「アフリカ」
日本とは一番関わりの薄い地域、未知の土地です。
そんなアフリカ(ブラックアフリカ)への初めての訪問。2003年に訪れたセネガルとマリをご紹介します。
今回は「ダカール到着」!
パリから飛行機でサハラ砂漠を越え、ダカールへ
ダカール行きの飛行機から見た雲海
パリ、シャルル・ド・ゴール空港を飛び立った飛行機は、一路南へ、アフリカ大陸へと向かいます。
飛行機は地中海を抜け、砂漠へ、サハラへと入ります。
果てしなく続くかに見えた黄褐色のサハラ、それが不意に途切れ、紺碧の広がりが目に飛び込んできました。
目の覚めるようなコントラスト、大西洋です!
上空から見たダカールの街
機体は海に沿って進みながら、徐々に高度を下げていきます。そして、しばらくすると眼下に白茶けた街の姿が見えてきました。セネガルの首都、ダカールへの到着です。
ダカールのバス停
ガランとしたダカールの街並み。日差しが強いです。
午後の陽光を強烈に照り返している薄汚れた家々の白壁。ぼろぼろの車、少ない人通り。白と砂色が織り成す殺伐とした街の風景……。影がやけにくっきりと黒々としています。
セネガルはフランス語圏。現地語としてウォロフ語を始めとする様々な言語がありますが、共通語としてフランス語が話されています。これは20世紀の初頭 に、この地域一帯がフランスの植民地支配を受けたということが影響しています。これから先、フランス語によるコミュニケーションには苦労しそう。
海岸沿いの通り
入国審査です。いくつかの質問をクリアすると、係員の黒人は賄賂を要求してきました。
フランス語は理解できない筈なのに、賄賂をくれと言っていることだけは理解できました。
私は、「ノン、ノン」と言い、相手にしないでいました。
係員は、しばらく私のことをじ〜っと睨んでいましたが、おもむろに口元を歪めると、入国スタンプを「ドン!」と押してくれました。
ダカールの街角とミニバス
ターンテーブルに向かいます。
自分の荷物を取りに行こうとすると、黒人が私の荷物を取り持っていこうとしています!
その黒人に追いすがり、「それは私の荷物なんだけど・・・」と言うと、
その人は、「荷物を運んであげるよ」と言ってきます。
荷物を勝手に運んで、後でお金を請求するつもりなのです。
困った人です。
もちろん、彼に荷物運びは頼まず、彼から荷物を取り返しました。
海岸沿いの通り
両替所へ向かいます。薄暗い両替所にいたのはでっかいおばさん!
おばさんに両替レートを聞きます。1米ドル(118円)が、550セーファーフラン(CFA)だとのこと。
私は200ドルを両替することにしました。110,000CFA(23,600円)です。
2枚のアメリカンエキスプレスのトラベラーズチェックを渡し、分厚い札束を受け取ります。
確認のため札束をチェック。
すると、案の定10,000CFAほど足りません。
「おばさん、足らないよ!」と言うと、彼女はその表情を全く変えることなく、10,000CFAを投げるようによこしました!
空港を出て、ダカールの町へ
ダカールを走るミニバス
空港を出ます。
空港前は日本の郊外の駅前のように何も無く、ガランとしていました。タクシーも数台しかいません。
けれども、私の周りには人だかりが出来ていました。タクシーの運転手や客引き、ガイドのような人たちです。
私の周りだけ大混雑!久々のカモを逃してなるものかと皆必死なんです。
彼らを適当にあしらっていると、少し外れたところに青いバスが停まっているのを見つけました。
私は、客引きたちを振り払い、バスに近づいていきました。
運転手に「このバスは市内へ行きますか?」と聞いてみると、
「行く」と言います。私はバスに乗ることにしました。
ボロボロのダカールのミニバス
乾いた街を走っていきくバス。建物の色は砂色のモノクロームですが、街を歩く人々の服装はカラフル!
学生風の女性が乗り込んできました。とてもおしゃれです。黒い肌に原色の衣装が似合っています。
通りを行き交う車はボロいです。街は空港と同じようにガランとしていて、あまり活気はない感じ。
私は中心街で降り、チュニジア人の経営する宿「A Louver Chambre Meublee(トリプルルーム、トイレシャワー共同 10,000CFA 2,124円)にチェックインしました。
旅行時期:2003年3月〜4月
※次の記事→セネガルの首都、ダカールの街さんぽ①(マルシェ、日本大使館、マリビザ取得etc.)【セネガル】
