古代から中世、近世の江戸時代末期に至るまで、本宮・新宮・那智の「熊野三山」は多くの信仰を集めてきました。
人々は深い山と森に覆われた紀伊の山道を歩き、険しい峠をいくつも越えて、神々の地「熊野三山」を目指したのです。
この熊野の参詣路は、現在では「熊野古道」と呼ばれ、世界遺産にも登録されています。
「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」は、和歌山県田辺市にある「熊野三山」のうちのひとつ。
新宮の駅前からバスに乗って、山の奥地にある総本山「熊野本宮大社」を目指しました。
バスに乗って熊野本宮大社へ
新宮駅前からバスに乗車
新宮駅前から路線バスに乗ります。
熊野本宮までは、熊野交通のバスに乗っておよそ1時間。
料金は1,500円でした。
午前の早い時間出発のバスだったせいか、車内は結構空いていてゆったり。
新宮の町を出てしばらくすると、すぐ山道に。
熊野川沿いの道をバスは進んでいきます。
そのうち、川は大きな岩がゴロゴロしてきて急流の度合いを増していきます。
「世界遺産 熊野本宮館」
体操をする消防士たち
しっかりと体操中
約1時間で「本宮大社前」に到着!
「熊野本宮大社」の前はさすがに観光客がたくさんいました。
写真は、本宮大社の前にある「世界遺産 熊野本宮館」
「世界遺産 熊野本宮館」には、世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」と「熊野本宮大社」について紹介する展示スペースや、観光案内拠点である「熊野本宮観光協会」の案内ブース、熊野の本が並ぶ図書コーナーなどがあります。
「世界遺産 熊野本宮館」の前では、地元の消防署の皆さんが体操を行っていました。
世界遺産「熊野本宮大社」に参拝
入り口の大鳥居
「熊野本宮大社」の入り口の大鳥居です。
鳥居は、神の宿る地域と人間の住む地域をつなぐ結界の役割を果たしています。
鳥居をくぐる前に一礼をし、右端を通って入ります。出る時は左端から出ます。
真ん中の「正中」は神様が通る道なので端を歩くのが作法です。
八咫烏ののぼり
「熊野大権現」の奉納幟
奉納幟が並ぶ158段の石段
大鳥居をくぐると、「熊野大権現」の奉納幟が並ぶ158段の石段を登ります。
途中の左手には「祓戸大神」の社があります。
手水舎で手と口を清めます。
上に登りきると、手水舎があります。
ここで手と口を清めます。
作法としては、まず、右手で柄杓を持って、左手に水をかけます。
次に左手で柄杓を持って、右手に水をかけます。
そして、右手で柄杓を持って、左手で水を受けて口をすすぎます。
最後に、柄杓を縦にして柄杓の柄の部分を洗うのが作法です。
神殿の入り口の神門
立派なしめ縄
しめ縄の向こうに社殿が見えます。
身を清めた後、神殿の中に入っていきます。
入り口の門には立派なしめ縄がかけられていました。
「熊野本宮大社」の社殿
「熊野本宮大社」の社殿です。
「熊野本宮大社」の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)
飛鳥時代の615年に、現在の大社から徒歩10分ほどの三本の川の中州にあたる場所「大斎原」に社殿が建てられました。
「大斎原」にあった社殿は現在の8倍の規模があったそうですが、1889年(明治22年)、大洪水によって被害を受け、1891年(明治24年)に上四社が現在の場所に移されたのだとのこと。
社殿の屋根のつくり
証誠殿(本宮・第三殿)
熊野権現造りの美しい社殿
「熊野本宮大社」の社殿は4つあります。
左から、
- 西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神・・・・・・・・・・・参拝順序③
- 中御前(結宮・第二殿) 速玉大神・・・・・・・・・・・・参拝順序②
- 証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)・・・参拝順序①
- 東御前(若宮・第四殿) 天照大神・・・・・・・・・・・・参拝順序④
参拝順序は、証誠殿→中御前→西御前→東御前の順になります。
本殿の建築様式は、第一・二殿が入母屋造、第三・四殿が正面切妻造向拝付、背面入母屋造だそうです。
三本足のカラス「八咫烏」
熊野本宮大社の拝殿
手水舎
拝殿に掲げられていた「根」の文字
神門の外側には拝殿があります。
拝殿には、九鬼宮司が書いた「根」の文字が掲げられていました。
「天地人」と書かれた八咫烏の石碑
拝殿の前には、「天地人」と書かれた「八咫烏」の石碑があります。
「八咫烏」とは、Wikipediaによると、
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
八咫烏 – Wikipedia
とのこと。
「天地人」の意味ですが、「八咫烏」の3本の足が、それぞれ「天」「地」「人」を表しているのだとか。
ちなみに、「八咫烏」は、サッカー日本代表のエンブレムとして使用されていることでも知られています。
現在でも、日本サッカー協会はワールドカップ等の出場前に熊野三山で必勝祈願を行っているのだとのこと。
真っ黒な八咫烏ポスト
社務所の前には、真っ黒な「八咫烏ポスト」がありました。
「八咫烏ポスト」から手紙を出す場合には、社務所で「出発の地より心をこめて 熊野本宮」というスタンプを押印してくれるのだとか。
熊野本宮大社に参拝中の八咫烏ツーリングクラブの人たち
八咫烏革ジャンがたくさん
復興祈願が書かれた絵馬
ちょうど、「熊野本宮大社」を参拝していた時、八咫烏の革ジャンを着たライダーたちがたくさん参拝しているのに出くわしました!
彼らは「二輪睦 八咫烏」というバイクのツーリングクラブのメンバーたち。
「二輪睦 八咫烏」は、1991年に発足し、毎年5月始めにバイクで熊野三社を参拝することが決まり事であるのだとのこと。
お守りや御朱印の販売所
熊野本宮大社の説明
社務所では、お守りや御朱印などが販売されていました。
せっかくだから、「八咫烏」のマークの入ったお守りを購入しました。
石段を下りていきます。
麓にあった「からす屋」
参拝を終え、石段を下って麓へ。
そこから徒歩10分ほどのところにある「大斎原」へと向かいます。
かつて熊野本宮大社があった地「大斎原」
「大斎原」にある日本一の大鳥居
かつて「熊野本宮大社」があった地「大斎原」です。
1889年(明治22年)に洪水で流される前は、ここが「熊野本宮大社」でした。
上四社は現在の「熊野本宮大社」に移されましたが、中四社、下四社、境内摂末社の神々は「大斎原」に残っています。
日本一高い大鳥居は、高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造で平成12年に建てられました。
大鳥居を下から見上げます。
世界遺産の石碑
世界遺産の石碑があります。
平成23年9月、紀伊半島の大水害によって、再び「大斎原」は被害を受けましたが、現在では復旧されているそうです。
「大斎原」の杉の森
かつて本宮があった「大斎原」
「大斎原」の石碑
毎年4月13日~15日にかけて行われる例祭では、「熊野本宮大社」の上四社が旧社地である「大斎原」に里帰りをするそうです。
この祭りでは、一年の豊穣が祈願されます。
熊野古道を展望台まで20分ほど歩く
熊野古道の案内板
「熊野本宮大社」は、熊野詣の最終目的地のひとつ。
ここからは「熊野古道」が各地へ向けて伸びています。
歩いて20分ほどのところに見晴らしの良い展望台があり、そこまでの道が熊野古道をちょこっと体験するのにちょうどいいと、観光案内所の方に教えてもらったので、行ってみることにしました。
熊野古道を歩く
杉の木に覆われた熊野古道
熊野本宮大社から展望台まで歩きます。
熊野古道は、主に下の5つの道のことを指します。
- 紀伊路(渡辺津-田辺)
- 小辺路(高野山-熊野三山、約70km)
- 中辺路(田辺-熊野三山)
- 大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)
- 伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)
このうち、「小辺路」「中辺路」「大辺路」が世界遺産に登録されています。
杉の木々に囲まれた山道を歩いていきます。
熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったのは、1090年の白河上皇の熊野御行がきっかけといわれています。
その後、貴族の間で熊野への参詣が流行し、そして、江戸時代になると一般庶民にも広まっていったのです。
最盛期には、「蟻の熊野詣」と例えられるほど、参詣道に切れ目なく人が続いていたそうです。
熊野古道
ちょっとよりみち展望台
展望台からは「大斎原」が見えました。
20分ほど山道を登り、展望台に到着しました!
展望台からは熊野の山並みと盆地、そして、「大斎原」の大鳥居が見えました。
展望台から見た熊野川
古道沿いに立つお地蔵様
団地がありました。
熊野古道の杉林
展望台でしばし眺めを楽しんだ後、登ってきた古道を下り始めます。
再び、本宮大社前に到着。
ここから、バスに乗って「湯の峰温泉」へと向かいます。
湯の峰温泉と世界遺産の「つぼ湯」
湯の峰温泉
本宮大社から湯の峰温泉までは、バスで10分ほど。
「湯の峰温泉」は、四世紀ごろに熊野の国造、大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見されたとされています。
重曹硫化水素泉で源泉温度は92℃。
リューマチ、神経痛、糖尿病、胃腸病、痛風、皮膚病などに効能があると言われています。
温泉卵や茹で野菜を作れる湯筒
世界遺産の「つぼ湯」
湯ノ峰温泉共同浴場
真ん中を流れているのは、四村川。
川岸には、源泉の自噴口「湯筒」があり、ここで卵や野菜を茹でることができます。
四村川沿いの温泉街には、温泉旅館が15軒。
共同浴場は2箇所あって、そのうちのひとつ、四村川岸にあるのが、日本最古の共同浴場と言われる「つぼ湯」です。
「つぼ湯」は世界遺産にも登録されていますが、30分交代制で一度に3人しか入れないので、時間がないと厳しいです。
大人しくもう一つの共同浴場に入ることにしました。
湯の峰温泉の東光寺
湯筒で卵や野菜の茹で加減を見る人たち
温泉はかなり熱め。
あまり長く入って入られません。
だけど、あったまるし、サッパリしました★
バスで再び新宮へ
温泉に浸かった後、バスに乗って新宮へと戻ります。
およそ1時間ほどで新宮到着!
ホテルでゆっくりしてから、夕食を食べに外へ。
人通りの全くない夜の新宮の街を歩く
新宮駅前の焼き鳥屋「大吉」
新宮はなかなかこれといった食事処が見つからないので、昨晩と同様、駅前の焼き鳥屋で飲みながらお食事することにしました。
昨日とは違うお店「大吉」
チェーン店です。
夜の新宮の街並み
新宮のスーパー「オークワ」
夜の新宮のアーケード街
夜の熊野速玉大社
焼き鳥を食べ、ビールを2杯くらい飲んだ後、夜の新宮の街を歩いてみました。
通りを歩いてアーケード街へ。
そこから、熊野速玉大社まで行ってみました。
新宮のパチンコ屋「横町の赤玉」
昨日と同じで、人通りが全くなく、不気味なほど静まり返っています。
アーケード街の横町には、かなり派手なネオンサインのパチンコ屋「横町の赤玉」がありました!
かなりシュールな光景です。
人通りの全くない夜の新宮の街
人通りも車通りもほとんどなく、お店も全てシャッターが閉じているので、ホテルに戻ります。
明日はバスで「熊野那智大社」と「那智の滝」を訪問します。