中国福建省の北西部にある永定県。
大都市「厦門」からバスで5時間ほど。山深い田舎道をバスで走っていくと、山間に大きな円形の建物がいくつも見えてきます。
「客家」と呼ばれる人々が建てた集合住宅「土楼」です。福建省永定県には、4000軒以上の土楼が建っているのだとのこと。
今回は、永定県にある土楼を5つ(集慶楼・庚慶楼・振福楼・衍香楼・環極楼)ご紹介します。
初渓村にある最大の土楼「集慶楼」
「初渓村」にある「集慶楼」
永定では、バイタクで土楼巡りをしました。
バイタクのお兄ちゃんが、まず最初に連れて行ってくれたのが「初渓村」にある「集慶楼」という土楼です。
土楼には、円い形をした「円楼」と、四角い形をした「方楼」があります(他にも五角や八角の楼もあるようですが、それらは特殊な形態です)。この「集慶楼」は円楼。
土楼は、客家の人々が暮らす集合住宅です。血縁関係のある家族や親族がみんなで暮らしているのです。
「集慶楼」の入り口
こちらが、「集慶楼」の入口。
「集慶楼」は、初渓村にある土楼としては最大のものだそうです。
また、大きさ以外にも「単元式土楼」であるという特徴があります。
普通の土楼は、2階以上の階には、ぐるりと一周できる渡り廊下が設置されているのが一般的ですが、この「集慶楼」には渡り廊下がなく、一家族(一単元)ごとに1階から4階まで達する階段があり、それぞれの家族の居住区域が独立しているのです。
生活感溢れる土楼「庚慶楼」
「庚慶楼」の内部
こちらは、集慶楼の隣にある「庚慶楼」
「庚慶楼」は、「集慶楼」に比べて小さい土楼ですが、ほとんど人がいなかった集慶楼に比べ、生活感溢れまくりで面白かったです♪
写真を見てください!
洗濯物も農作物も、思いっきり干されてます!
そして、手前にはガチョウたちが、のんびりと毛づくろいをしています。
「庚慶楼」の内部
壺が置かれていたり、箒が立てかけてあったり、細かなディテールがいい感じ!
3階から眺めた「庚慶楼」
3階に登り、庚慶楼の内部を上から眺めます。
物の置き方、干し方、吊るし方、立て掛け方・・・。
いろいろな工夫が見えます。
生活感溢れる土楼の内部
客家の人たちはもともと、方形の「囲屋(ウェイウー)」と呼ばれる建物に住んでいたそうです。
四隅に見張り塔を配し、高い塀に囲まれた「囲屋」は、現在でも広東省や江西省で見ることができます。
この「囲屋」と、平屋建ての四合院方式の建物「殿堂式客家民居」をルーツとして、防衛上の観点から殿堂式民居の中心部を高くした「五鳳楼(ウーフォンロウ)」という建物が造られました。
「五鳳楼」は平野部での建造がほとんどでした。けれども、より危険度の高い山間部では、全体を同じ高さの壁で囲んだ口の字型の「方楼(ファンロウ)」が建てられるようになります。
そして、「方楼」はそのうち、より防衛力の高い「円楼(ユェンロウ)」へと進化していったのだそうです。
これらの土楼は一般の家族の家なのですが、たまに観光客が来るようで、旅行者が中に入っても特別びっくりはされませんでした(2003年当時)。
世界遺産に登録された今は、どうなっているかはわかりません。
ちなみに、この初渓村の近くの丘からは、3つの土楼が綺麗に並んでいる「3連土楼ビュー」が見えるのだとのこと。
ガチョウの多い「振福楼」
「振福楼」の外観。右にいるのはバイタクのお兄ちゃん
初渓村の土楼群の次に訪問したのが、南渓地区下南渓村にある「振福楼(ジェンフーロウ)」。1912年に建造されたといわれる、3階建ての中型の円楼です。
ガチョウの多い「振福楼」
「振福楼」の前にはガチョウがたくさんいました!
「振福楼」の内部の様子です。
左側の石造りの建物は「祖堂」で、祖堂を中心としてその周りを住居部分が取り囲んでいます。1階には台所と食堂があり、2階は倉庫として使われ、3階が居室になっています。
上の階に登り、土楼の中心に建つ祖堂を眺めます。この祖堂には祖先神が祀られています。
この「振福楼」は、蘇という一族の建物だそうです。
土楼の外壁は土で造られています。それ以外はほぼ木造だそうです。
土楼は地震に強いことが知られており、夏は涼しく冬は暖かな、暮らしやすい建物なのだとのこと。
土楼の中にもガチョウがたくさんいました!
ふるさとを守る「振福楼」のおばちゃん
「振福楼」は、蘇振泰という人が建てた土楼と言われています。
蘇振泰氏は、葉タバコの商売で財を成し、数万元の銀貨で「振福楼」を建てたのだそう。蘇振泰氏には多くの子孫がおり、専門家や学者として成功を収めているのだとか。
この「振福楼」、一族のほとんどの人が海外に移住してしまったそうで、現在ここに住むのは、一家族6,7人だけなのだそう。
「振福楼」家族の肖像
1階の食堂の壁に飾られていた家族の写真。
古い写真から新しい写真までいろいろ。なんだか歴史を感じます。
ヨーロッパで撮影されたと思われる写真もあって、一族の皆さんの多くが、海の向こうへと渡ってしまった様子がうかがえます。
「振福楼」では、優しいニコニコ顔のおばちゃんが歓迎してくれました。
家族の写真の左側にあるのが、おばちゃんの写真です。
優しいニコニコ顔のおばちゃん
海外に暮らしている息子たちも、時々、このおばちゃんの笑顔を見に、この「振福楼」に帰ってくるのかもしれません。
円楼の中心に方形の祖堂があるコンパクトな土楼「衍香楼」
新南村にある「衍香楼(イェンシャンロウ)」です。
4階建ての中型円形土楼で、直径は40メートル。壁の高さが14.5メートル、136の部屋があります。
1880年に蘇谷春という人によって建てられた土楼だそうです。
「衍香楼」の入口
入口の白壁の所に金色の文字の跡がありますが、あれは文化大革命の時のスローガンが記された跡だそうです。
「衍香楼」の内部です。
この楼には今も蘇谷春氏の子孫である十数家族が暮らしているそうです。
基本的に土楼では1階のひと部屋をあてがわれると、その上の階の部屋(4階建てだと3部屋)もその家族のものになるのだとのこと。
中央の祖堂です。この場所は土楼に住む一族の公共の場となっていて、話し合いやら宴席などもここで行われるそうです。
「衍香楼」は、円楼の内部に方形の祖堂がある珍しい構成の土楼だそうです。
楼は保存状態もよく、1988年には県の文化財にも指定されています。
広い中庭で子供たちが遊ぶ「環極楼」
「環極楼」の外観
南中村にある「環極楼(ホワンジイロウ)」です。 4階建ての中型円形土楼で、直径43.2メートル。高さ約20メートル、134の部屋があります。
土楼の大きさは小振りですが、コンパクトにまとまった美しい姿。
「環極楼」は、1693年に蘇卜臣という人によって建てられました。
「環極楼」の内部
「環極楼」は頑丈なことで知られています。
1918年2月、マグニチュード7の地震がこの地域に発生した際、多くの土楼が倒壊したということですが、この「環極楼」は正門の上部に亀裂が入っただけで無事だったのだとのこと。
しかも、その亀裂は時間とともに次第に狭まっていき、今ではまったく問題がない状態になっているのだとか。
建物の上階に登り、楼の中庭を見下ろします。
「環極楼」は、中心部に祖堂がないことが大きな特徴です。そのため、土楼の中央部は広い中庭となり、上階から見るたときに二重の輪が綺麗に見えます。
その名の通り、「環」を「極めた」楼です。
ちなみに、祖堂は入口の門の向かい側にあります。
「環極楼」の広い中庭は子供たちの遊び場にもなっているようでした。
中庭であやとりをして遊ぶ子供たち
「環極楼」には、現在でも蘇氏の一族21世帯、116人が住んでいるのだそうです。
おじいちゃんが見守る中、真っ赤なあったかそうな服を着たお兄ちゃんと妹が綾取りをしています。
なんだかやけに楽しそうです!
21世帯の子供たちが中庭に集まって遊びます。
蘇氏の一族の多くは、ミャンマーに移住しているのだそうです。
この子たちも、大人になったら、いずれは海外に出て行くことになるんでしょうか?
「環極楼」の周りの風景です。付近にも多くの土楼が建っています。
「環極楼」の近くの土楼のブタ小屋
5つの土楼を巡った後は、引き続きバイタクに乗り、土楼観光の拠点のひとつ「湖坑鎮洪抗村」へと向かいました。
村へは夜に到着し、「振成楼」というモダンな土楼に宿泊をしました。
旅行時期:2003年1月
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