クスコは、ケチュア語で「へそ」を意味しているそうです。
クスコは、1200年代から1532年までの間、インカ帝国(タワンティン・スウユ:Tawantinsuyu)の首都であり、文化の中心地でした。
クスコには、インカ時代の石組みが所々に遺されています。カミソリの刃も通さないといわれる精緻な石組みは、見事のひとこと!
1533年のスペインの侵略以降、クスコの街は、ほぼ全体がスペイン風に変わってしまいました。
けれども、街を歩くとインカ時代を偲ばせる遺構を所々に見ることが出来ます。
アルマス広場の周辺にはインカ時代に造られた石組みがいくつか残っています。
広場の南東へと向かう細い通りである「ロレト通り」には、剃刀の刃も通さないといわれる精巧な石組みが200メートルにも渡って続いています。
「ロレト通り」の12角の石
12角の石
精巧に積み上げられた石組み
「アトゥン・ルミヨク通り」には、有名な「12角の石」を含む見事な石組みがあります。
複雑な形を持つ多角形の石がパズルのように綺麗に隙間なく接合されています。
「12角の石」はその中でも最も複雑な形を持つものです。
この石組みは現在でも再現するのが難しいといわれています。インカ人の技術の凄さには、本当に唸らされることしきり!
けれども、それにしてもなぜわざわざこのような複雑な石組みを造ったのでしょうか。
謎は尽きません。
太陽の神殿「コリカンチャ」の石組み
太陽の神殿「コリカンチャ」の石組みと、その上に建つサント・ドミンゴ教会
太陽の神殿「コリカンチャ」は、インカ人にとって最も神聖で重要な場所であったと言われています。
かつて、この神殿は黄金の神像や装飾で内部が埋め尽くされていたのだそうです。
スペイン人たちはそれらを全て奪い取り、建物も土台を残して破壊し、現在ある「サント・ドミンゴ教会」を建造しました。
太陽の神殿の石組み
太陽の神殿の石組み
太陽の神殿の石組み
「サント・ドミンゴ教会」の中に入ります。
回廊に囲まれた中庭があり、その脇の部屋には主祭壇があります。
その様子は他の教会と何ら変わりはありません。
けれども、土台や壁面などには所々に精緻な石組みが残っており、インカ時代にここが「コリカンチャ」であったことがわかります。
面白いのは、インカの見事な石組みに比べ、スペイン人の造った石組みがひどくちゃちに見えることです。
話によれば、かつてこの地方が大地震に見舞われたとき、上に建っていたサント・ドミンゴ教会は崩れ落ちたのですが、土台の石組みはびくともしなかったそうです。
このエピソードだけでも、インカの技術がいかに優れていたかということがわかりますね。
太陽の神殿「コリカンチャ」の石組みと、その上に建つサント・ドミンゴ教会
「コリカンチャ」の土台の石組みは美しいカーブを描いていました。
滑らかな表面を持ったインカの夢「コリカンチャ」、この石組みも、インカ時代には黄金で飾られていたのかもしれません。
歴史を遡って当時の「コリカンチャ」の姿を見てみたい。
そんな誘惑にかられました。
旅行時期:2003年7月