「アンコール・ワット」に描かれたレリーフとデバター像【カンボジア】

「アンコール・ワット」に描かれたレリーフとデバター像【カンボジア】

アンコール・ワット カンボジアの旅
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世界三大仏教遺跡のひとつアンコール・ワット

密林の中にあるこの遺跡を見るため、カンボジアへと旅しました。

アンコール遺跡群とシェムリアップの町、首都プノンペンなどをご紹介します。

今回は、「アンコール・ワット」のレリーフです!

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「アンコール・ワット」の歴史

アンコール・ワット「アンコール・ワット」

 

12世紀、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって建設されたと言われる「アンコール・ワット」

壮大な都城やたくさんの寺院によって形成される「アンコール遺跡群」の中核を成す寺院で、ヒンドゥー教のビシュヌ神に捧げられています。当時の王朝はヒンドゥー教を信仰していたそうです。

「アンコール・ワット」は内戦で全てを失ったカンボジアの人々の誇り。その姿はカンボジア国旗にも、お札にも描かれています。

アンコール・ワット「アンコール・ワット」の参道

アンコール・ワット参道のところに居た女の子

 

「アンコール・ワット」は王朝の衰亡後、長い間忘れ去られていましたが、19世紀後半、この地を訪れたフランスの学者アンリ・ムーオによって発見され、世界的に知られるようになりました。

1972年、カンボジア内戦が始まります。ポルポト率いるクメール・ルージュにより、この国は徹底的に荒廃させられてしまいました。アンコール遺跡群も彼らによって多くの部分が破壊されてしまったそうです。

1990年、内戦はようやく終結しました。人々の暮らしが次第に落ち着いていくのと同時に、彼らの誇りでもある「アンコール・ワット」を修復しようという気運が盛り上がります。

そして、1992年に「アンコール・ワット」は世界遺産に登録され、遺産の喪失の怖れのある「危機遺産」にも認定され、世界中から専門家が集まり、修復作業が開始されたのです。

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「アンコール・ワット」には、たくさんの彫像が彫られています。

「アンコール・ワット」は、東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅200メートルの濠で囲まれています。

訪問者はたいてい、西にある正門から濠を渡ってワットに入ります。ワットは三重の回廊に囲まれていて、5つの祠堂が中心にそびえ立っています。

3つの回廊のうち、外側の第一回廊の壁面は見事なレリーフによって埋め尽くされています。

「アンコール・ワット」はヒンドゥー教の神、ヴィシュヌを祀った寺院。レリーフも「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」といったヒンドゥー教の叙事詩を題材としたものが多く見られます。

レリーフの中でも、特に必見なのは、阿修羅が大蛇を引き合って海を掻き回す「乳海攪拌」の絵。写真がないので、↓の動画をご紹介。

「乳海攪拌」とは、ヒンドゥー教における天地創造神話。

不老不死の薬「アムリタ」を作るために、神々とアスラ(阿修羅)が協力して乳海を攪拌するお話です。

ヴィシュヌ神は、巨大亀クールマに化身し、その上に大マンダラ山を乗せ、山に大蛇ヴァースキを絡ませ、神々がヴァースキの尾を、アスラが頭を持って引っ張り合い、山を回転させることで乳海を攪拌。攪拌は1000年も続き、その過程で太陽や月をはじめ、この世の様々な物が生み出されたのだとか。

「アンコール・ワット」の「乳海攪拌」のレリーフは、50mもの長さがある壮大な物です。

アンコール・ワットデバター(女神像)

アンコール・ワットデバター像は、2000体以上も描かれているのだとか

 

第二回廊や、急勾配を登った上にある第三回廊にはデバター(女神像)が描かれています。クメール朝時代の踊り子を描いたレリーフで、「アンコール・ワット」には、2000体以上も描かれているのだとか。

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冷んやりした「アンコール・ワット」の塔の上

アンコール・ワット「アンコール・ワット」の塔の上から

 

デバター像などのレリーフをひと通り見たあと、階段を登って塔の上に上がりました。

暑い夏のカンボジア、強い日差しとうだるような湿気で、汗だくになってしまいます。

だけど、この「アンコール・ワット」の塔の上は、ひんやり!

風通しもよく、気持ち良く過ごせるので、この場所はお気に入りとなりました。

アンコール・ワット「アンコール・ワット」の上にいた女の子

アンコール・ワット後ろにいるおじいさんと一緒に毎日いました。

 

「アンコール・ワット」の塔の上は、日中は観光客がたくさんいるのですが、日の出を見た直後は誰もいなくてガランとしています。

静かでゆったりとできます!

毎朝、いつもこの場所には、祠堂を掃除したり、線香を焚いたりしているおじいさんと、その孫の女の子がいました。

 

旅行時期:2000年3月・2003年8月

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