のカットイメージイラスト
街をしばらくぶらぶらした後、宿から15分ほど歩いたところにあるスーパーへと向かいました。
歩いていると、直射日光と熱気のため頭がくらくらしてきます。
スーパーには、冷たく凍った水やジュースがたくさん売られていました。その時の私にとって、それらは宝の山!
宿への帰り道。ほんの少し歩いただけなのに、スーパーで買った凍ったペットボトルの水がいつの間にか熱いお湯になっています!
人は過酷な環境を強いられると、その欲望はどんどん低次元になっていってしまうようです。
私はマリで、北部にある世界遺産の都市「ジェンネ」や、神秘的な民族である「ドゴン族」の村などを訪れる予定だったのですが、もうそんな所へは行きたいとも思わなくなってしまっていました。
それらの場所は、このバマコよりもさらに暑く、マラリアの危険度も高い場所です。
とにかく、この時の私は「この暑さから逃れたい!」「マラリアの恐怖から解放されたい!」
ただそれだけでした。
マリの旅に蚊帳は必需品
新しい宿「Lac De Bo」は、前に泊まっていた大部屋に比べ、かなり快適でした。
クーラーなどはなく、暑いのは変わりないのですが、部屋にシャワー室があり、いつでも水シャワーを浴びられるのが助かりました。
外は暑くて歩けないので、宿で30分おきくらいに水シャワーを浴びて暑さを耐え忍びます。夜も暑さで起きてしまうので、1時間おきくらいに水シャワーを浴びながら寝苦しい夜を乗り切ります。
シャワーだけでなく、この宿に移ったのは大正解でした。
笑顔が優しいおばちゃんは、買ってきたマンゴーを冷蔵庫で冷やしてくれたし、若い従業員は蚊帳を吊るロープを用意してくれたし、宿の人々はみんな親切でした。
暑さにダウンし、ダカールへと戻る
暑い炎天下の中、仕事をする人々
次の日、結局私はマリの旅を断念し、ダカールへ戻ることに決めました。
そもそも時期が悪かったです。この時期は3月。最も暑く、最もマラリア蚊の多い時期だったのです。
ジェンネやドゴン村に行けないのは残念でしたが、奥地に行って暑さで倒れたり、重いマラリアにでも掛かったら命に関わるかもしれません。
「諦めよう・・・」
航空券を変更し、2日後にダカールに戻ることが決まると、正直私はホッとしてしまいました。
宿の人々にダカールへ帰ることを言うと、
「モプティやジェンネに行くんじゃなかったのか。どうして帰るんだ」
と聞いてきました。
あまりに暑過ぎるから行くのをやめたということを伝えると、優しいおばちゃんがいかにも残念そうに、
「今度は12月に来なさい。その時期なら涼しいわよ」
と言ってくれました。
せっかく彼らの国に来たのに何も見ないで帰ってしまうのです。なんだか、みんなに対して申し訳ない気分になります。
「また、必ずここに来るよ!」
私は、心の底からそうみんなに言いました。
アートセンターの土産物屋
2日後、私はダカールへと向かいました。
宿の人々と挨拶し、おばちゃんと握手し、タクシーに乗り込みます。
空港への道すがら、タクシーの運ちゃんとお話ししました。
砂漠の遊牧民「トゥアレグ」の血を引いているという運ちゃん。
彼に「バマコは暑くてだめだった」と言うと、こう言われました。
「今の時期、バマコは45℃になるけど、奥地のトンブクトゥは48℃で、隣国ニジェールは52℃にもなるよ。このぐらい普通の暑さだよ!」
私はそれを聞いて、つくづく奥地へ行かなくてよかったと思いました。
飛行機は、赤茶けたマリの大地を徐々に離れていきます。
陽炎がゆらめくニジェール川の風景。
飛行機は大西洋へ向かって、ダカールへ向かって大きく旋回を始めます。
そして、マリの赤茶けた大地はいつしか白い靄に隠され、見えなくなってしまいました。
旅行時期:2003年3月〜4月
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