イスタンブールのローマ遺跡。ここはかつてローマ帝国の首都でした。【トルコ】

※前回の記事→ブルーモスク、スレイマニエモスク…。イスタンブールでジャーミィ巡り!【トルコ】

「トルコ」(Turkey)

アジアとヨーロッパの狭間にある国「トルコ」。

トルコには、ギリシャ・ローマ時代の遺跡とオスマン帝国時代のジャーミィや街並みが混在し、文化的にも政治的にも東洋と西洋が混じり合った、世界に2つとない国です。

アジアとヨーロッパを繋ぐ町「イスタンブール」と、アナトリアの町や遺跡を巡ります。

今回は、イスタンブールのローマ遺跡です!

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「コンスタンティノープル」と呼ばれていた町「イスタンブール」にあるローマ遺跡を巡ります。


トルコ イスタンブールアヤ・ソフィア

イスタンブールは、かつて「コンスタンティノープル」と呼ばれた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都でした。

この町は、4世紀末から15世紀半ばまで、1000年以上もの間、キリスト教世界の中心のひとつでもあったのです。

写真は「アヤ・ソフィア」です。東ローマ帝国随一の聖堂として知られ、その後オスマン・トルコ時代にはモスクに改修され、現在では、博物館として一般に公開されています。

イスタンブールの重層的な歴史を象徴するような建物です。

紀元360年、ローマ皇帝「コンスタンティウス2世」によって建造されたのがはじまりとされていますが、その後2度消失し、現在の建物は、「ユスティニアヌス帝」の命により、537年に再建されたものだそうです。

当時、アヤ・ソフィアは、コンスタンティノポリス大主教座の所在地として正教会第一の格式を誇る聖堂でありました。またここは、東ローマ帝国歴代皇帝の霊廟としても用いられていたそうです。

トルコ イスタンブールアヤ・ソフィアの内部

トルコ イスタンブールアヤ・ソフィアの内部

1453年、コンスタンティノープルを占領したオスマン帝国の皇帝「メフメト2世」は、アヤ・ソフィアをモスクに改造することを宣言します。

十字架が外され、ミフラーブが造られ、4本のミナレットが建設されました。

トルコ イスタンブールアヤ・ソフィアに残るモザイク

当時、聖堂の内部は金地のモザイクで埋め尽くされていましたが、オスマン時代に全て漆喰で塗り固められてしまいました。

けれども、オスマン帝国は漆喰を破壊することなく上から塗り固めただけだったため、19世紀以降、漆喰を剥がした本格的な調査が行われ、現在ではそのいくつかを見ることができます。

トルコ イスタンブールアヤ・ソフィアの柱の穴

この穴に親指を入れ、手を一回りさせることができれば、幸運が訪れると言われています。

トルコ イスタンブールアヤ・ソフィア

トルコ イスタンブールトルコ イスタンブールアヤ・ソフィアのドーム

アヤ・ソフィアは、集中式とバシリカ式を融合した建築物で、東ローマ時代、これと同じ形式を持った建物は造られませんでした。

オスマン時代、トルコ人は比類なき建造物としてこのアヤ・ソフィアを畏敬し、後のブルーモスクやシュレイマニエ・ジャーミィの手本としたのです。

トルコ イスタンブールイェレバタン・サルヌジュ

トルコ イスタンブールイェレバタン・サルヌジュ

トルコ イスタンブールイェレバタン・サルヌジュ

これは、「イェレバタン・サルヌジュ」

通称「地下宮殿」と呼ばれる東ローマ時代の貯水槽です。

「ユスティニアヌス帝」によって建造されたもので、長さ138m、幅65mの空間に、高さ9mの336本の大理石円柱が立っています。78,000㎥の水を貯えることができたそうです。

円柱は寄せ集めの流用品で、土台にはメデューサの顔が彫られた石材なども使われています。

内部は綺麗にライトアップされています。

トルコ イスタンブールヴァレンス水道橋

「ヴァレンス水道橋」です。

コンスタンティノポリスを建設した「コンスタンティヌス1世」の時代に建造が開始され、378年、「ヴァレンス帝」の時代に完成した水道橋です。

町の北西郊外の森から水を地下貯水池まで送っていました。現在は1kmのうちの約800mほどが残っています。

トルコ イスタンブールヴァレンス水道橋

トルコ イスタンブールテオドシウスのオベリスク

ここは、ローマ時代に2頭立ての馬車レースが行われた競技場(ヒッポドローム)の跡地です。

写真の手前に見えるのは「テオドシウスのオベリスク」。

4世紀後半に、「テオドシウス帝」がこのオベリスクを運び込んだため、そう呼ばれています。このオベリスクは本来、エジプト、ルクソールにあるカルナック神殿にあったものです。

紀元前15世紀、エジプト新王国第18王朝の「トトメス3世」によって建造されました。碑文には「トトメス3世」の軍事的な偉業が彫られているそうです。

後ろにあるのは、「コンスタンティヌス7世の柱」。940年に「コンスタンティヌス7世」によって建てられた切石積のオベリスクです。かつては、青銅で覆われていたそうですが、第4回十字軍の略奪によって剥がされてしまいました。

この広場にはもうひとつ柱があって、それは、「蛇の柱」と呼ばれるものです。

蛇の柱は、青銅製の3匹の蛇が絡まった形をした柱ですが、頭部は折れてしまっています。ギリシャ、デルフィのアポロン神殿から持ち出されたもので、建造は紀元前479年です。

イスタンブールには、他にもローマ時代の遺構がたくさん遺されています。

3世紀に造られた「テオドシウスの城壁」や、ビザンツ帝国時代のモザイクを集めた「カーリエ博物館」も東ローマの歴史に興味ある方にとっては必見です。

※次の記事→イスタンブールをぶらぶら散歩。旧市街から新市街、アジアサイドまで【トルコ】

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コメント

  1. SIN より:

    懐かしいです。イスタンブール。
    Aksaray駅から、Valens Aqueduct ヴァレンス水道橋 に行くとき、高速道路の下の通路がお店になっていたのが面白かったのですが、あまり紹介しているWebが無いようです。
    行かれた時にはありませんでしたか?
    (ちなみに、橋を行き過ぎた場所にもローマ遺跡があります。)

    • mar より:

      ご訪問いただきありがとうございます。
      高速道路の下の通路のお店については覚えていないので、なかったかもしれません。
      イスタンブールにはあまり知られていないローマ遺跡もたくさんあるんですねー。